第118.7話 姫様、折檻のお時間です その壱【後編】

「魔物討伐の目的が荒れ地の開墾とは限らないのではないでしょうか?」


 思わぬ言葉を口にするヘレン。


 驚く妾に構わず話を続ける。


「先帝陛下がお命じになられた開発は目論見通りに失敗。誤算があるとすれば、土地が荒れ果て魔物の巣窟を化したこと、でしょうか?」


「う、うむ。辺境伯家にとっては踏んだり蹴ったりの話じゃし、帝室にとっても痛い話じゃ。何に活用することも出来ん土地を生み出した訳じゃからのう」


「仰せの通りです。ただし、帝室にとって悪い話ばかり、とも申せません」


 淡々と話すヘレン。


 妾はしばし考えた後、ある事実に思い至った。


「……そうかっ! 魔物が棲み付く前、東辺境の最大懸念は異民族の存在じゃったな! ネッカー川東岸の、さらに奥地で暮らしておったという――――」


「仰せの通りにございます。帝国は彼らとは対立関係にはありませんでしたが、親密とも言い難い状況でした。我々とは価値観や文化が大きく異なる存在ですからね。建国時に互いの領分は決めましたが、決して帝国になびくことのない彼らを、歴代の皇帝は持て余していたようです」


「明確な敵ではないが、味方でもなく、さりとて中立でもないんじゃからな。さぞかし不気味な存在であったじゃろうて。一応交流はあったと聞くが……」


「アルテンブルク辺境伯家が細々と接触を持ち続けましたが、他には取り立てて交流はなかったようです。ネッカー川東岸の開発については、多少の抗議があったようですが……」


「何じゃと? そりゃ本当か?」


「帝都を出立する前に三十年前の外交文書を調べておきました」


「抗議の結果はどうなったのじゃ?」


「建国時の約定でネッカー川東岸は帝国領と定められています。異民族は抗議を取り下げるしかなかった……そのように記されておりました。ただし、残っていたのはわずか数行の記述のみでございます。よって十分な記録と言えるのか怪しいところです。真実だと断言することもはばかられます」


「ふむ……。そこは仕方ない。贅沢は言えんのじゃ。開発が失敗して荒れ地となった後はどうなっておる?」


「魔物を嫌い、居住地をさらに東方へ移したようです。これによって細々と保たれていた交流も完全に絶えました」


「不気味な存在が国境から遠く退いたか。帝国にとっては僥倖ぎょうこうじゃ」


「その代わりに魔物が棲み付きましたが、ネッカー川を越えることはまずないそうです。ならば、近隣の住民はともかくとして、帝国にとっては大した脅威と申せません」


「これにて東辺境は静謐か……。国防上の懸念が一つ、消えた訳じゃな?」


「はい。ですが、魔物討伐によって荒れ地から魔物が一掃される事態となれば、如何でしょうか?」


「…………アルバンとサイトーは異民族と接触するつもり、なのかのう?」


「あくまで推測に過ぎません。ただし、居住地を移さざるを得なかった異民族が、帝国に良い感情を持っていないことは間違いないでしょう」


「辺境伯家が異民族を呼び込み、帝国へ矛を構える事態となれば……」


「可能性は低いかもしれません。ですが、そうなれば最悪です。三十年に渡った太平の夢もこれにてお終いとなるでしょう」


「なんちゅうことじゃ!」


「皮肉なものですね。帝国は一時の平和を得る代わりに恨みを育て、国家存亡のときを迎えるのかもしれません」


「……育った恨みは実を付ける前に刈り取らねばならん。場合によっては先帝陛下にはお隠れになっていただく。帝国の平和には代えられんのじゃ。陛下も帝国の礎になるならば本望であろうよ」


