第三章 帝都の客人

合戦30日前

第100話 「やれ」新九郎は無慈悲に命じた

「どうか! どうか御慈悲を!」


 ネッカーの辺境伯邸の一室。


 白髪交じりの髪を丁寧に整えた初老の男――アルテンブルク辺境伯家の寄騎であるヴァイプ騎士爵家の執事は机を乗り越えんばかりに身体を乗り出した。


 ――――が、脇に控えていた近習の春日かすが源五郎げんごろう安宅あたぎ甚太郎じんたろうに両肩と両腕を掴まれ、椅子へ押し付けられるように強引に座らされてしまった。


 二人の力が少し強過ぎたのであろう。


 異界において執事が着るらしい黒色の羽織は、糸がほつれて袖が取れかかっている。


 俺の隣に座るミナが口を開きかけたのだが、執事はまったく気付かぬ様子で続けた。


「どうかお許しください! そ、そんなことを受け入れれば……当家は……当家は破産してしまいます!」


 ヴァイプ騎士爵家はブルームハルト子爵の誘いに乗り、此度の戦に兵を出した。


 当主自ら兵を率いてな。


 そして三野郡へ攻め込む軍勢に加わり……数多の兵が討ち死にした。


 ヴァイプ騎士爵自身は、山中を逃げ回っているところを民の手によって生け捕りにされた。


 近辺の村まで連れていかれ、身ぐるみを剥がされ、衆目の面前で首を落とされそうになっていた正にその時、エトガル・ブルームハルトを連れた母上が通り掛かった。


 エトガルによって身分が明らかとなったため、そのままとりことなったのだ。


 ネッカー川の戦場にて虜とした者共と同様に、ビーナウで母上とカサンドラに始末してもらおうと思っていたが、恐怖のあまり腰くだけとなったため命を繋いだ。


 手勢を率いる立場の者が、情けなき次第よな。


 だが、せっかく助かった命だ。


 大いに生かして――いや、活かしてやらねばならん。


 故に、虜となった者は、辺境伯へ弓引いた詫料わびりょうも含めて相応のぜにを払えば解き放つと、各家には書状を送り付けてやった。


 なんと慈悲に溢れた仕置であろうかのう? くっくっく……。


 ところがだ、斯様に慈悲を示しておると申すのに、この執事は詫料が高いのどうのと口答えを続けて一向に首を縦に振らん。


 困ったものよ……。


 と、そこで、 左馬助が満面の笑顔で執事に近付いた。


「破産? だからどうしたと申されるので?」


 顔は笑っているが、腹の底には邪な企みを潜ませているに違いない……。


 見る者に左様な思いを抱かせる悪意に満ち満ちた笑顔だ。


 執事は肩を小さく震わせた。


「我らは貴家が破産なさろうと一向に構いませぬ。払うものを払っていただけるならば、ね……」


「そ、そんな……」


ぜにで手打ちにしようと申しておるのでござりますぞ? 貴殿の主がなした罪を――寄親たるアルテンブルグ辺境伯へ弓引いた罪を思えば破格でござろう? しかも虜となった者を解き放つおまけつき。良い買い物ではござらぬか?」


「し、しかし……! 御家が破産しては元も子も……! い、いえっ! 破産しても払い切れません!」


「払えぬならば、貴領の年貢取り立ての権を担保としてもよろしゅうござるぞ? いえ、いっその事、領地を差し押さえますかな?」


「差し押さえ……!」


「驚く事はありますまい? 借銭しゃくせんの返済に窮した者が、領地を売り払った話くらい、耳にされた事はありましょう? 此度の話もよう似た話。掃いて捨てる程によくある話にござります」


「お待ちください! 当家の領地は帝室から――――」


「――――族滅ぞくめつがお望みかな?」


「……………………は?」


 左馬助の一言に、執事はずいぶん長い間ぽかんとしてから、目を丸くしつつ、声を漏らした。


「優しくすれば付け上がる……。日ノ本も異界も変わりませぬな。もうよろしい。貴家の一族郎党、女子供、赤子に至るまで悉く族滅し、後腐れなく領地をいただく事と致しまする」


