第134話 「隠し事を暴くのは得意なのじゃ!」皇女が胸を張った
「思惑通りには参らぬものにござりますなぁ……」
多くの者が寝静まった刻限。
三野城本丸の一室――いつも密談に使う小部屋で、口から出た言葉とは裏腹に、丹波は「ほっほっほ」と笑い声を上げた。
「カヤノ様にあそこまで脅されておきながら、皇女殿下は帰るおつもりはないと……。いやはや、肝の座った御方にござります」
大株の元で、カヤノが皇女に帰るよう告げたのは昨日の昼間の事。
宴はその後も夜まで続き、今日になって三野城まで戻って来たのだが……。
俺も丹波も、さすがに帰ると言い出すであろうと考えておったが予想は見事に外れた。
皇女めは、
「緑深き森がこのような荒れ地になるとはのう……。カヤノの怒りも頷けるのじゃ。じゃからこそ、妾は今帰る訳にはいかん! 悲劇を繰り返さぬためにもさらに見聞を広げるのじゃ!」
などとのたまい、この地に逗留を続けると言い放ったのだ。
「いやはや。この爺めの骨折りは無駄となり申した。ほっほっほ」
「……策が外れたのだぞ? 口惜しく思わんのか?」
「何のこれしき。策などと申すものは、百を仕掛けて一が当たれば良いのでござります。一つ外れたところで嘆くことがありましょうや? ほっほっほ!」
もはや自明であろうが、ここ数日間の出来事は全てが丹波の策であった。
皇女をアルテンブルクの地から追い返すためのな。
表立った敵を一掃し、辺境伯領内の仕置をなそうと申すこの時に、帝室の者にうろちょろされては厄介この上ない。
下手に口を出されては困るのだ。
口を出さぬとしても、皇女などと申す者がいるだけで厄介極まる。
迷惑至極よ。
しかもだ。
己の力量を隠し立てしておるところを見るに、どうも腹に一物抱えていそうな気配。
それは辺境伯家へ仇なそうという企みやもしれぬ。
事と次第によっては、御側付き共々皇女を斬らねばならん。
だからこそあの夜、辺境伯にお伺いを立てたのだ――――。
「――――もう一度お尋ね申します。辺境伯は帝室に対する忠義の念、お有りにござりますか?」
俺が問うた時、辺境伯は顔色一つ変えなかった。
いつも通りの穏やかな顔をしておられた。
穏やかな顔で、ただ淡々と俺の話を聞き続けおられた。
忠義の念あらば、色をなして俺の無礼をなじるであろう。
が、左様な御様子は欠片もない。
では、忠義の念はないのか?
どうもそうでもないらしい。
憤懣、鬱憤、憤怒、怨嗟……悪い感情を読み取ることは出来ぬ。
辺境伯がいくつかお尋ねになった。
俺がそれに答える。
しばしやり取りが続いた後、
「…………もう、結構ですよ?」
「左様にござるか」
「ええ。お話します」
辺境伯は寝台から出て、改めて椅子に腰を下ろされた。
しばし何かをお考えになられた後、静かに口を開かれた。
「……どうでもよいのです」
「どうでもよい……にござりますか? 忠義のあるなしではなく?」
「そうです。帝室など、もうどうでもよいのです。我が父を苦しめ、寿命を縮め、ゲルトの好き勝手を止めることもなかった帝室です。あんな連中と関わり合いにはなりたくない、というのが正直なところです」
「あんな連中とは……。辺境伯、お口が悪うござりますな?」
「ははは……。ですが、他に言い方がありませんから。私はただ、家族と先祖から受け継いだこの土地が守れればそれでいいのです。はっきり言って、それが叶うなら帝国に属する必要はありません。異族だろうと魔物だろうと、喜んで仕えましょう」
「それはまた……。左様にお覚悟が決まっておいでとは」
「帝室に対する怒りや恨みがないわけではありません。ですが、だからと言って意趣返しをしたい訳ではありません。それを考えることすら面倒なのです。私には、もうそこまでの気力はありませんから」
辺境伯は初めて感情らしい感情を示された。
悔し気な笑みであった。
以前に比べて多少はマシになられたのであろうが、御身体は決して壮健ではない。
それもあるのであろう。
「ならば、もう出来るだけ関わり合いになりたくない。もう真っ平なのですよ」
「然らば皇女は如何致しまするか? どうでもよいと仰せなら、斬ってもよろしゅうござるか?」
「それではアルテンブルクへ余計な火の粉が及ぶのではありませんか?」
「やもしれませぬ。ただ、成算なく斬るとは申しておりませぬ。御側付き共々皇女を斬り捨て、証拠は完全に消してご覧に入れまする」
「どうすると言うのです?」
「スライムを養殖しておるのはご存じにござりましょう?」
「……ふふふ。全てを溶かしてしまうのですね? ならば証拠は何も残らない。ですが、帝都が皇女殿下の行方を問い合わせて来た時はどうします?」
「行き先を告げずに参ったのです。知らぬ存ぜぬで突っぱねましょうぞ。ご安心を。スライムが全てを闇から闇へと葬りまする」
