第118.8話 ヴィルヘルミナの独白 その拾壱

「ええっ~! じゃあサイトー様とは何にもなかったんですか!?」


 昼食前の食堂で、ヘスラッハ卿が素っ頓狂な声を上げた。


 ロール卿とフルプ卿、それからシャルロッテ皇女殿下の侍女達も「サイトー様にまんまと嵌められた~!」と悔しそうだ。


「ヘスラッハ卿から冷静さを失わせるために、わざとあんなことを言ったんだろう。はあ……。シンクローの常套手段だな……」


「私は簡単に乗せられてしまったんですね……」


「巻き込まれた私にしてみればいい迷惑だが、端から見ればよくもあそこまで口が回るものだと感心するよ。決して褒める訳ではないが……」


「口先一つでいいようにされるなんて……。ああもう! 恥ずかしい!」


「ドロテア、あんただけじゃないわよ……」


「右に同じく……」


 恥ずかしさのあまり、顔を真っ赤にしているヘスラッハ卿に、ロール卿とフルプ卿が同調する。


 三人そろって「はあ……。修行のやり直しだ……」と肩を落とした。


「そこまで気を落とすことはないさ。私も最初はこんな感じだった」


「えっと……。素手で負けてしまったっていう……?」


「シンクローと初めて出会った時、私は至近距離から有無を言わせず斬り掛かったんだ。でもあの時は、森の木々を巧みに利用して躱され、組み伏せられた……。その次は真正面から斬り掛かったが、シンクローは剣を躱すでもなく、逃げるでもなく、むしろ私の懐に突っ込んで来た。動揺して動きが鈍ったところで手首を掴まれ、投げ飛ばされた……」


「あの人って姫様と同じ体術士なんですか? 腰に剣を差していたのに、さっきの試合では、結局最後まで剣を抜かなかったし……」


「シンクローが体術士? たしかにあの戦い方だけを見ていればそう見えるかもしれないが、剣もちゃんと使えるぞ。いや、むしろ剣の方が得意だと思う」


「え? ってことは……剣を使ったらもっと強くなるんですか?」


「少なくとも私では相手にならないと思う……。悔しいが……」


「ヴィルヘルミナ様が相手にならない……ですか?」


「嘘……。ヴィルヘルミナ様って女性騎士の中でも相当の遣い手だって思うんですけど……」


「ははは……。ロール卿、ありがとうごいます。お世辞でも嬉しい」


「あっ! ち、違いますよ! お世辞抜きにです! 正当な評価……と言うのはおこがましいですけど、誰に尋ねてもそう言いますって!」


「ハイディさんに一票です!」


「同じくハイディに一票! って言うか、サイトー様って私達と同年代ですよね? 何をやったらあんなに強くなれるんです!?」


「何をやったら、か……。そうだな……。『サムライ』だから、と言うのが答えになりそうだな……」


「「「「「『サムライ』?」」」」」


 全員が首を傾げ、頭に疑問符を浮かべる。


 仕方のない反応だ。


 初めて耳にする言葉に違いないのだから。


「『サムライ』と言うのは、シンクロー達の国の貴族や騎士……とでも思ってもらえばいい。彼らは自分達の領地や一族を守り、繫栄させるために、武芸の腕を磨き、学問を修めるんだそうだ。政治家であり、騎士であり、官吏でもある」


「えっと……。それだけ聞くと、帝国の貴族や騎士と特に変わらない気が――――」


「シンクローが言うには、『サムライ』は誕生してから七百年の間、戦乱に身を置きながら領地を治めてきた……らしい。特にここ百五十年くらいは、天変地異と飢饉が度重なり、戦の絶えない乱世が続いているそうだ」


