第102話 「義兄上に歯向かうかもしれません」クリストフは挑発的な笑みを浮かべた

義兄上あにうえ! クリストフ、只今戻りました!」


 カロリーネの件があってから一刻ばかり後、クリストフは赤備あかぞなえの鎧を着たまま、喜びを隠し切れない様子で扉を開けた。


「えらく嬉しそうではないか?」


「当たり前です。ようやく義兄上あにうえにお会い出来たのですから!」


「おお。そうかそうか」


 まるで忠犬のように瞳を輝かせている。


 もしも尻尾があったなら、千切れんばかりに振り回しておるに違いない。


「ブルームハルト領の仕置は首尾良くまとまったか?」


「はいっ! ヨハンとエトガルのお陰で滞りなく! 子爵本領と分家領は完全に押さえました!」


 ブルームハルト子爵とモーザーの釜茹でが終わった後、さらなる反抗の芽を摘み取る為、辺境伯に反旗を翻した寄騎貴族や辺境伯家家臣の領地には兵を遣わした。


 今もなお、藤佐とうざ隼人はやと山県やまがたら主だった将は各地の押さえに動いておる。


 これまでのところ、敵方の抵抗は微々たるもの。


 此度の戦に家臣の大半を連れ出したため、抵抗のしようがないからだ。


 とりことなった寄騎貴族の一族郎党共が、大人しく使者を寄越したのは、早々に抵抗を諦めたからに他ならない。


「本家の重臣共は大人しく従ったか?」


「本領に残された家臣は父から疎まれていた者ばかりでした。父は従順でない者に手柄を立てる機会を与えまいとしたようです」


「ほう? 子爵が疎んでおったと? では、まともな者達なのであろうな?」


 俺が申すと、クリストフは苦笑しつつ頷いた。


「父の拙劣な領地経営や横暴な振る舞いに意見して遠ざけられたのです。僕を新たな子爵家当主と仰ぎ、仕えたいと申し出てくれました」


「分家の方は如何であった?」


「当主が戦死した家には仇討ちだと意気込む者もいましたが、同行して下さった長井様の手により封じられました。当主が捕虜となった家は、表面上は抵抗を諦めた素振りを見せています。捕虜の身から解放する事が先決だと考えているようですね。こちらはヨハンとエトガルを見張りに付けています」


「解放、のう? くっくっく……、それも言うほど簡単ではないのだがな……」


「はい?」


「いやなに。其方に帰って来てもらったのは他でもない。今後の子爵本領と分家領を如何にするか、改めて相談したくてな。抗う者がおることを前提に、一戦辞せずの覚悟で其方らを向かわせたが、こうもあっさり収まるとは思わなかったわ」


「抗ってくれた方が楽でした。そうすれば躊躇いなく討ち取る事が出来ます。戦後の処理に頭を悩ませる必要もなかったのですが……」


 クリストフは笑顔のままでそう答えた。


 うむうむ。


 九州衆の中で揉まれただけあってこ奴も斯様に考えるようになったか。


 此度は銭貨財宝を漏れなく奪い盗る事を優先したが、戦の中で討ち死にしてくれた方が、何かと都合がよい事も多いからのう。


 俺達が頷き合っていると、ミナが「クリストフ殿が完全に毒されてしまった……」などと肩を落としていた。


「ブルームハルト一族の領地なのだがな、全て子爵本領とし、其方に治めてもらいたい」


「えっ!?」


「何を驚く? 分家領は元をたどれば子爵本領より分与されたもの。分家が断絶となれば、子爵本領へ戻すのが筋であろう?」


「分家が断絶? 跡継ぎが残っている家もありますよ!?」


「ブルームハルト子爵は此度の戦の首魁。その罪は他の寄騎貴族に比べて重い。故に、ブルームハルトの一族には詫料わびりょうの支払いに加え、爵位と領地の返上を申し渡す。当主が討ち死にしていようと、とりこになっていようと、沙汰は同じだ」


 辺境伯領を、引いては斎藤家の領地を守っていくためには、敵の力を削ぎ、味方の力を強めねばならない。


 ブルームハルト一族は、俺や辺境伯の敵。


 同族のクリストフにとっても足を引っ張る存在でしかなく、残せば害悪にしかなるまい。


 左様に申すと、クリストフは不敵な笑みを浮かべた。


「よろしいのですか? 力を付けた僕が、義兄上あにうえに歯向かうかもしれませんよ?」


「愛くるしい仔犬のように『義兄上! 義兄上!』と申す者が、俺に歯向かうだと?」


「あ、愛くるしい……。や、止めて下さい! 僕だって……もう一端いっぱしの武士なんですからっ!」


「くっくっく……、ならばいつでも相手をしてやる。歯向いたくなったら何時でも来い。鎧袖がいしゅう一触いっしょくにしてくれる」


「望むところです……!」


 クリストフは、どこか嬉しそうに朗らかな笑みを浮かべた。


「あ~…………ちょっといいか?」


 ミナが呆れ顔で口を挟んだ。


「何だ? 余韻に浸らせてくれてもよかろう?」


「そうですよヴィルヘルミナ様! 義兄上あにうえが僕の挑戦を受けて下さるんですよ!」


「……いい加減に『アレ』に気付いてもらえないだろうか?」


「『アレ』?」


 クリストフは首を傾げ、ミナの指差す方向へ目をやった。


 果たしてそこには、猿轡さるぐつわを噛まされ、目隠しと耳栓をされ、さらには荒縄でグルグル巻きに縛り上げられた娘が一人、転がされていた。


 見た目は完全に地に落とされた蓑虫みのむしだ。


「!!!??!?!!!???!!!!!」


 クリストフは声にならない悲鳴を上げ、直ちに俺の後ろに隠れた。


 腰に腕を回して離そうとしない。


 しかもえらく震えている。


 ミナが「どうした? 気分でも?」と声を掛けたが何かブツブツとか細い声で呟き、まともに答えようともしない。


「クリストフ? しっかりせんか! おいっ!?」


 強く肩を揺すると、「ビクリっ!」と大きく震え、ようやく顔を上げた。


「……ど、ど……ど、どどどどどうしししししししし……!?」


「落ち着け。舌が回っておらんぞ?」


「どどどどどど……どうしてあの人がっ!?」


「だから落ち着かんか。何を左様に慌てておるのだ?」


「て、帝都で……帝都で……」


「帝都?」


「ずっと……ずっとあの人に付きまとわれていたんです! い、一方的に……恋人だとか、婚約したと迫って来て……!」


 ミナが何か思い出した様子で「ポンッ」と手を打つ。


「もしかして、帝都で流行りの『ストーカー』というやつか?」


「そうですっ! それですっ!」


と、その時。


 蓑虫がクリストフの声に反応したかのように、僅かに顔を動かした。

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