 今上陛下は即位後しばらくの間、先帝陛下に対する配慮を惜しまなかった。


 先帝陛下は帝国歴代の名君の一人に数えられておるしの。


 一応は、その治世の間は平和であった訳じゃし。


 無下にすることなど許されん。


 流れが変わったのは三年前。


 レムスタール公爵が嫡男の騎士叙任をゴリ押しした一件に端を発する。


 先帝陛下は「死ぬ前に孫の晴れ姿が見たい」と公爵に同情を寄せ、後押しをなされた。


 孫を思う祖父の真心と思う者もいたが、国家の守り手たる騎士の叙任に私情を持ち込むなど以ての外だと憤る者も数多くいた。


 その後も先帝陛下は度々国政に口を出されたが、心ある者ならば首を傾げる話が少なくなかった。


 そのうち、次代の帝位継承にまで口を差し挟むようになられた。


 先帝陛下が推されたのはお気に入りの孫。


 物心もついておらぬ、まだ二歳の幼児じゃがな。


 帝位継承については皇帝陛下と選帝会議の専権事項。


 先帝と言えど、国法を犯す甚だしい越権行為に他ならぬ。


 公私混同だと公言する者まで現れた。


 もっとも、そんな者はいつの間にやら帝都から姿を消してしまったが……。


 こんな出来事が度重なるに及び、ついに、先帝陛下に背を向ける者が出始めた。


 先帝陛下が手を下した数々の陰謀の実情が今上陛下のお耳へ届くまで、大した時は必要ではなかった。


 かねて先帝陛下の口出しに苦々しい思いを抱いていた今上陛下は、少しずつ先帝陛下の路線を修正することに着手なされた。


 先帝陛下を排することも頭の内に入れてな。


 そして、先帝陛下が撒き散らした恨みの種の刈り取りを、ご自身が最も心を許し、信頼する姉妹に託すことになされた。


 即ち、姉皇女殿下ゲルトルートと、この妾じゃ。


 妾達には、母を同じくする姉妹と弟がおる。


 いずれも大切な者達じゃ。


 次代の帝位にさえ口を出し始めた先帝陛下の勝手を許せば、妾達にもどんな不幸が降りかかるか分からん。


 特に、まだ五歳の弟は要注意じゃ。


 帝国では帝位継承権を有するのは男子のみ。


 先帝陛下がお気に入りの皇子に帝位を継承させるため、他の者に何らかの手出しせんとも限らんからな。


 姉皇女殿下と妾は、今上陛下――父君の提案に一も二も無く賛同し、企てに加わることになった。


 こうして、じゃじゃ馬で暴れん坊の『コボルト皇女』が誕生したのじゃ。


 企てを進めるための隠れ蓑としてな。


 今や、妾が皇城の何処におろうと、儀式を怠けようと、誰も不思議に思わん。


「ああ……。また、コボルト皇女が遊んでいる」などと呆れるだけじゃ。


 くっくっく……。


 儀式のせいで官吏や騎士が出払った役所の中を調べて回るのは、赤子の手を捻るより簡単であったぞ?


 まあ、これまで出掛けて行ったのは精々帝都とその周辺だけじゃったがな。


 父君の企てに加わった時は、帝国の東辺境まで来るとは夢にも思わなんだのじゃ――――。


「やれやれ! 老いぼれの尻拭いのために、文字通り東奔西走するとはのう!」


「あら? そうなのですか? 『あちこち見て回れるのじゃ! ひゃっほう!』と小躍りしていたお方は何処どこ何方どなただったのでしょうか?」


「主は口真似が上手くなってきたのう……」


「お褒めにあずかり光栄です」


「別に褒めとらん!」


 言い返すと、ヘレンは「オホン……」と咳払いをした後、真面目な表情を浮かべた。


「……今更ではございますが、姫様が間諜の真似事をなさるのは気が進みません。危険過ぎます」


「分かっとる。じゃがのう、場合によっては先帝陛下を排さねばならぬ企てなのじゃぞ? 余人を以って任せられん。近衛にせよ、帝室密偵にせよ、大なり小なり先帝陛下の手が及んでおる。信頼できる者を拾い上げるだけで一苦労なのじゃ。人物を見極めるまで、姉皇女殿下と妾が動くしかあるまい」


「せめて、ヘスラッハ卿、ロール卿、フルプ卿には明かせませんか?」


「ならん」


「どうしてです? 姫様に対するお三方の忠誠の念に嘘偽りはないように見受けられます。姫様もお三方を信頼なさっておられるではありませんか。で、なければ、ヘスラッハ卿と二人きりで旅などなさらないでしょう?」


「もちろん信頼しておる。あ奴らには先帝陛下の手も入っておらん」


「でしたら……」


「あ奴らは良くも悪くも善良なのじゃ。隠し事をするのに向いておらん」


「その言い方ですと、わたくしは隠し事に向いた性格の陰険な女、のように聞こえますが?」


「なんちゅう捻くれた物の見方をするんじゃ! 主は!」


「冗談でございます」


「冗談か本気か分からんわ! 主を引き込んだのはのう! 識見豊かで人格申し分なしと見込んだ故にじゃ! 隠し事があっても意志強く隠し通し、巧みに躱して悟られぬとな!」


