第128話 「なんて可愛らしい!」母上が現れた

「新九郎――――っ!」


 三野城の大手門の前で、笑顔の母上が両手を振っていた。


 後ろには佐藤の爺をはじめ留守居の家臣達が並んでいる。


 皇女の着到を待ち受けていたらしい。


 母上の手前まで乗馬のままで進み、黒鉄を下りた。


「母上っ! 出迎えは有り難いが、派手にせんでよいと伝えておいたであろう?」


「何を言っているの!? この子はもうっ! 都から皇女様がお越しなのでしょう!? 御家を挙げてお迎えせねばならないでしょうに! それを今朝になっていきなり……! 碌な準備も出来ませんでしたよ!?」


「お忍びなのだ。派手に迎えてはお忍びにならんではないか」


「それでもです!」


 あまり皇女を歓迎しているかの如き雰囲気を出したくなかったのだがな……。


 佐藤の爺が俺に向かって「済まぬ!」と拝むように手を合わせた。


 どうやら母上を抑え切れなかったらしい。


 無理もないか……。


 事情を察しているのであろう。


 三野郡代の北條常陸や矢倉奉行の日根野和泉あたりは苦笑を浮かべている。


 あ奴らから他の家臣にも言い含めてもらわねばなるまい。


 決して騒ぎにはするなとな。


 左様なことを考えつつ、母上の小言を右から左へ聞き流している間に、皇女達も馬車から続々と降り始めた。


 三野城に滞在したことのあるミナやクリス、ハンナがなにやら説明している。


「こりゃ……すごいのう…………。山が一つ、丸ごと城になっておるわ……」


「実に興味深いですね。帝国の城郭は、山に作ろうと、平地に作ろうと、石造りの城壁で完全に囲んでしまうものですが、サイトー卿のお城にはそれがありません。ただし、防御は非常に固そうですね? 高く切り立った石垣やあちこちに張り巡らされた白い城壁……。山全体を利用して、一体いくつの防御陣地があるのでしょうか?」


「ヘレンさんの言う通りですよ。これ、どうやったら山頂まで行けるんでしょうね? 何だか気が遠くなりますよ。っていうか首が痛い……」


「あははははっ! ドロテア、首を上げ過ぎなのよ! まあ、気持ちは分かるけどね。山全体が城だってことは分かるけど、それにしたって全貌が見えないわよね。碌でもない罠とか絶対にありそう」


「ハイディに賛成。これってさ、順路だって思った道を進んでも絶対に行き止まりになるやつじゃない? それか落とし穴的なものがあるとか」


 口々に城の感想を述べておる。


 ミナ達もそうだったが、異界の衆にとって日ノ本の城は驚くことばかりらしい。


 恐らく城の造り方が大いに異なるからであろう。


 異界ではネッカーやビーナウの様に、石で作った壁で城や町をすっぽりと囲むことが定石のようだからな。


 堀はなくとも、とにかく壁で囲むのが先決。


 石がなければ丸太を組んででも囲む。


 魔物共の襲撃を防ごうとしたことが、その始まりのらしい。


 からや朝鮮でも石造りの城壁で町ごと囲むと聞いたが、あちらは周囲の異族から身を守るためであっただろうかのう?


 襲ってくるという点では魔物も異族も同じか……。


「ちょっと! ちょっと新九郎!?」


「何だ?」


「あちらの方! あちらの方が皇女様なのっ!?」


「ん? おお、そうだ。早速挨拶を――――」


「まあまあまあまあ!」


 俺が言い終わらぬ内に、母上はスタスタと皇女の元に歩み寄り、御側付き騎士らが止める間もなく「ガッシ!」と皇女の両手を握った。


「うおっ! 何じゃ主は――――!?」


「――――まあまあまあ! なんて可愛らしい! 絵巻物の中から姫君が出てこられたみたいではございませんか!? お声も鈴が鳴るようでござりますね!? とても耳に心地ようございますわ! ああっ! 御挨拶が遅れて申し訳ございません! お初にお目にかかります! 美濃国は三野郡を領知致します斎藤さいとう左近さこんの大夫たいふが妻、翠にござります! 我が子新九郎が並々ならぬお世話になっております! 御無礼はござりませんでしたか? そうですか! ありませんでしたか! それは重畳! ところで皇女様はお幾つでいらっしゃいますか? まあ! 十二歳!? これは三年後が楽しみでござりますね!? ところで抱き締めてもよろしゅうござりますか!?」


