第119話 「そんな人物でも裏切るのでござります」辺境伯は沈黙した

「ははは……。そうですか。近衛騎士三人を相手に勝利なされましたか……」


 寝台の上で、辺境伯は楽しそうにお笑いになられた。


 皇女との謁見後、お疲れの色が見え、自室に退かれたのだが、ご体調に心配はなさそうだ。


 そのお姿をご覧になられた奥方も、ご安心なされたご様子で微笑を浮かべておられる。


 執事のベンノ殿が「お茶をご用意いたしましょうか」と動きかけたが――――。


「いえ、結構にござります」


「おや? お話は終わりなのですか? それは残念だ……」


「旦那様のおっしゃる通りですわ。私もサイトー様の武勇伝を伺いたのですけれど?」


「ご期待に背き申し訳ござりませぬ。その代わりに、火急にお知らせせねばならぬ件がござります」


「火急……ですか?」


「辺境伯のお耳にのみ、入れたき儀にござります。お人払いを……」


 辺境伯からのお顔から笑みが消えた。


「扉の外では左馬助と近習衆が見張りに立っております。このお部屋に、何人も近寄らせぬよう願います」


「……ヴィルヘルミナも、ですか?」


「コボルト皇女と側付きも、にございます。今ならば、皇女と女官長は折檻、その他の者はミナと歓談しております」


 不安そうな表情を浮かべる奥方とベンノ殿に、辺境伯は「サイトー殿のお言葉通りに……」と部屋を出るように促した。


 パタン……と、扉を閉じる音が静かに鳴った。


「……ゾフィーやヴィルヘルミナにまで聞かせたくないとは、このようなこと、初めてはありませんか?」


「いえ。以前に一度だけ……」


「ありましたか?」


「ゲルトとの戦の直前、辺境伯から白紙の誓紙をいただいた折に」


「……そうでしたね。そんなこともありました」


此度こたびはあの時と同じにございます」


「また、白紙の誓約書が必要だと?」


 辺境伯は幾分おどけるような口調で話されたが、表情を変えることのない俺を見て、口調を変えられた。


「…………では、何が同じなのですか?」


「辺境伯のご真意を確かめねばなりませぬ。奥方やミナにも明かしておらぬ、ご真意にござります」


「……どうぞ」


 促され、皇女と出会ってからの出来事をお話しする。


「――――黒金が皇女を捕えた直後は、口が悪く、軽挙な娘かと思うておりました。されども、去勢しておらぬ馬を初めて目にし、学びを得たと礼を申す態度。少ない手掛かりから、手前と九郎判官の相通ずるところに思い至った頭の良さ。ただの粗忽者そこつものとも思えませぬ」


「なるほど。腐っても皇族、ですね……」


「……お口が悪うござりますな?」


「そうですか? サイトー殿が移ってしまったのかもしれませんね?」


 おどけたようにお笑いになる辺境伯。


 それには答えることなく、俺は話を続けた。


「お側付き騎士や侍女達から皇女の話を聞かされました。『コボルト皇女』と揶揄される一方で、体術を修め、短剣の扱いに習熟しておるとの由にござります。辺境伯はご存じで?」


「いいえ。私の認識も『コボルト皇女』と大して変わりません」


「義弟殿からは何も?」


「皇帝陛下の御子はシャルロッテ・コルネーリア皇女殿下だけではありません。四十人以上いらっしゃいますからね。皇位継承の可能性が高い方々については詳しい話も聞いておりますが、十八女の皇女殿下についてまで、大した話は聞いていません」


「左様にござりますか」


「……皇女殿下に拘っておられるようですね? 何か怪しいところでも? まさか『あの皇女はやはり偽物だ』などと仰らないでしょうね? 帝室の御紋章入りの短剣も、身分の証たる証書も、いずれも真正なものです。私が保証します」


