第85.8話 過保護な守役は魔法(?)を使う

「――――と言う訳で、敵陣内は大いに揺れているとの事にござります」


 夜明け前、唐突にビーナウへ現れた八千代殿は、時折クスクスと笑いながら敵勢の様子を事細かに語った。


 雑賀殿や杉ノ介は「ほうほう」と一々頷きながら話を聞き、クリス殿とハンナ殿は眠っていたところを叩き起こされ眠い目をこすりながら聞いている。


「ご苦労であったな八千代殿。此度こたび忍衆しのびしゅうの働き、若へ必ずお伝えする」


「うふふふふ……有難うござります。もっとも、わたくし共の御役目は、まだまだこれからにございますから……」


「分かっている。今後の働きも細大漏らさずお伝えしよう」


「よろしくお願い致します。望月は大いに手柄を上げねばなりませぬ。御爺様がまたぞろ家督を返せと言い出しかねませぬので。兄上も気が気ではないでしょう」


「信濃守殿か……。御老体は未だ意気軒高いきけんこうのようだな。なんでも飛騨勢を率いて敵を散々に叩き伏せたとか」


 左馬助と八千代殿の祖父である信濃守殿はまもなく七十。


 甲斐の武田が信濃に攻め入った当時を知り、川中島での度重なる武田と上杉の戦も直に知る古強者。


 心身共に未だ衰えを見せず、「家督を返せ」は御仁ごじんの口癖だ。


 冗談半分で本気ではないようだがな。


 八千代殿も左様な事は分かっている。


 分かった上で左馬助をからかってやろうと申す魂胆であろうな。


 左馬助なら「返せと申すなら返してやろう」と笑い飛ばしてしまいそうな気もするが。


「ところで加治田様? あの二人の事ですが……」


「船へ乗せるよう手配しよう。陸路を領都へ向かうのは危なかろう。手負いのようであるしな」


 八千代殿はビーナウへやって来た時、二人の男を伴っていた。


 忍衆ではない。


 三野にて捕えた敵の兵だ。


 若の御指図により敵陣へ赴いたのだ。


 二人がもたらした報せによって、昨晩開かれた敵の軍評定いくさひょうじょうは荒れに荒れたらしい。


 敵の大将衆は互いに罵る者あり、右往左往する者ありと、見苦しき事この上ない有り様だったと聞く。


「さてさて。次は如何なる醜態しゅうたいを晒す事になるのでしょうね? さぞかし愉快な見物みものとなりましょう」


 八千代殿が嘲り笑う。


「敵の腰は砕けておりますよ? 攻め入るには打って付けかと存じます。忍衆の備えも万全に……」


「そうねぇ……。いつまでも町に閉じ籠っているのも疲れるしぃ……」


「あたし達も手柄を立てたいです! やりましょうカジタ様!」


 ようやく目が覚めたらしいクリス殿とハンナ殿が八千代殿に加勢する。


 だが、手前の考えは違った。


「いや、放っておこう」


「攻めぬのですか? 一刺しすれば敵は崩れ去りますよ? またとない好機ですのに……」


 残念そうな顔をする八千代殿。


 一方、雑賀殿や杉ノ介は手前の言に「それが良い」と頷いた。


「好機は好機だ。とは申せ、我らは六百、敵は五千。数の利は明らかに敵にある。こちらから攻め入るとすれば、敵がもっと弱り切ってからだな」


「……贅沢な御方ですね? 敵をさらに仲違いさせよと?」


「忍衆が動くまでもなかろう? 昨夜の話を聞くに、こちらが手を出さずとも勝手に崩れるであろうよ。あるいは焦って先に手を出すか。いずれにせよ、そうそう時は掛かるまい。雑賀殿は如何か?」


「手前はもって半日程度と見る。必ずや動きがありましょう。その時は…………」


 雑賀殿と杉ノ介がニヤリと笑った。


 敵が逃げようと、攻め寄せようと、あるいは陣内に引き籠ろうと、如何なる道を選ぼうと、備えは万端に整っているのだから――――。


「――――御注進ごちゅうしんっ!」


 使番が慌ただしく本陣へ駆け込む。


 雑賀殿が「申せ」と短く命じた。


「敵陣に動きあり! 隊伍を整え出陣しつつあるとのよし!」


「動いたか。早かったな。戻って良い」


「はっ!」


「雑賀殿、敵の目論見もくろみは未だつまびらかではないが、手筈通りに進めて下され。杉ノ介も連れて行かれるがよい」


「心得た」


 雑賀殿と杉ノ介はすっくと立ち上がると集まった面々に一礼し、落ち着き払った様子で本陣を後にした。


 続いて八千代殿も「では、わたくしも参ります」と腰を上げる。


 ニコリと笑みを浮かべるや、霧が消え去るように静かに姿を消してしまった。


 クリス殿とハンナ殿が「うええええええっ!?」と悲鳴を上げる。


 あれは一体、如何にして姿を消しておるのか?


