本能寺の変【中編】

「俄かには信じがたき事にござります。然り乍ら、左様に答えたのは一人、二人ではござりませぬ……!」


 竹腰は噛んで含める様に言葉を続けた


 どうやら思い違いとは言い切れぬ話らしい。


 しかし惟任これとう殿が洛中で焼き討ちだと?


「――――上様は……上様と三位さんみの中将ちゅうじょう様の御身は……!?」


「分かりませぬ……。ただ……」


「ただ? 何だ? 申せ……!」


「御二方共に、惟任日向守様の手に掛かって討ち死になされた、と申す者もおりまする」


「馬鹿な……! 惟任殿が謀反……? 馬鹿を申すなっ……!」


 思わず声を荒らげ、竹腰の肩を掴む。


 藤左衛門と右近がすぐに止めに入った。


 周囲の者共が何事かと俺に目を向ける。


 藤左衛門が「控えよ! 案ずる事はない!」と声を張る。


「……済まぬ」


「お気になさらず」


「真に上様と三位中将様は……?」


「討ち死になされた事を確かめた者はおりませぬ。左様に申す者もおる、と言う事にござります」


「では、別の事を申す者もおるのだな?」


「はっ……! ある者は上様が三位中将様を成敗なされたと申し、またある者は三位中将様が上様に刃を向けたと申しております。あるいは、上様が徳川様を討ち取られたとも……。惟任日向守様は上様や三位中将様の御手勢となって動かれたのだと申す者もおります」


「何だそれは……。話がまるで異なるではないか……」


 誰も仔細を承知してはおらぬようだ。


 何が真なのであろうか?


 とは申せ、確かな事もある――――。


「――――少なくとも、惟任殿が此度の件に関わりある事は間違いあるまい」


 俺の言葉に藤左衛門が頷いた。


「で、ござりますな。どの話にも惟任様が必ず登場なさっております。何より旗指物が水色桔梗とあっては……。殿、如何なされるおつもりで?」


「決まっておる。事の真偽を確かめねばなるまい。事によっては上様と三位中将様をお救いせねばならん。洛中での戦を覚悟せよ」


 俺が申すと、藤左衛門、右近、竹腰と、一様に「左様に申されると思いました……」と苦笑した。


「不服か?」


「いえ。殿がお決めになったならば……」


「我ら一同、御供致しまする」


「毛利を討つ前の肩慣らしにござります」


「よう抜かしおる……! これより京へ向かうぞ! 兵を集めよっ!」


「「「はっ!」」」


 道すがら目に入った社の境内に兵を集める。


 神主が青い顔で「乱暴狼藉は御容赦下され!」と喚き散らしてやかましい。


禁制きんぜいを出してやる。此度ばかりは銭は無用!」と禁制を押し付けて黙らせた。


 兵には京にて変事が起こった事、怪しげな風説が飛び交っておるので耳を貸さぬ事、京へ向かう目的は上様の元に参じる事だと伝えた。


 風説の中身は、あえて詳らかに語って聞かせた。


 俺が「上様が討ち死になされたやもしれぬ」と申した時には愕然がくぜんとした兵らも、上様が三位中将様を討った、徳川殿を討ったなどと聞くにつれ、てんで異なる風説の内容に、だんだんと呆れた顔になっていった。


