第98話 「間もなく死にゆく者よ」新九郎は冷たい目をした

「ちょっと新九郎? これはどういう事なのですか?」


 あたかも味方の如く振る舞うオットー・モーザーを見て、母上が眉根を寄せた。


 他の者もほとんどが母上と似たような表情をしておる。


 事の次第を知るのは辺境伯、ミナ、佐藤の爺、左馬助……あとは八千代くらいしかおらぬからな。


 無理もない。


 俺が口を開きかけると、モーザーめが「その点は是非とも私から!」と、命じてもおらぬし、頼んでもおらぬのに、勝手に話を始めた。


 奴めのやたらと持って回った長過ぎる口上を要約すると話はこうだ。


 幼い辺境伯の後見であったゲルトが、己の立場を利用してまつりごとほしいままにし始めた頃、モーザーは辺境伯家に仕える下僚かりょうであった。


 ゲルトの専横に歯ぎしりしつつ辺境伯の復権を願っていたモーザーは、ようやく筆頭内政官に上り詰めたが時既に遅し。


 ゲルトの威勢は辺境伯領の隅々にまで及び、モーザーが成し得る事は辺境伯の身に危害が及ばぬように陰ながら歯止めの役を務める事のみ。


 そんな時、サイトーなる男が辺境伯の側近く仕える事となり、さらにはゲルトを討ち取った。


 直ちに辺境伯の元へ馳せ参じる事も考えたが、正体がよく分からないサイトーには信を置くことは出来ない。


 新たなゲルトが現れたのではないかと危惧を抱き、考えを同じくするブルームハルト子爵と挙兵した。


 だがしかし、主君たる辺境伯へ弓引くに等しき行いに耐え切れず、ついに寝返りを決意した。


 領都から出陣する直前、俺の元へ秘かに使者を遣わし内通の意思を伝え、その後は敵勢の陣立てやてだて、大将格の仲に至るまで、ありとあらゆる情報を俺に流した。


 此度こたび戦勝せんしょうに大いに貢献する事が出来た……云々と。


 はてさて、何とも都合良き物語よな。


 粗雑な細工物の如き臭いが漂っておるわ。


 鼻がもげそうだぞ?


 分かっておるか?


 集まった者達が腑に落ちぬと言いたげな顔をする中、モーザーは一切気に掛けず、悪びれる様子も無く堂々と口上を続けた。


「翻意したとは言え一度は辺境伯に楯突いた身。お詫びの証として我が財産を残らず辺境伯へ献上致します」


「ほう? 全財産とな?」


「その上で過ぎた願いかと思いますが……」


「申してみよ」


「不肖ながらこのモーザー、三十年に渡り内政官としてお仕えして参りました。辺境伯領の事で知らぬ事などございません。どうか今一度お仕えする事をお許し下さい。必ずや辺境伯領の発展に貢献し、この度の失態を帳消しにしてご覧に入れます」


 モーザーと奴めの取り巻き共が深々と頭を下げた。


 ……成程のう。


 全ての財産を失っても、再び地位に就きさえすれば如何様いかようにもなると……。


 こ奴めの力は斯程かほどに辺境伯領に根付いている訳か。


 己を除けば辺境伯領の仕置は難儀を極める。それでよろしいのか? 左様に申しておるのだ。


 この期に及んで俺を脅すか?


 勝手な理屈ばかり並べおって。


 如何にしてくれようか――――?