「そうですか。恐悦至極に存じます」


「とても喜んでおるように思えんが……」


「天にも昇る心地です。思わず『ひゃっほう!』と叫ぶ程度には」


「はあ……。分かった分かった」


「ところで姫様。お側付き騎士の件については、辺境伯閣下とヴィルヘルミナ様からお答えをいただいたのです。一度帝都へ戻り、出直しては如何かと……」


「いや、このまま留まり調べを続けるのじゃ」


「危のうございます。帝室に隔意かくいあるやしれぬ相手ですよ?」


「だからこそじゃ。左様な相手であればこそ、懐に入り込まねば真意は読めんのじゃ」


「姫様に手出しするかもしれません」


「己が手の内に飛び込んだ皇女に、これ幸いと手出しするやからであれば、むしろ与し易いのじゃ。取引を持ち掛ける余地もあろう?」


「……ご意思は変わらないようですね?」


「妾はともかく、主は侍女達を連れて早いとこ帝都へ帰れ。戦う力のある騎士は覚悟もあろうが、その力がない女官や侍女が――――」


「お断りします」


「何? こりゃ、ヘレンよ。妾が何のためにドロテア一人だけを連れたと思うておる?」


「余計な犠牲を出さぬためでございましょう?」


「分かっておるなら帰れ! 主が来ること、妾は命じておらんぞ!」


「見くびらないで下さいまし」


 ヘレンは冷たい目で妾を見下ろした。


「姫様に付き従う近衛騎士、女官、侍女……万一の時は姫様に殉ずる覚悟の元、お仕えしているのです。姫様の果てる地こそ、我らが果てる地にございます。己が知らぬ間に主君が死地に赴いたと知れば、皆、姫様の後を追いかねませんよ? 本当に、折檻が必要ですか?」


 静かな口調ながら決然と言い放つ。


 これはもう、何を言っても梃子でも動かんな……。


「はあ……。分かった。分かったのじゃ」


「ありがとうございます」


「とにかくじゃ、辺境伯家が帝室に隔意かくいを抱いておらぬか調べ上げるぞ。サイトーの動きは迅速じゃ。悠長なことは言うておれん。場合によっては、先帝陛下の首を取引材料にする。妾が来たのはそのためなのじゃからな……!」


「敵にならぬだけで御の字。味方になれば万々歳……と言ったところですね?」


「そういうことじゃ。さて、早速じゃが姉上に報告しておこうかの。例の糾問使の件もな。姉上なら良いようにするであろうが、念のためじゃ。やれやれ。書くことが多過ぎて難儀じゃわい」


「承知致しました――――あら?」


 ヘレンは窓の外をのぞき込む。


「ん? 何じゃ?」


「いえ……。今度はサイトー卿がヘスラッハ卿と戦って…………ああ、もう勝負が付きました。一瞬でしたね」


「何じゃと? ドロテアが一瞬で負けたじゃと?」


「はい。しかもサイトー卿は素手で戦っておられます」


「おいおいおい……。ドロテア相手に素手じゃと? いよいよホーガン様じみてきてはおらんか?」


 その後、ハイディとイルメラも素手のサイトーに敗北した。


 いずれも瞬く間の出来事だったと言う。


「負けたのに談笑しておられますね。さっぱりした性格の方々です」


「そういうところが善良なのじゃ」


「帝大の内部は嫉妬が渦巻きネチネチと陰湿でしたので、皆様を見ていると心が洗われる気分です」


「さよか……」


「ただ、少し心配ではあります」


「ん? 何がじゃ?」


「ヘスラッハ卿あたり、口を滑らせて余計なことを仰っていないでしょうか?」


「案ずることはあるまい。宮廷内の出来事は濫りに口外しないように申し伝えておるんじゃ。ドロテアも間の抜けたところはあるが近衛騎士。ハイディとイルメラもおる。口を滑らせればすぐに止めるじゃろうよ」


 後日、妾は自分の迂闊うかつさを呪うことになる。


 余計な腹芸はさせぬ方が良いと、妾の武力についてドロテア達に口止めしておらなんだことをな……。


 三人と、ついでに侍女たちはこう反論しよった。


「姫様の恥ずかしいお話ならともかく、名誉なお話までしゃべっちゃダメだなんて分かりませんよ! 姫様の悪い噂を払拭できるせっかくのネタなんですからね!? ダメならダメとハッキリ仰って下さい!」と――――。

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