第99話 「風呂を馳走してやろう」断末魔が響いた

「サイトー卿の剣で首を落としていただいては?」


 取り巻きの一人がモーザーに続いた。


「それは良い考えだ! サイトー卿は剣の達人と伺います。是非とも拝見してみたいものですな!」


 己の思い付きが気に入ったのか、モーザーと取り巻き達は口々に首を落とせ、首を斬れと促す。


 死を目前に言葉を失った子爵らを見下ろし、あるいは蔑むように、あるいは嘲るように笑った。


 …………不愉快の念が募りに募る。


 もはや忍耐する事能わず。


 俺の辛抱は効かなくなった。


「逆賊が逆賊を笑うな」


「――――は? ……サイトー卿? 今の御言葉は一体……」


「聞こえなかったか? 逆賊が逆賊を笑うなと申したのだ。不愉快極まる。耳が腐り落ちるわ」


「ぎゃ、逆賊……ですと? 私を逆賊と仰るのですか!?」


「逆賊以外の何だと申すのか?」


「は、ははははは! サイトー卿は戯れがお好きなようで――――」


「戯れではない。うぬは逆賊。縄を打たれた者共と変わらぬわ」


「馬鹿な……! 私は辺境伯に付いたのですよ!? 情報も流しました! この戦に勝てたのは私の情報が――――」


「未だ敵方におった者の言を鵜吞みにすると思うか?」


 俺の声は余程冷え切っていたのかもしれん。


 モーザーが息を飲む音が聞こえた。


「それにだ、ヨハンが伝えた話に踊らされた子爵は猫の目の如くてだてを変えた。移り気な事で困ったものよ。のう?」


 左馬助に目を遣ると、僅かに口の端を上げた。


 俺の意図の察したのであろう。


 少しばかり芝居掛かった口調で「で、ござりましたな」と頷いた。


「領都から東に進むかと思えば南に進んでビーナウへと向かい、ビーナウを攻めるかと思えば三野へ攻め込む。モーザーの報せは届いたはしから役立たずとなり申した」


「そもそも報せが遅過ぎる」


「事が済んでから届いた報せもござりましたな」


「報せは届けば良いと申すものではあるまい? 時を得ねば意味がない」


「然り。これでは真に味方する気があったのか怪しきもの」


斯様かような体たらくで功を誇るとは片腹痛い」


「手柄どころか失態となりかねませぬ」


 エトガル・ブルームハルトの組下が敵陣を抜け出したあの日も、モーザーの使いが二度、三度とネッカーを訪れた。


 当の組下がやって来てどうこうと、とうの昔に存じておる話を勝手に話した挙句、戦が終わった後の処遇をあれこれと並べ立てて帰って行った。


 実に不愉快極まる出来事であった。


 敵勢を迎え撃つのに役立ったのは、一にカヤノ、二に忍衆しのびしゅうもたらした報せに他ならぬ。


 正確さにおいても、詳しさにおいても、他の追随を許さぬ。


 モーザーの話なぞ、はなから役に立つ余地も無い。


 もちろん斯様な話をモーザーめに教えてやる義理などない。


 代わりとして、如何に役立たずであったか、さい穿うがち、懇切丁寧に扱き下ろしておく。


 だが、少し長々と話し過ぎたか。


 モーザーが「そうであっても!」と抗議するように叫んだ。


「私の情報が仮に……仮に役に立たなかったとしてもです! 仮に役に立たなかったとしても――――」


「くどい。さっさと本題を申せ」


「――――! ならば申し上げますが、私は辺境伯へ付き従う事を許されたのですよ!? 我らが領都を出陣する直前に使者がネッカーへ到着したはず! 決して逆賊ではありません! 情報が役に立たなかったからと言って逆賊などと――――」