「辺境伯、奥方、ミナ、ベンノ殿の四方がいずれも疑いを持たれなかったのです。その判断を覆すだけの証、手前は持ち合わせておりませぬ」


「では、何を懸念なさっているのです? それに、皇女殿下の件が私の真意……ですか? それと何の関係が?」


「皇女は何かを隠しております」


 断言すると、辺境伯は口をつぐむ。


「糾問使ではないのやもしれませぬ。されど、別の何かを隠しております」


「根拠は……あるのですか?」


「皇女のあの髪型……『キンパツ・タテ・ロール』と申すそうですな? 皇女にとって自慢の髪型だと聞きました」


「ええ。見事なものです」


「お側付きの騎士達は、皇女が馬の噛み付くことを躱せぬとは奇妙だと申しております。皇女の体術の腕前は近衛騎士も唸らせるほど。ならば、むざむざ自慢の髪型を乱されるような真似をしましょうか? 手前には、己の腕前を隠しつつ、道化を装い、巧みに辺境伯家へ近付こうとしたように思えてなりませぬ」


「考え過ぎではありませんか? 髪を乱された程度ですよ?」


「甘うござりますぞ?」


「しかし、不意を突かれて避けられなかった可能性も――――」


「髪は女子おなごにとって命にも代え難きものにござります」


「――――はい?」


 呆気に取られたような表情を浮かべる辺境伯。


 おや? 左様におかしなことを申したか?


 髪は神に通ずるものであり、己が分身も同然。


 特に、女子おなごにとっては美の証にも等しきもの。


 疎かにしてよろしいものではない。


 異界のならいにはまだ疎いが、目にした女子はいずれも髪が長かった。


 ミナや奥方のようにそのまま垂らしている者もいれば、ヘスラッハ殿のようにまとめている者もいるが…………。


 髪は女子の命。


 それは日ノ本も異界も変わりあるまい?


「髪は女子の命も同然。守る力があるならば、何に代えても守るべきものにござりましょう? もしも敢えて守らなんだとすれば、その意が奈辺なへんにあるか疑うべきにございます。辺境伯家に害を成す意がないとは言い切れませぬ」


「…………ふふふ」


 辺境伯は口元に手をやり、含み笑いをした。


「如何なさいました?」


「いえ……。サイトー殿は、意外にロマンチストだな、と……」


「ろま……?」


「お気になさらず。褒め言葉のようなものです。ふふふ……」


 笑みを浮かべたままおっしゃる辺境伯。


 何かはぐらかされたような気もするが……。


 しばらく笑っておられた辺境伯は、やがて姿勢を正された。


「では、皇女殿下が何かを隠しておられるとして、です。私の真意がどう関係してくるのですか?」


「……無礼な物言いになるやもしれませぬ」


「構いません」


「然らば申し上げます。辺境伯は帝国に対する忠義の念、お有りにござりますか?」


「…………」


 辺境伯はお答えにならない。


 ただ、無礼な問いにも関わらず、不快の念は見受けられない。


 さらに言葉を続ける。


「あるいは帝室に対する忠誠の念と申すべきやもしれませぬ。お有りにござりますか?」


「…………当家は帝室への忠誠を謳われてきたのですよ? それでもそのような質問をなされるのですか?」


「致しまする」


「……サイトー殿の疑念を呼ぶような態度がありましたか?」


 感情を見せることなく、静かに問われる辺境伯。


 俺はゆっくりと、首を横に振った。


「ござりませぬ」


「では、なぜです?」


「辺境伯家が乱れた経緯いきさつを見れば十分にござります。東の荒れ地で魔石を探せと、先代辺境伯に命じたは誰にござりますか? 先帝にござりましょう?」


「……たしかに開発は失敗し、我が父が亡くなってからの二十年、当家には混乱が続きました。ですがだからと言って、忠誠を失う訳ではありません。そもそもアルテンブルクの地は帝室より賜ったもので――――」