「下劣な裏切り者めっ!」


 ――――モーザーを罵る怒鳴り声が上がった。


 ブルームハルト子爵をはじめ、縄を打たれた者共は殺意と憎悪のこもった目でモーザーを睨みつけ、次々と悪口雑言を浴びせた。


 近習らが直ちに押し伏せようとするが、怒れる者共は激しく抗う。


 中でもブルームハルト子爵の暴れっぷりは凄まじい。


 猿轡さるぐつわを噛まされているにも関わらず、モーザーの喉元に噛み付かんばかりに首を伸ばし、野犬の如き唸り声を発する。


 近習の山県源四郎、十河孫六郎、安宅甚太郎が三人がかりで取り押さえるが、まだ抗う事を止めない。


 ふむ……面白い。


 こ奴をモーザーにぶつけてみるか。


「……敗軍の将にも言い分はあろう。この際だ。猿轡を解いてやれ」


「よろしいので?」


 問う左馬助に「構わん」と手を振る。


 近習三人が子爵の身体を押さえたまま、春日源五郎と秋山源三郎が二人して慎重に猿轡を解きに掛かった。


 解けば途端に噛み付くやもしれん。


 二人掛かりも無理はない。


 案の定、猿轡が解かれた途端に源五郎の手に噛み付こうとした。


 すんでの所で避ける源五郎。


 残った四人が「控えよ!」と力一杯押さえる。


 子爵は顔面を地に押さえ付けられたままでモーザーへ吠え立てた。


「おのれモーザー! 出陣してからと言うものやけに消極的な事ばかり言う奴と思えば……! 最初から我らを騙していたのか!?」


「騙すなどと人聞きが悪い……。私は辺境伯の臣として動いただけに過ぎません」


「こ奴のせいで我らは敗北を――――」


 涼しい顔で答えるモーザーになおも言い募ろうとする子爵。


 だが、意外な者がそれを止めた。


 クリストフだ。


「将たる者が敗北の責任を他者に求めるなど情けない……。味方の結束も将の器量です。味方から裏切者が出る事もまた将たる者の責任なのです。恨むならば御自身に将たる器量が無かった事を恨むべき――――」


「クリストフ! お前っ!」


 子爵が上体を大きく上げようとした。


 近習五人を押し退けんばかりの力だ。


 ヨハンが「クリストフ様っ!」と子爵との間に割って入る。


 子爵は近習らに抑え込まれたが、今度はヨハンにも憎悪の目を向けた。


「貴様ぁ! 貴様の寄越した情報は間違いだらけだったではないか!? 何がサイトーの領地はガラ空きだ! 何がビーナウの守将は冷遇されて戦意に乏しいだ! 全て……全て真逆ではないか!?」


 子爵の言に多くの者が訝し気な顔をした。


 当然だ。


 これではヨハンが子爵と内通していた事になってしまう――――。


「とどのつまり、ヨハンは内通などしておらぬと言う事だ」


「な……何だと!?」


「ネッカーでの評定の後、アロイスめが性懲りもなくヨハンの元へ使者を送った。俺の情報を流せば爵位を有するブルームハルトの分家の一つを継がせ、領地を与えるとな」


「ど、どうして貴様がその事を……!?」


「知れた事。ヨハンが細大漏らさず知らせて参ったからな」


「…………!」


「貴公らは下々を舐め過ぎたのだ。長年に渡って散々軽く扱っておきながら、アメをチラつかせれば簡単に転ぶと考えた」


「我が家はブルームハルトの末席……。もはや貴族の地位になく、決して豊かでもありません。ですから爵位や領地を得るの事はこの上ない慶事と言えます。しかし、その代償に名誉も矜持きょうじも失うでしょう。そんな事は耐え難い……!」


「分かったか? 斯様に考える下々もおるのだ」


 ヨハンには内通に応じた振りをして情報を流させた。


 曰く、斎藤家の兵は根こそぎ出陣し、領地の三野には一兵も残っていない。


 曰く、斎藤は家中の者と男色に溺れ、斎藤の相手をした者同士で仲違いをしている。


 曰く、ビーナウに配された重臣の加治田は斎藤から遠ざけられたと思い、戦う気力を失くしている。


 曰く、斎藤は異界で武器や玉薬の調達が出来ず、戦の備えは整っていない。


 どの話も真実や噂話を元にした。


 内容を逆さにし、多少の手を加え、尾鰭おひれを付ける事もしたが、有り得ると申せば有り得そうな話だ。


 いや待て。


 男色の話なんぞ誰が入れた?


 斯様な話、無くともよかろうに!


 ……それはさて置き、ヨハンが流した話はいずれも斎藤家の内情に深く関わるもの。


 気の利く者ならば、ヨハン以外にも内通者を作って事の真偽を確かめようとするであろう。


 ながら、内情故にこそ真偽を確かめる事は難しい。


 三野に足を踏み入れた事もないやからにとっては至難の業と申せよう。


 貴重な内情だと信ずるか、それとも真偽不確かな与太話と片付けるか。


 如何になるかは敵方次第。


 多少なりとも惑わせられればそれで良し。

 

 運が良ければ信ずるであろう。


 その程度のつもりで流したのだが――――。


「――――まさか馬鹿正直に信じるとは思わなかったぞ」


「サイトー! この小童こわっぱ――――」


「控えぬか!」


 春日源五郎が子爵の頭を激しく地面に打ち付けた。


 鈍い音がする。


「む? 歯が折れたのではないか?」


「お許しを。若へ対する雑言ぞうごんは聞くに耐えませぬ」


「良い良い。間もなく死にゆく者よ。歯が折れた所で不都合があろうか?」


「その通りです! 辺境伯へ楯突いた者など早く処刑してしまいましょう!」


 モーザーが追従ついしょうする。


 ……神経を逆撫でする事甚だしい。


 不愉快の念は、否が応でも一層増した。

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