「面白いお話ですね? ただし、完璧とは言い難い。死体は残らずとも、人の記憶までは消せません。どこからか情報は漏れるでしょう」
「ならば如何致しまするか?」
「……追い返して、いただけませんか?」
「それだけでよろしいので? 謀叛を疑われぬ程度に意趣返しする好機にもござりますぞ?」
「気力がない、と言いましたが、何かをする度胸もないのかもしれません。皇女殿下の御身をいささかなりとも傷付けることになってしまっては、と……。何のかんのと言いながら、私はそんな小さなことを恐れているのです……」
「それが辺境伯の御意思にござりますな?」
「そうです」
「承知致しました――――」
――――こうして、俺達は皇女を追い返すべく策を立てた。
こちらが申しても聞かぬであろうから、自ら帰ると言い出すように。
この数日は、肝の縮み上がる日々であったであろう。
並みの女子ならば、早々に帰ると申してもおかしくない。
並み以上であっても、これだけ立て続けに手を打てば、さすがにこたえると思うたが……。
「さて……。次はどうしようかのう? 皇女はともかくとして、御側付きらがこぞって逗留に反対すれば、他にもやりようはあったが……」
「ヘスラッハ殿らは反対なされましたが、よもやミュンスター殿が賛成なさろうとは! この爺めの目を以てしても見抜けませなんだ!」
「あの御仁もよう分からんお人よ。皇女の出奔を咎めておきながら、あのように危なき目に遭ったにも関わらず逗留を許すとは。
「存外、簡単な話なのやもしれませぬぞ?」
「簡単だと?」
「左様にござります。皇女殿下とミュンスター殿は結託しておるのです。何かの目的があって、アルテンブルグに留まり続けようとしておる」
「結託か……。それも考えておくべきかもしれんな。皇女が腹に一物抱えておると疑った時点で、御側付きらの態度も見掛け通りではないと思うべきであったわ。『コボルト皇女』と称すは、魔物の如く狡猾なりと考えるべきよな?」
「で、ござりますな。こんなことならば、カヤノ様をもう少々焚き付けるべきでしたかな?」
「馬鹿を申すな。あれ以上やれば皇女が死ぬぞ? 俺は皇女の首がへし折れやせぬかと気が気ではなかったわ」
「ほっほっほ。決して殺さぬようにと釘は刺しました故……」
「本当であろうな?」
「もちろんで――――」
そこで、丹波が指を立てて唇に当てた。
床に置いた杖に、静かに手を伸ばし――――。
「…………そこじゃ!」
バァン! と天井に杖を突き刺すと、
「のわあああああああああああっ!」
ドシンッ! バタンッ!
けたたましい悲鳴と共に、何かが落ちて来た。
「何事にござりますか!?」
春日源五郎ら近習衆が物音を聞きつけて駆け付けるが、丹波が「よいよい。心配無用」と手を振り答える。
ホコリが晴れた後、その場には思わぬ者の姿があった。
「…………これは驚いた」
「ふん! 妾の異名を忘れたか? 『コボルト皇女』とはこの妾、シャルロッテ・コルネーリアのことなのじゃ!」
「はて? 『コボルト皇女』殿下は城から抜け出すのがお得意なのでは?」
「ぬっふっふ! 抜け出す要領が分かれば忍び込むことは造作もないのじゃ!」
「壁に耳あり障子に目ありと申しまするが、まさか天井裏に皇女ありとは思いもせぬこと。左様な場所で何をなさっておったのです?」
「主らが妾を帝都へ帰そう帰そうとするんでのう? よもや怪しげな企みでもあるまいかと探っておったのじゃ!」
「ほう? 何か見つかりましたかな?」
「全然なのじゃ! 聞き耳を立てようとしたらそこな老爺に気付かれたのじゃ!」
「ほっほっほ! 無駄に齢は重ねておりませぬぞ?」
「皇女殿下、帝都ではどうか存じませぬが、ここでは怪しげなる者は斬るが道理。丹波の杖は槍だったやもしれませぬ。滅多なことはしないで下され」
「自重しても構わんぞ? 主らが企みを白状するならな! 妾は隠し事を暴くのが得意なのじゃ!」
「趣味の悪い得意にござりますな?」
「ほっとけ!」
「企みなぞ滅相もないこと。我らは誓って潔白にござります」
「カヤノの言葉を忘れたか? 荒れ地の開発に関わった者の縁者であるか否か、言われなければ分からんと言うたではないか! ならば、妾が先帝陛下の孫じゃと教えたのは誰じゃ? 主らであろう!?」
「さて? 心当たりはありませぬな」
「とぼけるか!?」
「皇女殿下の御側付きが口にしたのを耳にしたのやもしれませぬ。仔細を調べず思い込みでお話しなされるのは如何かと思いまするぞ?」
「し、白々しい奴め――――」
カタカタカタ…………。
「――――ん? 揺れ?」
カタカタカタカタッ! ド――――――――ン!
「ぬおっ!? 何じゃこりゃ!?」
地震が再び、三野を襲った。
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