「ひゃ、百五十年……ですか!?」


「いくらなんでも長過ぎません!?」


「って言うか国が亡ぶレベルですね……」


「一応国は滅んでいないそうだ。それどころか百五十年の間に農地は大きく広がり、産業は活発になり、人口も増えたと……」


「そ、それって何の魔法ですか?」


「いやいやいや! どっちかと言えば逆でしょ!?」


「どうしてそうなるのか想像が付かないんですけど……」


「乱世が続けば誰もが生きるのに必死になるだろう? 結果として、政治から無能な者は排除され、有能なものが取って代わった……らしいぞ?」


 証拠になるかどうかは分からないが、サイトー家の領地である『ミノ』の話をしてみた。


 山々は木々に覆われ青々とし、山間さんかんには水量豊富な川が幾筋も流れている。


 川の水量は豊富で、山から伐り出された良質の木材が筏に組まれ、次々と流れていく。


 その水はとても美しく、飲み水に困ることも、農業用水に困ることもないだろう。


 川で採れる淡水魚は淡白だが上品な味わいで、泥臭さとは無縁。


 村々の農地には穀物や野菜が豊かに実り、裏山では果樹や山菜、キノコ、薬草を採取できる。


 農民は様々な副業をしていて、現金収入は帝国の民よりはるかに多い。


 腕の良い狩人が数多くいて、山に入れば必ず猪や鹿、野鳥を獲って帰って来る。


 領内の各所には多種多様な職人達も住んでいる。


 領内で大量に取れる木材を原料や燃料に利用して、陶器、刃物、紙、木工品が生産され、『ミノ』の名産品だ。


 豊かな村々に支えられて、城下の町では商業が非常に活発だ。


 市場は様々な商品が所狭しと並び、数多くの買い物客で賑わっている。


 遣り手の商人が幾人もいる――――。


「――――と言う感じだな」


「何ですそれ……。農民の現金収入が多いとか、ちょっと信じられないって言うか……」


「どこの領地でも、農民って結構カツカツの生活をしているって思うんですけど……」


「精神魔法で領主や地主の脳ミソをパーにでもしない限り無理だね」


 シンクローが曰く、『御成敗式目から三百年、撫民ぶみん領知りょうちする者の務めである』…………ということらしい。


 『御成敗式目』が何なのか詳しく聞けていないが、おそらくは法律の類じゃないかと思う。


 異世界の『サムライ』にとって撫民は特別なことではなく、むしろ当然の義務くらいに考えているようだった。


 そのせいか、民も領主が善政を敷くことを、当然の常識くらいに思っているそうで、もしも悪政を敷いたなら――――。


「耕作を放棄し、姿をくらましてどこかへ逃げてしまう。しかも、徒党を組んでな。ひどいときには、たちまち武器を取って反旗を翻そうとする……。どちらに転んでも農地が荒れて税収は減ってしまうから、領主や地主にとっては大打撃だ。ただでさえ、普段から税金や労役の値引き交渉を仕掛けて来るらしいからな……」


「それ本当に農民ですか? 傭兵や野盗が農民のフリしてません?」


「間違いなく農民……だと思う……」


「あの……言い淀んでますけど……」


「自分の目で見たから確かだと思う……。思うが……」


 経験したことを思い切って話してみる。


 罪を犯した冒険者を制圧し、処刑しようとしていたこと。


 領内に侵入した魔物を独力で討伐したこと。


 敗残兵を追撃し、身ぐるみを剥がしたこと――――。


「いやいやいや! それもう農民じゃありませんって!」


「傭兵と冒険者と野盗を兼業してますよね?」


「現金収入の理由はそれなんじゃありません?」


「ま、まあ……。それも入っているだろうが、あくまで副収入……。臨時収入……だと思うぞ?」


「「「「「…………」」」」」


 全員が信じていない……いや、恐ろしい魔物を前にしたような顔付きに変わっていた。


「と、とにかくだ! 侮れない領民達が住んでいる訳だ! だから良い政治を心掛けねばならない! 外敵から守る力がないと知られれば、たちまち離反してしまうから、軍事力も整えなければならないんだ!」


「だから個人の武芸も磨いていると?」


「そ、そういうことだな……。そうだった! 言い忘れていたが、シンクローが身に付けている武芸は体術と剣だけじゃないんだった! 槍や弓も達人級だし、短剣一本でも私が勝つのは難しい! 去勢していない悍馬かんばを難なく乗りこなすほど馬術にも優れているし、『テッポー』という強力な武器も扱うぞ!」


「あ、あれだけ強いのに……。槍に弓……馬術まで……?」


「あの人って、自分の領地があって、辺境伯家の陣代なんですよね? 政治家……なんですよね? 何ですそれ? 人間ですか? 人間業なんですか?」


「いや~……。普通に聞いたら眉唾物……なんですけど、ヴィルヘルミナ様のお顔を見る限り、嘘付いてる雰囲気が全然ありませんしね……」


「き、気持ちはよく分かる……。でも、シンクロー達は異世界から来たんだ。私達の常識が通用しないのも仕方がない………………と思う……」


 私がそう言うと、お三方は顔を見合わせた。


 侍女達も互いにヒソヒソと話し合っている。


「あの……。ヴィルヘルミナ様、質問いいですか? ちょっと失礼かもしれませんけど……」


「何となく予想はつくが……。どうぞ、ヘスラッハ卿……」


「その……異世界って話……ヴィルヘルミナ様は本当に信じておられるんですか?」


「……ああ、もちろん信じているぞ」


「でも――――」


「ちなみにな、お父様とお母様、それから当家の屋敷に仕えている者達とネッカーやビーナウの住人達もその話を信じている」


 おかしな顔をする一同。


 だが、東の荒れ地を襲った大異変――荒れ地を覆い尽くした深い霧と辺境伯領を襲った地震の話、そして霧が晴れ、地震と共にサイトー家の領地が現れた話をする内、顔付きはみるみるうちに変わっていった。


「すっごいじゃないですか! 異世界人なんてまるで魔王討伐の勇者様みたいです!」


と、ヘスラッハ卿が無邪気に瞳を輝かせたと思えば、


「ちょ……! 何言ってんのよ、ドロテア! 異世界から来たってことは、向こうの世界からは消えたってことでしょ!? に、人間どころか城や村までなのよ!? こんなのホラーじゃない! の、呪いとかじゃないの!?」


と、ロール卿は顔を青くして震え、


「う~ん……。東辺境のことだから、てっきりどこかの異民族が辺境伯閣下に協力しているのかと思っていたけど……」


と、フルプ卿はぶつぶつと、冷静に事態を分析し始めた。


「あっ、そうだわ。ハイディ、呪いの他に全員がアンデッドって線もあるかもしれないわよ? 異世界の人々にとって、私達の世界は冥府であったのだ――――とか?」


「ちょっとイルメラ! どうしてあんたは冷静な顔でもっと恐い事を言うのよ!」


「ええ~! 勇者様の方が面白くありませんか!?」


 侍女達も含め、思い思いの感想を披露しあう。


 ただ、意見の大半は「やっぱりそうは言われても……」というものだった。


 お父様がして下さったホーガン様の『タチ』の話がこの場で出来ればよいのだが……。


 事は非公開の国宝に関する話だ。


 おいそれと口にすることは憚られる。


 どうせなら、今ここで例の地震の一つでも起こってくれればいいんだがな……。

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