「知らんな。何の事だ?」


「――――は? な、何を言って……」


「では辺境伯にお尋ねしてみよう。こ奴の寝返りをお許しになられましたか?」


「覚えがありません」


 辺境伯は言下に否定さなる。


 口調は明白で、是非を論ずる隙も無い。


 モーザーが「馬鹿なっ!」と抗弁を始めるが、辺境伯に取り合う気配は微塵もない。


 ……それにしても辺境伯。


 御言葉が端的に過ぎますぞ。


 仔細を存ぜぬ者には何の事やら分かろうはずがありませぬ。


 そもそもの話、俺は辺境伯家の陣代として兵権の一切を委ねられている。


 寝返りの申し出は戦の勝敗に関わる事。


 これを許すか否かも当然兵権の中に含まれよう。


 だからこそ、辺境伯はこう申しておられるのだ。


 陣代のお前に任せたのだから私は知らん……とな。


 寝返りの話は一応御注進し、ミナも側で聞いておったが、二人共に首を縦に振る事はなかったしのう。


 まあ、逆賊へ懇切に話してやる必要もござりますまい。


 左様に思うておると、ミナがこちらを見つめていた。


 私にも尋ねろと目が訴えておる。


「……念のためだ。御令嬢は如何かな?」


「お父様が許さぬものを私が許す訳がない。シンクローこそどうなんだ?」


「俺か?」


「まさかとは思うが勝手に許していないだろうな?」


 ミナが挑むように笑みを浮かべた。


 出会った頃は頭の固い女子おなごであったが、言葉戦いの作法を習う内に口の滑りも良くなったのであろうか?


 兎も角、モーザーめを追い込むのに良き流れよ。


 このまま乗らせてもらうとしよう。


「敵の動きを報せてくれると申すのでな、『好きにせよ』とは申してやったぞ」


「……意地が悪いな。それでは何も答えていないに等しいじゃないか」


「辺境伯の御許しを得ておらんのだ。他に答え様がない」


「きちんと説明してやったのか?」


「何と申しても相手は敵方。左様な義理はない。その敵方が小山田おやまだ信茂のぶしげの如き不忠者にして卑怯者となればなおの事」


「いや、いきなり知らない者の名前を聞かされても何の事か分からないんだが……」


 小山田は甲斐武田の家中において重きをなした家。


 小山田おやまだ出羽守でわのかみ信茂のぶしげは、法性院殿、四郎勝頼殿と二代に渡って重く用いられ、目を掛けられた重臣中の重臣であった。


 事が起こったのは天正十年、織田が武田の領国へ攻め込んだ時の事。


 信濃の木曾、甲斐の穴山と、親類衆が次々と織田へと寝返り、武田は総崩れとなった。


 戦の勝敗は明々白々。


 四郎殿が城に火を放って落ち延びる中、小山田信茂は土壇場で主家を見限り織田へ走った。


 しかもその時、四郎殿は小山田を頼り、小山田領の境までうの体で辿り着いたばかりだったのだ。


 四郎殿の目の前で小山田領の木戸は閉じられた。


 行き場を失った主従一行は何処いずことも知れぬ野辺のべを彷徨い、憐れな最期を遂げたと聞く。


 こうして寝返った小山田であったが、織田は許さなかった。


 不忠を咎められ、首を打たれた。


「寝返りは戦の常よ。とは申せ、くも見苦しき寝返りなぞ許されぬ」


「……馬鹿な。そんな馬鹿な話があるか! 私は辺境伯の為に―――」


「違うな。保身の為であろうが」


「違う!」


「違わぬ。寝返るならばさっさと寝返れば良かったのだ。それをせずに愚図愚図としおって……」


「も、最も効果的な機会を窺っていただけだ!」


「なればこそ早ければ早いほど良いではないか。副将に等しきうぬが寝返れば敵勢の動揺は計り知れぬ。戦を前に敵勢は瓦解していたやもしれぬぞ? 何故なにゆえせなんだ?」


「だ、だから私の考える効果的な――――」


うぬは俺達とブルームハルト子爵をはかりに掛けたのであろう? 勝ちそうな方へ味方の顔をすればよいとな――――」


「――――違う違う違うっ! 違うぅ――――!」


「――――故に戦の勝敗が決した土壇場で寝返ったのだ。いや、土壇場に過ぎたと申せよう。所詮は戦を知らぬ小役人。戦の機を読む事も出来なければ、寝返りの機を読む事も出来ておらぬ。泡を食って寝返る様が目に浮かぶぞ?」


