第117話 「ぬるい勝負にござります」左馬助は挑発した

「サイトー様! 私が勝ったらうちの姫様に仕えて下さいませんか!?」


 ヘスラッハ殿が瞳を輝かせ、両手で俺の手を押さえた。


 ロール殿とフルプ殿も、


「私ともやりましょう!」


「戦うまで逃がしませんから!」


と、俺が逃げられんように左右の腕を押さえる。


「探しておられるのは女子の騎士でござろう? 男に用はないのでは?」


 努めて冷静に返してみたが、三人の興奮は収まらない。


「でも剣と魔法を使ったヴィルヘルミナ様に素手で勝ったんですよね!?」


「男に用はありませんけど、そこまで強い殿方を放置する理由もありません!」


「観念して私達と戦って下さい!」


 ミナが宥めに入ろうとするが、「じゃあヴィルヘルミナ様が仕えて下さるんですね!?」と申す故、まともに話も出来ぬ。


 いつの間にか「サイトー様に勝ったら、サイトー様とヴィルヘルミナ様が両方手に入る!」と話が捻じ曲げられてしまった。


 なんと強引な女子おなご達だ。


 どうしたものかと頭を悩ませておると、左馬助が苦笑しつつ口を開いた。


男子おのこを誘うに、色ではなく腕っ節を以って事をなそうとは、珍しき方々にござりますな……」


「うちの母上も似たようなものだと思うがな?」


「なるほど。御方様にお伝えしておきまする」


「止めろ! 俺の命が危ない!」


「冗談はさておき、立ち合えばよろしいではござりませぬか」


 左馬助の一言に三人が「さすがモチヅキ様!」と声を揃える。


 調子の良い女子達だ。


 出会ってからせいぜい一刻余りで「さすが」も何もないであろうに。


「本気で申しておるのか?」


「もちろんにございます」


「俺には斎藤家がある。辺境伯家陣代の御役目もある。軽々しい約束なぞ出来んわ」


「仰せの通り、若は斎藤家にとっても、辺境伯家にとっても、掛け替えなき御方。両家を背負って立つ御方にございます。であればこそ、この勝負、お受け下さりませ」


「何だと?」


「この勝負、命のやり取りをする代物ではござりませぬ。勝とうが負けようが命を失うことはござらん。言うなれば『ぬるい勝負』にござります」


「…………」


「かように『ぬるい勝負』を避けたとあっては、武士にとってこの上なき恥辱。斎藤家にとって末代の恥。若が見事に勝ちを収める以外に、道はないのでござります」


「万が一、俺になにかあったら如何にする?」


「御安心を。家中一同、弟君たる新五郎様を立派に盛り立ててみせまする」


 左馬助は真面目くさった口調で左様に申した。


 近習衆も、


「望月様の仰せの通りにござります」と春日源五郎が同調し、


「後顧の憂いなくお手合わせくださりませ」と秋山源三郎が続いた。


 さらに――――。


義兄上あにうえ、皆様の仰る通りです」


「クリストフ……。其方もか……」


「はい、僕もです。御安心下さい。義兄上の骨は僕が拾い、必ず三野の地へ届けます」


「縁起でもないことを申すな!」


「諦めろ、シンクロー」


「ミナまでか!」


「家臣や義兄弟にここまで言われては引けないぞ。それに……ヘスラッハ卿達の顔を見てみろ」


 いつの間にか静かになっていた三人の顔は、不満と怒りに歪んでいた。


 射殺しそうな視線で俺を見ておる。


「何故あんな目で見ておるのだ!?」


「『ぬるい勝負』という言葉が、相当頭にきているようだぞ?」


「申したのは左馬助だ!」


「シンクローも否定しなかったじゃないか」


「うっ……」


「何だかんだ言っても、シンクローも『ぬるい勝負』と思っているわけだ」


「……ミナよ。其方も申すようになったではないか」


「お前に鍛えられたからな。で? どうする?」


「……戦えばよいのであろう?」


 俺の味方はいないらしい。


 諦めて前に出る。


「さて、貴公らの先鋒は誰だ? 三人まとめてでも構わんぞ?」


「私です!」


 木剣を進み出たのはヘスラッハ殿だ。


 肩を怒らせ、鼻息は荒い。


「少々力み過ぎでは?」


「問題ありません! 『ぬるい勝負』と言われてちょっとムカッとしただけです! それに……」


「ん? 他にもあるので?」


「ずっと思ってたんですけど、サイトー様ってヴィルヘルミナ様に馴れ馴れし過ぎませんか? 『ミナ』って愛称で呼んだりして……。辺境伯家の陣代なんですよね? 立場的には一応家臣ってことなんですよね? ちょっと分不相応と言うか……」


 うむ……。


 小さな不満の火種が「ぬるい勝負」の一語で燃え上がってしまったか?