 下手に耳を貸してはろくな事にはならないぞ、とな。


 ただし、風説にも一片の真実が含まれているやもしれぬ。


 竹腰ら使番つかいばんには、行き交う町衆から話を拾い集めるように命じておいた。


「よしっ! では俺が先頭に立って進む!」


「お、お待ち下され! それでは危のうござります!」


「仔細が分からぬ所へ参るのでござりますぞ!?」


「だからこそ、だ。惟任殿の家中には美濃の者も多い。俺が真っ先に顔を見せた方が話もしやすい」


 止める藤左衛門と右近を強引に説き伏せ、先頭に立つ。


 しばらく進むと、竹腰が申した通りに京より逃げ来た町衆が街道に列を成している。


 堂々と進む俺達、そして掲げる撫子なでしこの旗を見て「明智の衆じゃ!」と我先に逃げ出してしまった。


 撫子と桔梗は違うのだがな……。


 詳しく知らぬ者から見れば大して違いは分からぬか。


 お陰で道が空き、差し障りなく前へ進める。


 やがて、洛中から上がる黒煙もはっきりと目に入るまでになった。


「――――御注進致します!」


 物見に出た竹腰が再び馬を走らせ戻って来た。


「惟任日向守様御家中の衆が木戸を設け、往来を妨げております」


「間違いなく惟任殿の家中か?」


「はっ! 水色桔梗の旗指物、この目でしかと!」


「惟任殿が動いたは真であったか……」


 藤左衛門が馬を寄せた。


「殿、如何なされますか? まだ京の一歩手前……。惟任様が敵か味方かも判然とは致しませぬ。斯様な場所で一戦に及ぶのは面白くありませぬな」


「……俺に任せよ。策がある」


 首を傾げる藤左衛門に耳打ちする。


「……上手く事が運びますかな?」


「堂々と胸を張っておれ。何とかなる」


 再び軍勢を前へと進める。


 しばらく行くと、竹腰の報せ通りに急ごしらえの木戸が道を塞いでいた。


 周囲は水色桔梗の旗指物を差した雑兵が固めておる。


 木戸の向こう側――京の側では、雑兵共と逃げ来たと思しき町衆が「通せ!」、「通さぬ!」と押し問答になっておる事が遠目にも分かった。


 さて、俺達が近付けば如何になろうか?


 騒ぎなど素知らぬ風で進んだが、三十間ばかりまで近付いた所で、甲冑に身を固めた徒武者が槍を片手に走り出た。


「止まれ止まれ! お止まりあれ!」


 呼び止める声に合わせるように、十数人の雑兵が槍の穂先を俺達に向けて列を成した。


 鉄砲や弓を構える者の姿もある。


「何処の家中かは存ぜぬが、京へ入る事罷りならん。引き返されよ!」


 軍勢を止め、藤左衛門と右近を連れて騎乗のまま進み出た。


「馬上より失礼致す。手前は美濃の斎藤新五郎にござる」


「美濃の……斎藤……?」


 雑兵共がざわつく。


 徒武者が「静まれ!」と制した。


斯様かような所に関が出来たなどとは聞いておらぬな。先程は京からやって来た者共とも行き合ったが、何時から往来を閉じておるので?」


「……御手前には関わりなき事。兎に角引き返されよ」


「それは困った。我らは内蔵助くらのすけが是非にと申す故、加勢に参ったのだがな……。聞いてはおられぬか?」


「内蔵助? も、もしや……!」


「左様。惟任日向守殿の家老、斎藤さいとう内蔵助くらのすけ利三としみつにござる。手前は斎藤の本家筋でござってな」


 とそこで、当家の掲げる旗を指差した。


「ご覧あれ。我らが掲げる旗は斎藤の撫子紋。内蔵助を存じておるならば見覚えがござろう? 分家の内蔵助が『どうしても』と頭を下げて加勢を頼むのだ。本家として無下には出来まい?」


 内蔵助とは見知った仲であるし、同族でもあるが、あ奴の頼みなぞ、もちろん口から出まかせだ。


 とは申せ、斎藤と名乗り、撫子の旗を掲げる一団が、悪びれる様子も臆する様子もなく堂々と「内蔵助の加勢だ」と言い切ってしまえば心も揺らごうというもの。


 内蔵助の名はここまで耳にしておらぬが、惟任殿が関わっておるならば、内蔵助がいない訳はない。


 必ずいるはずだ。押して押して押し抜けば何とかなる!


 槍を構えた雑兵共から気おくれする気配を感じた。


 …………うむ。


 雑兵共は揺らいだが、徒武者はまだ折れてはおらぬか。


 もう一押しよ。


「本家としては、分家の内蔵助の助太刀をしてやりたいのだがのう? 藤左衛門、其方も左様に思わんか?」


「然り然り! 真に殿の申される通りにて! 分家を救わぬ本家などありましょうか!」


「ここで遅参したとあっては……まして京にすら入らなかったとあっては、本家の面目が立たぬな?」


「これはいけませぬ! 面目が立たぬとあっては武門の名折れ! 武門の恥辱に他なりませぬ! 恥辱を与えた者には相応の報いを受けてもらわねば……!」


 藤左衛門は見事に俺の芝居に合わせ「御家の一大事なり!」と騒ぎ立てた。


 俺達の態度を見てか、向こう側で押し問答を続けていた町衆も勢いずく。


 徒武者が唇を噛んだ。


「……さて、貴公が何処の家中の者かは存ぜぬが、内蔵助との仲がこじれた時は……貴公はもとより、貴公の主にも責めを負うていただかねばなるまいな?」


「…………お通りあれ」


「うむ? 何と申された?」


「構わぬ! お通りあれ!」


 徒武者は投げやり気味に叫ぶと雑兵共に木戸を開かせた。


「礼を申すぞ! 貴公の名は!?」


 呼ばわってみたが「名乗る程の者ではござらん!」と、やはり投げやり気味に「さっさと行け」とばかりに手を振る。


 俺達が木戸を通り抜けると、入れ替わりに押し問答の町衆がどっと木戸へと雪崩れ込んだ。


 木戸を守る雑兵は二十人そこそこ。


 あれでは勢いを止められまい。


 あの徒武者には可哀想な事をしてしまったな……。


 俺達は足早に木戸を後にした。

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