「「「「「………………」」」」」


 釣瓶打つるべうちの如く話し続ける母上。


 誰も止めることが出来ない。


 ミュンスター殿さえも口を差し挟めない。


 丹波が「くっくっく……」と含み笑いをしておる。


 接待役のくせをして、止めるつもりはまるでなさそうだ。


 まったく、俺が出るしかあるまいな――。


「――母上? おいっ! 母上!」


「――とっても心地良くて――もうっ! 何なのですか!? 皇女様と気持ち良くお話ししていると言うのに!」


「話しておるのは母上だけだ! 皇女殿下を門前で止めるは不敬ぞ!? 早う城の中へ案内あないせねば!」


「あらまあ! わたくしったらつい……! やあねぇもう! おほほほほほほほほっ!」


「皇女殿下、大変失礼を致しました」


「う、うむ……。げ、元気の良い母御ではないか? 結構なことなのじゃ……」


「それでは客殿へ案内致しまする。こちらへ……」


 皇女一行を先導して城内を進む。


 だが、当然ながら素直に進んでなどやらない。


 あちらを進み、こちらを進み、そうかと思うとそちらへ進みと、幾重にも遠回りしながら客殿のある曲輪くるわを目指す。


 途中でミナが「いつもと道が違うんじゃないか?」と小声で尋ねてきたが、「貴人をお迎えするための格別なる道筋がある」と申しておいた。


 ミナは首を捻っておったが、もちろん嘘だ。


 敵か味方か判別つかぬ相手に、素直に道を教える道理なぞない。


 ただでさえ『コボルト皇女』と称される暴れん坊だ。


 簡単に出入りが出来ぬよう、大いに迷わせておかねばならん。


「皇女殿下、一つよろしゅうござりますか?」


「む? 何じゃ?」


「客殿の前に立ち寄りたき所がござります」


「構わんが……どんな場所じゃ?」


「カヤノがおるやもしれぬ所にござります」


「何じゃと!? あ奴はこの城のおったのか!? それを早く言わんか!」


「本命ではござりませぬ。あくまで『やもしれぬ』程度にて。念のために試すのだけにござります」


「それでもいいのじゃ! 早う案内するのじゃ!」


 さらに遠回りを重ねて山頂近くの本丸へ向かう道筋を取った。


 城の中を登ったり、下りたりとせわしない。


 皇女や騎士達はともかくとして、ミュンスター殿や侍女達は息が上がり始めた。


 野山に慣れぬ女子の足では致し方あるまいな。


 可哀想だが、恨むなら正体の分からぬ皇女を恨んでもらうこととしよう。


 とは申せ、置いてけぼりにする訳にも参らぬ。


 歩く速さを少し落とす。


 ミナ、クリス、ハンナや我が家臣達が手伝ってやりながら、どうにかこうにか前へと進む。


 いつの間にやら、母上は侍女の一人を背負い、さらに一人に手を貸していた。


 しかも、汗一つかかずに笑顔でだ。


 我が母ながら何たる豪傑振りか。


 山城を、女子を背負って進む女子なぞ聞いたことがないわ。


 ……さて。


 そろそろ頃合かのう?


 これだけあちこち遠回りすれば、正しい道筋なぞもはや分かるまい。


 さらに四半刻ほどかけて本丸へ至る。


 表御殿を抜けて奥御殿へ進むと、小さな庭に入った。


 そこには庭一杯に幹を広げた巨樹が一本、天を突かんばりに聳えていた。


「……遠くから見えておったが、何なのじゃ? この大木は?」


「これはカヤノの子樹にござります」


「子樹?」


「カヤノが宿っておった大株おおかぶの種を植えたところ、斯様に生えて参ったのでござります。辺境伯の御屋敷でも大樹を御覧遊ばされましたな? あれと同じにござる」


「ほう……。それで子樹か……」


「カヤノは子樹を行き来できるのでござります。辺境伯の御屋敷から忽然と姿を消したのもそのためにござります」


「なんと面妖な……。ではあれか? 辺境伯邸の子樹には居辛ろうなったが、こちらにはおるかもしれんと言うことか?」


「本命はあくまで東の荒れ地にある大株にござる。先に申した通り、念のためでござります」


「それでもよい! 呼んで欲しいのじゃ! 妾自ら談判してくれる!」


「分かり申した。では失礼して――」


 皇女から離れて子樹へ近付き、手を当ててみる。


 カヤノが出てくる時は、子樹が脈打つような感触があるのだが、今は何も感じられない。


「カヤノ! 新九郎だ! おったら出て来てくれ!」


 やはり、子樹は何の反応も示さなかった。

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