第132話 「凶暴なるも秩序あり、じゃ」皇女は諦めた

「御尊顔を拝し奉り、恐悦至極に存じ上げまする。美濃国三野郡を領知致します、斎藤さいとう左近大夫将監さこんのたいふしょうげん利晴としはるにござります」


 久方振りに烏帽子をかぶり、直垂ひたたれを着込んだ父上は、皇女の御前に参ると深々と頭を下げた。


「そ、そうか……。主がサイトーの父か……。妾はシャルロッテ・コルネーリア。皇帝陛下の十八女である」


「十八女!? 帝国の行く末はますます盛んにござりますな!」


「うむ……。ところで主は、病を抱える身らしいの? 堅苦しい挨拶はこれで終いじゃ。楽にして構わん……」


「何と温かき御配慮……。この斎藤左近大夫、感じ入ってござりまする!」


「じゃから堅苦しいのは終いでよい。それよりも…………」


 皇女は周囲を見回した。


「本当に宴会を始めよった…………」


 大株おおかぶの周りには、野点傘のだてがさが林の如く立ち並ぶ。


 地を覆うのは鮮やかな紅の毛氈もうせん


 毛氈だけでは数が足らず、むしろやら戸板やら、腰を下ろせるものが所狭しと敷き詰められておる。


 その上では、着飾った老若男女――我が家臣らが盛んに杯を傾け、重箱や折櫃おりびつの菓子珍味に舌鼓を打つ。


 あちらでは笛や笙の音が聞こえ、法螺貝が鳴り、太鼓が打たれ、賑やかなことこの上ない。


 一転してこちらでは、わびしい琵琶の音が響き、坊主が唸るように平家物語の一節を吟ずる。


 そちらでは巫女が扇を開いて舞を披露し、酔っ払いだけでなく、一仕事を終えた僧や神主まで囃し立てておる。


 そうかと思えば、静かに茶の湯に興じている者までいる始末。


 大株の根元では、相撲を取る者まで出始めた。


「こ、混沌じゃ……。カオスの坩堝るつぼなのじゃ……」


「姫様~! 召し上がってますか!? このお菓子、すごく美味しいですよ!?」


「くぉらドロテア! 主は何を呑気に食うとるんじゃ!?」


「ええっ!? でも……。ヘレンさんがいいって……」


「何じゃと!? こりゃ! ヘレン! ヘレンは何処じゃ!?」


「はひ。ふぉふぉに」


「ヘレ――…………主、何を食うとる?」


「ふぉばやひといふそうれふ。おひしゅうふぉざいまふよ?」

(訳:そば焼きと言うそうです。おししゅうございますよ?)


「食い終わってから言わんか!?」


「もぐもぐもぐ……ごくん。失礼いたしました」


「女官長が率先して楽しんどる場合か!?」


「仕方がないのです」


「仕方ない……じゃと?」


「そうです。わたくし共では、カヤノ様を呼び出す手段に皆目見当もつきません。心当たりがお有りのサイトー卿にお任せすべきと存じます」


「主まで宴会を是とするとは……」


「異世界の作法は不思議に満ち溢れているのですよ? セイレーンの干物をお忘れになりましたか?」


「む……。むむむ…………分かった。分かったのじゃ! おいっ! 何でも構わんから菓子を持て!」


「はい。ヘスラッハ卿、お願いします」


「任せて下さい! 美味しいのを選んできますよ!」


 そう言うや、ヘスラッハ殿は菓子の重箱を並べた毛氈へと走り寄る。


 母上と利暁の伯父上が「こちらは甘い」、「あちらはしょっぱい」などと教えてやると、ひょいひょいと皿に盛っていく。


 あれを全て皇女に食わせる気か?


 とんでもない数だが……。


 その横に敷かれた筵の上では――、


「あひゃひゃひゃひゃひゃ! これおいしいぃ!」


「さささ! もう一杯! もう一杯いっときましょう! クリスさん!」


 ――クリスとハンナが杯を片手に完全に出来上がっていた。


 あやつらめ……。


 一番上等の酒を湯水の如くあおりおって……。


 どこで嗅ぎつけたのだ?


 取り上げてしまおうかと思うておると、幾分元気のない顔をしてミナがこちらにやって来た。


「シンクロー、そこに座ってもいいか?」


「左様な顔をしてどうした? 其方は飲んでおらんのか?」


「お酒は苦手なんだ。私はこちらの方が……」


 そう言って片手に持った茶碗を見せた。


「苦味の奥にわずかな甘味を感じる……。鼻を抜けてゆく香りも素晴らしい。思わず溜息が出てしまうな……。こんなお茶は初めてだ」


「ほう? 其方、茶の湯が分かるのか?」


「上手いか、不味いか、それしか分からないさ。作法はさっぱりだ。でも、タンバ殿が気にせずともよいと……」


「作法に気を取られては茶も不味くなる、とでも申したか?」


「どうして分かった? シンクローも言われたことがあるのか?」


「いや……。最近の茶の湯は肩ひじ張って味も碌に分からんのでな」


「そうか……。テーブルマナーに口やかましいのはこちらも異世界も同じなんだな……」


「其方、その『まなあ』とやらが苦手と見える」


「一応身に付けてはいるんだぞ? ただ、マナーに注意しながらだと味わう余裕もない。食べた気にも、飲んだ気にもならない。無作法に過ぎなければそれでいいじゃないか……と思う……。お母様とベンノに言ったら叱られそうだけど……」


