第101話 「この泥棒猫!」ミナは罵声を浴びせられた

「この泥棒猫!」


 高飛車な金切り声が響く。


 マルバッハ男爵の娘は部屋に入るなりミナを睨み付け、名乗る事も、挨拶を交わす事も無く、開口一番に悪口あっこうを吐いた。


 源五郎と甚太郎がすぐさま娘を取り押さえる。


「離しなさい! 陪臣ばいしん風情がこのわたくしに触れるなど……無礼なっ!」


「無礼はこちらの台詞にござります! 主も同然のミナ様への雑言ぞうごん、見過ごせませぬ!」


「雑言には相応の報いを以って応ずるが武家の習い! 女性にょしょうであっても容赦致しませぬぞ!」


「なんて厚顔無恥なんでしょう! そこの破廉恥な御方が何をなさったか……分かって言っているの!?」


「何事にござるか!?」


 室内の騒ぎが聞こえたのであろう。


 廊下で取次をしていた十河孫六郎や見張りの者が駆け付ける。


 娘は余程にミナを憎らしゅう思うておるのか、大の男に腕を掴まれ、肩を掴まれても、なお振りほどこうとする。


 二人掛かり、三人掛かり、四人掛かりと次々と人数を増やし、ようやく五人掛かりとなったところで無理やり椅子に座らせた。


 座らせた後も、 源五郎達が左右と後ろから娘の肩や腕を掴んで椅子に押さえ付けている。


 それが気に食わないのであろう。


 娘は源五郎達に悪態をつき始めた。


 ミナへ顔を寄せ、小声で尋ねてみる。


「……おい、ミナよ? 何なのだ? この娘は……?」


「マルバッハ男爵家のカロリーネ嬢だ……」


「名を尋ねておるのではない。あの娘が来る前、其方何か申そうとしておったであろう?」


「……マルバッハ男爵家は帝国屈指の名門レムスタール公爵家の分家の一つ……でだな……。と言っても、分かれたのは二百年近く前なんだが……」


「公爵は辺境伯より上の身分か?」


「ああ、そうだ……」


「要は家柄を鼻にかけた、鼻持ちならない娘なのだな?」


「そ、そう言ってしまうと身も蓋もないんだが……大きく間違っている訳でもない……な……」


 ミナが言葉を濁す。


 だが、カロリーネの態度と源五郎達への「陪臣風情」という台詞から大凡の見当はついていた。


「公爵は辺境伯より上の身分。故に其方に対しても無礼な態度をとる、か」


「そんなところだ……。いちいち相手をするのに疲れ果てていたんだ。ここ一年ほどは会わずに済んでいたのに……」


 ミナが「はあ……」と小さく溜息をついた。


「帝都へ遊学していたはずなんだが……。いつの間にか帰っていたんだな……」


「しばらく会っておらなんだにしては、えらく怒り狂っておるではないか? 泥棒猫とか申しておったぞ? 男でも取り合ったか?」


「馬鹿な事を言わないでくれ!」


「左様か。ミナは俺一筋だからな? くっくっく……」


「ち、違う! そうじゃない! そうじゃなくて……もう! とにかくまったく覚えがないんだ!」


「困ったのう……。カロリーネとやらに尋ねてみるか?」


「とてつもなく気が進まない……」


「案ずるな。あの高飛車な高慢ちきの相手は俺がしてやろう」


「誰が高飛車で高慢ちきですって!?」


 聞こえたらしい。くっくっく……。


 カロリーネは源五郎達への悪態を直ちに中断し、俺達を睨みつけた。


「こんな……こんな侮辱を受けたのは初めてですわ!」


「くっくっく……。あな恐や……。鬼婆の如しよのう」


「何ですって!?」


「若、面白がって御令嬢を挑発するのはお止めください」


 左馬助がカロリーネに話しかけた。


「御令嬢、何事かお怒りの御様子にござりますが、手前共には皆目見当もつきませぬ」


「白々しい台詞ですこと!」


「左様にござりますか。では、それが辞世の言葉でよろしゅうござりますな?」


「……え?」


「当家の者が申したではありませぬか? 雑言には相応の報いをもって応ずるが武家の習い。それでは首を差し出されよ。なに、瞬く間に終わりまする。痛みを感ずる間はござらぬ故……」


 左馬助が打刀に手を掛けた。


 顔は笑っているが目が座っている。


 殺意が漏れ出ておるわ。


「一つ忘れておりました。若、マルバッハ男爵家は族滅でよろしゅうござりますな?」


「うむ。男爵家は談判致すつもりがないようだ。一族郎党まとめて死出の旅に送ってやるとしよう」


「はっ。然らば――――」


「お、お待ちなさい!」


「おや? 辞世は済んだのでは?」


「死ぬつもりなどありませんわ! わたくしはその女……ヴィルヘルミナ様を糾弾せねばならないのですから!?」


「糾弾……にござりますか? はて? ミナ様が御心当たりのない御様子にござりますが?」


 左馬助の言葉に、ミナが「うんうん!」と何度も首を縦に振った。


 だが、カロリーネは瞳に憎しみをたたえてミナを睨みつける。


「おとぼけにならないで! あなたがクリストフ様をたぶらかしたのでしょう!? この色情魔!」


「……………………は?」


 ミナは目が点になった。


 この娘は何を申しておるのか?