「な……な…………」


「若? よろしゅうござりますな?」


「やれ――――」


「お待ちください! お待ちください!」


「ほう? 受けると申すか?」


「わ、わたくしの一存では……」


「ならばさっさと帰って許しを得てくる事だ」


「し、しかし……どのように説得を――」


 話の途中で「ダンッ!」と机を叩いてみせる。


「生きるか死ぬか選べと申せ! これ以上四の五の抜かすなら、この場で貴様を叩っ斬り、騎士爵家は族滅ぞ!?」


「は、はいぃぃぃぃぃっ!」


 怒鳴り付けると、ヴァイプ騎士爵家の執事は慌てて立ち上がり、扉へぶつかるようにして部屋を出ていった。


「ふう……。ようやく終わったわ」


「なあ、シンクロー……」


「ん? 如何した、ミナ?」


「……捕虜解放のために代償が必要な事は分かるんだが……、さすがに騎士爵一人に金貨二百枚は高過ぎないか?」


「何を申すか。当主が無事に解き放たれるのだ。安いものではないか」


「ヴァイプ騎士爵家の収入五年分だぞ?」


「足りなければ借銭しゃくせんすれば良い」


「落ち目の騎士爵家に気前よく金を貸す者がいるとは思えないが……」


「ならば年貢なり、領地なりを差し押さえるしかあるまい」


「結局それが狙いなんだろう?」


「分かっておるではないか。一度弓引いた者はまた弓を引く。安易な誘いに乗った者ならば尚更なおさらだ。左様な者に隣近所で力を持っていられては困る。二度と足腰立たぬよう、財産は反故ほご一枚に至るまで悉く奪い盗る。惨めな末路を辿ってもらう事としよう」


 俺が「くっくっく……」と笑うと、ミナはこめかみを押さえつつ首を振った。


「それにしても回りくどい事をするんだな? シンクローなら、さっさと首を斬って財産を奪ってしまうのかと思っていた」


「それも手ではある。手ではあるが……」


「何だ?」


「残された者が抗う道を選ぶかもしれん。当主のあだを討つなどと意気込まれては厄介だ。城を枕に討ち死になどと覚悟を決められてはさらに厄介。いくら兵を損なう事になるか……。城に火でも放たれてみよ。銭貨財宝も灰と消えようぞ」


「没落しても生き残れば復讐を試みるかもしれないぞ?」


「惨めな末路、と申したであろう? 大人しく姿を消すならばよし。だが消さないならば……。のう? 左馬助?」


「はっ。我ら忍衆、姿を消す手伝いをしてやろうかと思うておりまする」


 左馬助は人畜無害そうな笑顔を浮かべた。


 ただし、目の奥は全く笑っていない。


 源五郎と甚太郎が「我らは聞いておりませぬ」と言いたげに目を逸らした。


 ミナも形の良い眉を顰めて「聞きたくない」と首を振る。


 ううむ……。眉間に皺を寄せ、少し嫌がる風な顔にもそそるものがあるのう――――。


「――――申し上げます」


 部屋の外から近習の十河そごう孫六郎まごろくろうの声がした。


「マルバッハ男爵家より使者が参っております」


 マルバッハ男爵もヴァイプ騎士爵と同様に、ブルームハルト子爵の誘いに乗って兵を出した寄騎貴族。


 ビーナウの寄せ手に加わらず敵本陣に居残っていたが、九州衆に攻め立てられ、兵の半分以上を失っておる。


 男爵自身は手傷を負いながらも、運が良い事に九州衆の追い討ちから逃れ、生き残った。


 こちらは当主に加え、跡継ぎの長男も生け捕りになっている


「よし、では早速通せ」


「いえ、それが……」


「如何した?」


「当の使者が女性にょしょう……それも若い娘にござります。男爵の息女だと申しておりますが……」


「こちらから送り付けた書状は持っておるのか?」


「はっ。それは確かに」


「ならば構わぬ。通してやれ」


「承知致しました」


 各家の使者は、執事や騎士など家臣が来ることもあれば、妻や息子など親族が来ることもある。


 娘が来るのは初めてだが、当主とその跡継ぎが虜となっているのだ。


 娘が使者に立っても不思議はない。


 さて、マルバッハ男爵家はヴァイプ騎士爵よりも遥かに大身だ。


 忍衆によれば、石高で見積もって五千石から六千石程度の領地を持っているらしい。


 先のヴァイプ騎士爵は、いくら大きく見積もってもせいぜい千石――村二つか三つ程度の領主でしかなかった。


 こちらにはいくら払ってもらおうか?


 頭の中で銭勘定をしておると、ミナが顔色を曇らせて「シンクロー……」と俺を呼んだ。


「ん? 何だ?」


「……いや、マルバッハ男爵なんだが――――」


「――――こちらにござります」


 ミナが口を開きかけた時、扉の向こうから孫六郎の声が聞こえた。


 使者が参ったのであろう。


「悪いがミナ。話は後だ」


「あ、ああ……」


 何故だろうか? ミナはどこかソワソワと落ち着かない。


「ようやく、ですねのね――――」


 孫六郎が報せた通り、使者の声は若い女子のものだった。


 不機嫌そうな様子で、孫六郎に何事が申しておるようだ。


 扉が開くと――――。


「――――失礼致しますわ!」


 とげの有る声と共に姿を見せたのは、華美な服に身を包んだ十六、七の娘であった。


 娘は高飛車そうな顔付きで俺を――いや、ミナを睨み付けていた。

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