「はっはっは! ここに二人はおらぬ! 好きなようにすればよい!」


「そうさせてもらうさ。ところで――」


「なんだ?」


「――本当に、飲み食いしているだけでいいのか? もっとこう……カヤノ様に出て来ていただくために何かしなくても……」


「神仏を相手に小賢しき策を弄しても意味はない。こうして騒いでおるのが一番よ」


「神々に対するその感覚がどうにも慣れない……」


「まったくなのじゃ!」


「おや? 皇女殿下ではござりませぬか!」


 いつの間にやら俺達の毛氈にやって来た皇女は、菓子が山盛りになった皿を片手にどかりと座った。


「我が父は如何致しました?」


「主の弟妹に譲って来たのじゃ」


「なんと……! 皇女殿下は我が弟妹のお相手をして下さらぬので!?」


「主……! 妾に死ねと言うか!? あ奴ら今度は石合戦しようなどと言うとるんじゃぞ!? 拳大の石を片手にニヤニヤしとるんじゃぞ!?」


印字打いんじうちにござるな。童の遊びにござります」


「ありゃ本気の合戦じゃ! あれが遊び!? 異世界はやっぱりどうかしとるのじゃ!」


「遊びもまた、本気でやらねば楽しゅうござらん」


「くっ! こ奴も話が通じん!」


「皇女殿下、申し訳ありませんが諦めて下さい」


「ヴィルヘルミナ!? 主までそんなことを!?」


「異世界は狂戦士バーサーカーの住まう国と諦めましたので……」


「狂戦士……それはなんとも言い得て妙なのじゃ……。じゃが――」


「どうかなさいましたか?」


「こ奴らが異世界から来たのか否か、妾は未だに確信を持てずにおるが、狂戦士と称すべきほどの力量を持つことは確かじゃ。じゃが、恣に力を振るっておる訳でもない。こ奴らにはこ奴らの理屈がきちんとある。これまでの道中、とみに感じたわい。凶暴なるも秩序有り、と言った所じゃな」


「凶暴? 我らのことを申しておられるので?」


「主ら以外の誰がおると思うとるんじゃ? 一応褒め言葉じゃぞ? 凶暴なくせに秩序を持つような強敵と戦いとは思わん。お手上げじゃ!」


「おおっ! 左様にござったか! それは恐悦至極……」


「本当にそう思っとるんじゃろうな?」


「嘘偽りなく」


「――気を付けなさい。シンクローはいっつも口が上手いんだから」


「じゃのう。妾もそう思った」


「あ……。お酒がなくなった……。ちょっとシンクロー。お酒がない」


「分かった分かった。ほれ、注いでやる」


「ギリギリまで注いで。表面張力よ」


「ひょうめ……? 何だそれは?」


「いいから注いで。ギリギリまで」


「そうじゃぞ、サイトーよ。ケチケチせずに目一杯注いでやれば良いのじゃ」


「やれやれ……。女子に敵わん……」


「あの……」


「ん? 何じゃヴィルヘルミナ?」


「えっと……その……皇女殿下? お気付き……ではないのですか? そ、それとも気付かれた上で、あえて……?」


「何を言うとる?」


「ですから、その……皇女殿下の横に座っておられる……」


「ん? 妾の横?」


「ぐびぐびぐびぐび…………」


「…………ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!」


 皇女が大きな声で叫ぶ。


 誰もが何事かとこちらを振り向く。


 丹波は我が意を得たりと笑みを浮かべ、ミュンスター殿やヘスラッハ殿らは「ギョッ」とした顔をしてこちらへ駆け寄って来た。


 周囲が騒然とする中、皇女の横に座る女――カヤノは迷惑そうに眉を歪めた。


「ちょっと……。横で大きな声を出さないで」


「ぬ、主は……カヤノ?」


「何よ? 聞かないと分からないの?」


「き、聞かんでも分かるのじゃ! そうではなく……何でいるのじゃ!?」


「お酒があったから」


「……は?」


「だからお酒があるじゃない。ズルいわよ。私の目の前で勝手に酒盛り?」


「ふむ……。ようやく出て来たな」


「お、おいっ! サイトーよ! こりゃ一体全体どういうこっちゃ!?」


「天の岩戸……と申しましてな。引き籠った神々も、目と鼻の先で宴を催されれば、我も混ぜよと御自らお出でになるものにござります」


「何よ。私が単純って言いたいの?」


「出て来た其方がそれを申すのか?」


「……意地悪」


 カヤノは「ぷいっ」と顔を背けてしまった。

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