 俺も左馬助も、近習達もミナと同じ気持ちだった。

 

 だが、カロリーネはお構いなしに続けた。


「純真なクリストフ様を色香で誑かし……御父上のブルームハルト子爵に背くよう仕向けたのですわ!」


「わ、私はそんな真似は……!」


「この期に及んでまだ嘘を!? このわたくしの……婚約者であるクリストフ様を奪われたわたくしの前で、よくもそんな見え透いた嘘がつけますね!?」


「…………はあ!?」


 ミナが素っ頓狂な声を上げた。


「おい、ミナよ。婚約者とか申しておるが?」


「い、いや……そんな話は初耳なんだが……」


「俺も初耳だ」


「わたくしとクリストフ様は帝都で愛を育んでいたのですわ!」


 カロリーネが胸を反らせ……る事は押さえ付けられて出来なかったが、あたかも左様な様子で自信満々に答えた。


「……クリストフも先頃まで帝都で遊学しておったな?」


「わたくし達は帝都で仲睦まじく平和な日々を送っていたのですわ! ところがある日、クリストフ様は唐突に姿を消してしまわれて……。八方手を尽くして調べた結果、領地へお戻りになった事が分かったのです! わたくしも後を追ってこちらに戻って参りましたわ! ですが肝心のクリストフ様は行方不明で……!」


「行方が分かったかと思えば、辺境伯の側におり、もはや会うことも叶わなかった、と?」


「そうですわ!」


「それがどうしてミナが誑かしたことに繋がる?」


「決まっています! 純真なクリストフ様が……わたくしに愛を囁いて下さったクリストフ様がわたくし達と敵対するなんて……そうとしか考えられません! 皆そう言っていますわ!」


 カロリーネは勢い込んで立ち上がろうとし、再び源五郎達に「大人しくなさいませ!」と押さえ付けられた。


 もちろん、再び源五郎達に対する悪態が雨霰と再開する。


「……なあ、シンクロー? 私がクリストフ殿を誑かしたと……本当にそんな噂が広まっているんだろうか?」


「少なくとも俺は聞いておらんぞ。左馬助は如何だ?」


「同じく。若やミナ様の悪評が立っておれば、配下の者が直ちに知らせて参ります」


「で、あろうな……。だが、真に悪評が広まっておる様であれば見過ごせぬ。クリストフとカロリーネの件も含め、真偽は糺しておかねばなるまい」


「クリストフ殿は夕刻にブルームハルト領からお戻りになる御予定にござります」


「うむ。真偽が明らかとなるまで、マルバッハ男爵家の仕置は留め置く事とする。ミナもよいな?」


「もちろんだ! 濡れ衣は晴らして――――」


「――――観念なさい!」


 カロリーネがミナの言葉を遮る。


「寄ってたかって押さえられておきながら何を申すか。観念と申す言葉は、今の其方にこそ相応しい言葉ぞ?」


「ふふふ……。そんな減らず口も今の内ですわ! 間もなく帝都から糾問使きゅうもんしが派遣されるのですから!」


「糾問使? 何のとがただすのだ?」


「決まっています! あなた方がアルテンブルク辺境伯領の政治をほしいまま壟断ろうだんし、寄騎貴族を不当に弾圧してきた件を糺すためですわ!」


 恣に壟断していたのはゲルトとカスパル。


 そして寄騎貴族が弾圧されておるのは自業自得だと思うんだがな?


「……どちらも身に覚えがないな?」


「なら糾問使にそう釈明してご覧なさい? もっとも、そんな言い訳は聞き入れてもらえないでしょうけど!」


「ほう? えらく自信があるようだな?」


「当然ですわ! 糾問使の派遣はわたくしが要請したんですもの!」


 カロリーネは居丈高いいたけだかに言い放つ。


「御存知ないようだから教えて差し上げます! わたくし、遊学中は帝室の方々と親しく交友させていただきましたの! ゲルトルート皇女殿下とは特に親しく……」


 ミナが頷いた。


 ゲルトルート皇女とやらは本当にいるらしい。


「殿下は帝室きっての才媛と名高く、廷臣諸卿の信も厚いお方。あなた方の罪が裁かれるのも時間の問題ですわ!」


 カロリーネは勝ち誇ったように宣言した。

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