合戦25日前

第126話 「いやあああっ!」絹を裂くような悲鳴が上がった

「「「「「いやああああああああああ!」」」」」


 寒風吹き寄せる海辺で、御側付き侍女達が絹を裂くような悲鳴を上げた。


「な、な、な…………」


 馬車の中から慌てて顔を出した皇女も、青い顔で口元をひくひくさせておる。


 同じく馬車から顔を見せたミュンスター殿は口元を手で覆う。


 ヘスラッハ殿ら御側付き騎士も顔をしかめて目を逸らしつつ、馬車を守るように乗馬を寄せた。


 ミナ達は……うむ。もう慣れたと言わんばかりに遠い目をしておるな。


「こ、こ、こ、こ……」


「ほっほっほ。時告鳥ときつげどりにござるかな?」


 場にそぐわぬ朗らかな笑顔を浮かべる丹波。


 憎らしい事この上ない笑顔よ。


 皇女が「キッ!」と睨みつけた。


「だ、だ、誰が鶏じゃ! そ、それよりも……何なのじゃ!? これは!?」


 皇女が腕をブンブン振り回しながら、あるものを指差す。


 そこでは稲架はさのような木組みを囲んで二十人ばかりの百姓がせっせと働いていたのだが、海辺に稲架があるにはおかしな話であろうし、稲架に干されているものも当然ながら稲束ではなかった。


 上半身が女人、下半身が魚の奇怪な生き物が、あたかも洗濯物を干すかの如く、風が良く当たるように全身を広げて、首や両腕をくくり付けられているのだ。


 腹を真一文字に裂かれて臓腑をえぐり出された挙句、頭を切って脳を乗り出した姿でな……。


「ありゃ何じゃ!? 何なのじゃ!? 何しとるんじゃ!?」


「皇女殿下がお尋ねだ。丹波、ご説明せんか」


「おや? この爺めでよろしいので?」


 白々しい……!


 こうなることを知っていながら、ここまで皇女を連れて来たのであろうが!?


 ネッカーから三野へ入ろうと思えば、町の近くに架かる橋を渡ってそのまま東へ進むのが最短だ。


 ところがこのクソ爺めは――――、


「道中に魔物が出たとの報せがござりました。遠回りにはなりまするが、ネッカー川を南へ下り、海側から三野へ入るがよろしいかと」


「海側は先日の戦で戦場になったばかりではないか。片付けは済んでおるのだろうな?」


「戦の跡は、片付いておりまする」


「…………含みのある言葉に聞こえるが?」


「とんでもござりません! 皇女殿下の御身を気遣う爺めの真心をお疑いに!?」


「真心……のう?」


「左様左様。曇りなき真心にござります! さあさ、お早く御決断くだされ! 間もなく出立にござりますぞ? 皇女殿下の御身に万が一のことがあってはなりませぬ! 此度は断然、海側を行くべきにござります!」


 ――――などと申しよった!


 あたかも皇女の身を案じる言葉をのう!


 これには皇女一行も騙されたか、海側を行くことに同意してしまった。


 今になって悔やんでおるであろがな!


 まったくこの腹黒爺めがっ!


 やはりこんなろくでもないものを隠しておったのだ!


「此度の接待役は其方であろうが! 其方が責めを負え!」


「承知致しました。ほっほっほ」


 丹波は杖を突きつつ皇女の前に出た。


「あれなるは、昨日退治したばかりの人魚にござります。異界では『せいれえん』と申すと伺いまする」


「あ、あ、あれがセイレーン? は、初めて見た――ではないのじゃ! あ、あれが魔物の類なのは気味の悪い姿を見りゃ分かるんじゃ! そうではなくてじゃ! そのセイレーンに何しとるんじゃ!? 主らは!? は、腹を裂いて……頭を……」