「日ノ本には斯様な話がございます」


 辺境伯の言葉を遮る。


 今から二百五十年ばかり前のこと、御醍醐帝が御謀叛に及んだ。


 事を重く見た鎌倉は坂東の御家人を呼び集め、討伐の軍を起こした。


 その大将の名を、足利高氏という。


 足利氏は源氏の名門。


 鎌倉殿に仕える御家人の中でも、北條得宗家、北條一門に次ぐ家格を誇った一族だ。


 この家格の高さは、鎌倉殿や北條一門との縁の深さに由来する。


 まずは源平合戦の頃、平家追討の軍に参じた時の足利氏当主は、右大将殿――頼朝公の従姉妹を妻とした。


 この縁の深さによって、足利氏は右大将家の一門同様にみなされることとなる。


 そして、同じく右大将家と深い繋がりのあった北條氏とも縁を結んだ。


 歴代の当主は北條家の娘を本妻に迎え、歴代の北條得宗から偏諱へんきを受けることになる。


 承久の頃、後鳥羽院が乱を起こした折には、時の当主が東海を進む軍を率いる大将の一人に任ぜられた。


 乱の後は、「関東の宿老」と称せられるほどに重んじられたという、


 高氏公御自身も歴代の例に漏れず、時の北條得宗たる相模入道さがみのにゅうどう殿――高時公から「高」の字の偏諱を受けた。


 さらには、時の執権たる守時公の妹御を本妻とした。


 尊氏公の後を継いだ義詮よしあきら公も、この本妻の腹だ。


 御醍醐帝が御謀叛に及んだ時は、承久の例に倣い、足利氏の棟梁たる高氏公が追討軍の大将に任ぜられた。


 これ以上にない、人選であった。


 この人物ならば乱を沈めるに違いなしと、誰もが思ったに違いない。


 だが、裏切った。


 鎌倉を見限り、御醍醐帝につき、北條一門を滅亡させた。


 偏諱を受けた「高」の字さえも捨て去り、御醍醐帝の御名である尊治より一字を用うるお許しを得て、尊氏と改めた――。


「……そんな人物がなぜ裏切ったのです?」


「さあて……。尊氏公は何も遺しておられませぬからな。何を申しても、物語を出ることはありませぬ」


「そうですか……」


「確かなことはたった一つ。『そんな人物でも裏切る』のでござります」


「…………」


「足利と北條の間に、真は何があったのかを知る術はござりませぬ。されど、帝室と辺境伯家に何があったか知る術は掃いて捨てるほどにございます。実に穏やかならぬ話ではござりませぬか? 左様な話を聞かされて、それでもなお帝室に対する忠義の念ありと申されても、容易く得心なぞ出来ませぬ」


「…………」


一度ひとたび疑念を持てば、指一本動かしても疑わしく思うのが人情。皇女がミナをお側付きにと望んだ時、辺境伯は直ちに拒まれました。皇族の申し出にござりますぞ? 命にも等しきものではござりませぬか? 手前は異界のならいに疎うござるが、礼を失する行いではござりませぬか?」


「…………」


「手前が『コボルト皇女』と申した時、たしなめる気配もござりませんでしたな? 先程は平然と『腐っても皇族』とおっしゃいましたな? 何故でござりましょう? そして手前が帝室への忠誠に疑念を呈した時、『無礼だ』とも仰せになりませなんだ。むしろ、ご自身に疑念を呼ぶ行いがあったかとお尋ねになられた。これも何故でござりましょうか? 忠誠を誇るならば、まずは無礼を申した手前を叱責してもよろしいのでは?」


「…………」


「辺境伯のお答えによっては、皇女の扱いを改めねばなりませぬ。真に忠義の念がお有りならば、何があろうと皇女に手出しは致しませぬ。いえ、いかなる害意からも守り抜きましょう。されど、帝室に対して含むところ有りと仰せならば、皇女を野放しには致しませぬ。必要とあらば、お側付き共々撫で斬りに致しまする」


 辺境伯は一言も発せず、俺を止めることもしない。


「もう一度お尋ね申します。辺境伯は帝室に対する忠義の念、お有りにござりますか?」


 しばし、沈黙が下りた。


 ただ、答えが出るのに、大した時間は必要ではなかった。

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