「――――ち、違う違う! 私を殺せばどうなるか分かっているのか!? 領内の統治は覚束おぼつかない――――」


「臓腑の腐り果てた役人のおる方が厄介よ。多少の労苦は厭わぬ。安心して死ね」


「そ、そんな――――――――」


 モーザーは縋るように辺境伯を見た。


 ミナも見た。


 だがしかし、二人揃って今にも唾でも吐き掛けそうな、汚い物を見る顔だ。


「……サイトー殿、モーザーの罪はもはや明白。裁きの時です」


 辺境伯が申されると、クリストフが「義兄上あにうえ、お願いがあります」と前に出た。


「父上を……ブルームハルト子爵を我が手で処す事をお許しください。親の不始末は子である僕が――――」


「ならん」


「――――! な、何故ですか!?」


其方そなたの覚悟の程は感じ入った。だがな、我が子の手に掛かる事が親の幸福となる事もある。他人の手に掛かるよりは我が子の手で……と思う親も世にはおろう」


 ブルームハルト子爵が左様な考えに思い至るとは思えんが、諦めさせる為に申してみる。


 するとクリストフは何かに気付いた様子で俺を見た。


「もしや自ら処されるおつもりで? これまでも命に逆らった者達を御自身の手で……」


「其方も俺に首を打てと申すか?」


「はい」


「済まぬが此度はせぬ。逆賊には逆賊らしい最期と申すものがある」


「逆賊らしい最期……ですか? それは一体……」


「風呂を馳走ちそうしてやろうかと思っておる」


「え? ふ、風呂ですか?」


「冬も間近なこの時期に川に落ちた者もおるかなら。さぞかし寒い思いをしておるだろう。せめてもの情けだ。死ぬ前に温めてやる事に致そうぞ」


 異界の衆が唖然とする。


 一方、我が家中の者達は平然としている。


 佐藤の爺が使番に小声で何かを命じた。


 その様子を目にして、クリストフは察したようだった。


「……その風呂は、如何なる風呂なのでしょうか?」


「大きな釜を使うのだがな」


「はい」


「水の代わりに油を張る。沸かせば湯より遥かに熱い。寒さなぞ忘れてしまおうな」


 悲鳴が上がった。


 ついでに「人で無し!」、「悪魔!」などと声も飛ぶ。


 俺もクリストフも取り合わずに続ける。


「その風呂は何と申すのですか?」


かまでだ」


 モーザーが俺に飛び掛かろうとした。


 しかし、左馬助と八千代の手によってあえなく転ばされてしまう。


「若、この者は釜茹でを望んでおるようでござります」


「待ち切れずに飛び出す程に」


「黙れ黙れ黙れ! サイトー貴様ぁ!」


「五月蠅い奴だ。せっかく風呂を馳走しようと申すのに。左馬助、八千代」


「はっ」


「何なりと」


「五月蠅くてかなわん。こ奴の舌を切り落とせ」


「――――は? ちょ、ちょっと待――――」


「承知致しました。おい、口を開けい」


「安心なさい。舌を切った程度で人は死にません」


「むぐっ! ぐっ! ふむっ! ぬふうううううううっ!」


 モーザーは口から血を流しながら悶える。


 いつの間にか悲鳴や雑言は立ち消えてしまった。


「ようやく静かになった。ところで釜は大きい。二人は入れよう。他に望む者はおらぬかのう?」


 縄を打たれた者を端から順に見ていく。


 ブルームハルト子爵と目が合った。


 子爵は激しく首を振った。


「そうかそうか。子爵も風呂を望むか」


「ち、違――――」


「大将と副将、仲良く入るが良い」


「い、嫌だ……」


「連れて行け」


「嫌だ――――!」


 子爵とモーザーは引き摺られる様に引き立てられて行く。


 左馬助がわざとらしい口調で尋ねた。


「若、釜は一つにござります。次の番まで時間が掛かりましょう。その間、如何なさいます?」


「待ち惚けでは時が勿体ない。俺に良い考えがある」


「ほう? それは一体?」


「母上とカサンドラの出番よな」


「え? 私?」


「何の事でしょうか?」


「戦い足りぬのでしょう? ならばこ奴らと手合わせしてみませぬか? 一対一の真剣勝負でござります」


「あら本当!? 本当に本気でり合っていいの!?」


「溜まった鬱憤も晴れますね! 心が躍りますわ!」


 片や丸太の如き金砕棒かなさいぼうを棒切れの如く振るう母上。


 片やビーナウの災厄と恐れられるカサンドラ。


 縄を打たれた者達は息をする事すら忘れ、口からおかしな音が漏れ出ている。


「おい、母上かカサンドラに勝てば罪一等を減じて死罪ばかりは許してやる。精々励めよ?」


「「「「「――――!!!!!」」」」」


 その後、一人目は母上の金砕棒の一振りで物言わぬ血袋と化した。


 二人目はカサンドラの魔法で氷漬けとなり粉々に砕かれた。


 三人目は……相手を選ぶ前に失禁し、泡を吹いて気を失った。


 やがて、髪が焼けたような鼻を突く臭いが漂い始めた。

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