「ご覧のとおりにござります。干物にしておりまする」


「ひ、ひ、干物じゃと!? まさか…………食する気か!?」


「おや? 異界にも八百比丘尼やおびくにの如き話がござりますので?」


「ヤ、ヤオビ……? な、何じゃそれは?」


「人魚の肉を食らい、不老長寿を得た女子おなごにござります。八百年を生きた末に入定にゅうじょうしたと伝わりますな。嘘か真か存じませぬが」


 丹波の申す通り、嘘か真か分からぬが、日ノ本には人魚にまつわる話が伝わっておる。


 八百比丘尼の如く人魚を食ろうて不老長寿を得たと申す話もある。


 豊作を告げて姿を消したと申す話もある。


 疫病の流行を告げた上で、己の姿を描いた絵を民に見せればたちどころに病が治まると言い残して姿を消したと申す話もある。


 あるいは船の往来を妨げ、悪魚を呼ばれて恐れられ、最後は鉄炮を雨霰と撃たれて退治されたと申す話もある。


 人魚とは、善き行いもすれば、悪しき行いもする。


 人に幸をもたらすこともあれば、不幸をもたらすこともある。


 真に不可思議なもの。


 神々に和魂にぎみたまがあれば、荒魂あらみたまもあるようなものやもしれん。


 俺達からすれば、人魚とは左様なものだ。


 だがしかし、異界の衆には左様な考えはないらしい。


 皇女は体を震わせ、驚きを露わにした。


「に、に、に、に、人魚を食ろうた!? あの不幸をもたらす悪しき存在を食ろうたじゃと!?」


 皇女が「し、信じられん!」と顔面を引きつらせた。


 侍女達は「ひいっ!」とガタガタ震えて体を寄せ合い、ヘスラッハ殿らもじりじりと後退りする。


 異界の衆が斯様かような顔をするのも無理はなかろう。


 と申すのも、この『せいれえん』のように、異界では人魚が人に害をなす不気味で悪しき魔物とみなされておるからだ。


 海に棲む『せいれえん』にせよ、河に棲む『ろうれらい』にせよ、美しき歌声で人を惑わせる。


 船乗りを惑わせて船を沈めてしまうこともあれば、海辺に近付いた者を惑わせて入水じゅすいさせてしまうこともあるのだ。


 水の中に落ちた者共を、奴原やつばらが如何にせんとするつもりか、想像するに難くはあるまい。


 ミナやクリス、ハンナから聞いた限りでは、人魚は悪さしかしておらんからな。


 魔物とひとくくりにされるのも頷けようと申すもの。


 こうして異界の衆が恐れおののく中、ただ一人、ミュンスター殿だけは青い顔をしつつも「興味深い」と眼鏡の位置を直した。


「タンバ卿? お尋ねしても?」


「おおっ! 人魚にご興味がお有りで? 何なりとお尋ね下され! 御伽衆おとぎしゅうの面目躍如にござります!」


「異世界……の方々にとって、人魚が不幸をもたらすばかりの存在でないことは理解いたしました。食せば不老長寿を得るということも……。ですが、今回は食するおつもりはないのでしょう? それならば、どうして干物になさるのですか?」


「ほっほっほ。干物は食らうためだけにこさえるものではござりませぬ」


「では、別の目的があるのですね?」


「左様にござります。斎藤家の菩提寺たる伏龍寺ふくりゅうじ寺宝じほうと成すためにござりますな。ナマモノでは、ちと具合が悪うござります」


「『フクリュウジ』? 失礼ですが、それはどのような? 何かの施設……かと思われますが……」


「異界で申せば天上の神々を祀った『聖堂』にござりますな。御仏を祀り、利暁様のような僧が修行をなす場にござります。斎藤家の先祖も祀っておりますぞ」


「……そのような神聖な場所に……干物にした人魚を? 寺の宝……として? いえ、幸福をもたらす存在であることは理解したのですが、その……さすがに不気味ではありませんか」


 さしものミュンスター殿も頭がついていかないようだ。


 なにせ干物になればさぞかし醜悪な姿となることは明らか。


 その上に、腹を裂かれて頭も割られておるからな。


 いくら幸をもたらすと聞かされても、すんなりと得心は出来なかったのであろう。


 ただ、ミュンスター殿はまだマシだ。


 他の面々は、もうまともに息が出来てない。


 丹波はその様子を見渡し、いつものように「ほっほっほ」と腹立たしいほど朗らかに笑った。


「奇妙な姿にはござるが、人魚がもたらす利益りやくに比べればどうと申すことはござりませぬ」


「利益? い、一体どのようなものなのです?」


「日ノ本に伝わる人魚の話にはこんなものもござりましてな? 曰く『この魚を一度見る人は寿命長久し悪事災難をのがれ一生仕合よく福徳幸を得るとなり』と。一目見ただけでも甚だしい利益にござりましょう? 正に、寺宝とするに相応しきもの。ありがたやありがたや……」


 両手を合わせてこすり合わせる丹波。


 間もなくして、伏龍寺の僧を引き連れた利暁の伯父上が姿を現した。


 『せいれえん』の干物を見て破顔一笑し、滔々と読経を始めた伯父上の姿に、異界の衆は今度こそ、一人残らず言葉を失った。


 皇女の三野行きは、三野に入る前から多難な船出となった。

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