 余計なものを引き寄せてしもうたな。


 厄介なことよ……。


「では、如何にせよと申される?」


「もっと丁重に接して下さい! サイトー様はヴィルヘルミナ様への接し方がすごくぞんざいなんです! ヴィルヘルミナ様はそんな扱われ方をしていいお方ではありません!」


「やけに拘るな。貴公、ミナに懸想けそうでもしておられるのか?」


「け、懸想……! ち、違いますよ! ヴィルヘルミナ様は宮仕えしている女性騎士や侍女にとって憧れのお方なんです! 『ホーデン・ツェシュトゥーア』の一件があってから、下劣な行為に走る連中はグッと減りました! 勇気を持って抵抗する子も増えました! 皆、ヴィルヘルミナ様に感謝しているんです! 姫様に仕えて下されば、どんなに心強いか……!」


「ふむ……。ミナに挑んだのもそのせいかな?」


「そうです……! だから無礼と思われても、どうしてもヴィルヘルミナ様には一緒に来ていただきたかったんです!」


 ロール殿とフルプ殿、侍女たちが「そうだ! そうだ!」と後押しの声援を送る。


 ついでに下劣な連中の所業に対する怒りが、何故か俺に向いているようだ。


 おい、ミナ! 其方は何を嬉しそうに笑っているか!?


 まったく人が窮地にあるというのに!


 なんとも居心地が悪いことよ!


 しかし、これは面白いかもしれん。


 騎士から侍女まで良い具合に、頭に血が昇っておるからな……。


 この際だ。


 煽るだけ煽ってみよう――――。


「――――ヘスラッハ殿。貴公の言い分は分かった」


「それなら、私が勝ったらヴィルヘルミナ様への態度も改めて下さい!」


「それは出来ん相談だ」


「どうしてです!?」


「簡単な話よ。俺とミナはな、抱き寄せたり、押し倒したり、香りを嗅いだりする間柄なんでな」


 歓声が止んだ。


 皇女の側付きだけではない。


 辺境伯家の家人けにんも口をあんぐり開けて沈黙している。


 我が家中の者は……。うむ。含み笑いをしておるわ。


 嘘は言っておらんからのう。


 地震が起こった時にはミナを守るため覆い被さった。


 夜の戦場を一人で出歩いたミナに戒めとして抱き寄せた。


 市門から飛び降りたミナを受け止めた時に髪の香りも嗅いだ。


 極めて端的に申したが、決して嘘は申しておらんからな。


 真の話……そう、真の話なのだ!


 だがしかし、皆と共にしばし沈黙していたミナは、俺が申した言葉をようやく理解出来たのか、頬を真っ赤に染めて慌てて両手を振る。


「ち、違う! 違う違う! 違うんだ!」


「ほう? どう違う?」


「わ、私が望んだわけじゃない! シンクローが……」


「分かり……ました……」


 ヘスラッハ卿がユラリと動く。


「ヴィルヘルミナ様が望んだ訳じゃないんですね? それなのに、押し倒したり、抱き寄せたり、匂いを嗅いだりしたんですね?」


「まあ、本人は承知しておらんかったな」


「分かりました……。サイトー様も……女の敵、でしたか……」


「ふ~む……。そうなるのか?」


「なります! さあっ! 剣を構えて下さい!」


「不要だ」


「は? どういうつもりです!?」


「ミナとは徒手としゅで戦って勝った。貴公は魔法も使えぬのだろう? ならば余計に徒手としゅで十分だ」


「……後悔させてあげますよ」


「面白い……。クリストフ、始めよ」


「わ、分かりました。では……両者構えっ!」


 木剣を正眼に構えるヘスラッハ殿。


 対する俺は、左足を前に、右足を後ろにして、半身はんみに構えた。


 両腕はだらりと垂らし、やや前傾の姿勢を取る。


 そして、左のかかとを心持ち浮かせた。


「……その構えは何です?」


「戦えば分かる」


「そ、それでは…………始めっ!」


「はあああああああああああっ!」


 ヘスラッハ卿が猛然と迫る。


 木剣を振り上げ、斬り掛かって来る!


 狙いは……半身はんみに構えた、俺の左肩だ……!


 今まさに木剣が左肩を打ち据えんとする瞬間、素早く左足を引いた――――。


「なっ……!」


 右足を軸に半身の身体は半回転。


 左肩があった場所には何もなく、木剣はむなしく空を切るのみ。


 前のめりに体勢を崩すヘスラッハ殿。


 勝手にこちらの間合いに入って来る。


 引いた左足で木剣を強く踏みつける。


 ヘスラッハ殿の体勢はさら崩れ、木剣も取り落とした。


 流れに乗って、左手で手首を掴んでこちらへ引き寄せ、次いで右手で襟首を掴み、己の身体を支点に投げ飛ばす。


「がはっ……!」


 背中から地面に落ちる。


 予想もしない動きだったらしく、まともに受け身も取れていない。


「くう…………! あっ……!」


「俺の勝ちだな?」


 拾った木剣をヘスラッハ殿の顔に突き付けた。


 ヘスラッハ殿は唇を噛んだ後、「参った……」と呟いた。

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