 常日頃気にはなるものの、「忍びの秘伝にござります」とはぐらかされるばかりだ。


 異界の者が揃って驚いているならば、恐らく魔法でも斯様かような真似は出来ぬのであろうな。


 八千代殿の謎はさておき、ビーナウに鐘の音が鳴り響く。


 敵の来襲を知らせているのだ。


 間もなく、マルティン殿やカサンドラ殿をはじめビーナウの主だった者達が本陣へ姿を見せた。


 そうこうしている間にも、敵情が刻々ともたらされる。


「陣をでし敵勢は三千ばかり!」


「ビーナウの北へ集結しつつあるとのよし!」


「敵勢との距離は二十町ばかり!」


「千ずつ三段に陣を構えておるとのよし!」


「敵は先頭に丸太を並べて進んでおります!」


 敵の動きは本陣からもよく見えた。


 ビーナウは東をネッカー川に接し、南は海に面し、西には岩場と砂浜が広がり、軍勢が動くに適さない。


 攻め寄せるとすれば北しかない。


 軍勢を等分に分けるとは何とも捻りの無い事だが、数に任せて平押しに攻めようと申すならば捻りは不要。


 先頭に押し出した丸太は鉄砲除けであろう。


 如何に鉄砲と言えども、丸太を貫く事は出来ぬ。


 これを持たされた兵は戦うどころではなかろうがな。


 ここまでの敵の動きはあらかじめ考えておった通り。


 ただし――――、


「――――残る二千の軍勢は何をしているのでしょうか?」


 カサンドラ殿が訝しそうに尋ねた。


 マルティン殿ら商人衆も敵勢の意図を計りかねた様子で腕を組み、難しい顔をしている。


「敵陣に残った敵には一切動きがありませんわ。味方の後方を守るでもなく、かと言って別の場所へ攻め寄せようと言う気配もありません」


「何もする気がないのでござりましょう」


「何もする気がない? これは戦争ですよ? そんな事があるのですか?」


「あっ! アタシ分かったぁ!」


「あたしも分かりました!」


 クリス殿とハンナ殿は声を合わせてこう申された。


「完全に仲間割れしたのよぉ!」

「完全に仲間割れしたんですよ!」


「どういう事かしら?」


「ママもさっき聞いたでしょ? あっちの偉い人達が揉めたって! きっとビーナウを攻めるかどうかでも揉めたのよぉ!」


「それでですね、反対した方が『お前らなんか助けるつもりはないっ!』って、陣の中から動こうとしないんですよ!」


「まさか……! さっきも言ったけど、これは戦争なのよ? そんな子どものケンカみたいな理由なんて――――」


「クリス殿の申された事、当たっておるやもしれませぬぞ?」


「カジタ様?」


「カサンドラ殿は子どもの喧嘩と申されましたな? 手前も左様に思いまする。ながら、人の情とは実に度し難きものにござりましてな。戦場いくさばと言えども素知らぬ顔で現れて、厄介事を持ち込むもの。恐ろしい程に詰まらぬ理由で、馬鹿馬鹿しき次第が出来しゅったいするものにござります」


 手前の言に、クリス殿とハンナ殿は「ですよね?」と頷き合い、カサンドラ殿らは「そんな非合理的な理由で……」と愕然としている。


「訝しく思われるのは御尤ごもっとも。ただ、商人の間にも商売敵を恨む者がおりましょう? 妬みや嫉みの念を抱く者もおりましょうし、それが高じて相手の足を掬おうと企む者もおりましょう?」


「それは……まあ確かに……」


「只今の敵勢にはそれが起こっているのでござります。戦と言えど、商売と言えど、人の情が悪い方へと傾けば、忽ちの内に斯様な有り様となるのでござります」


 商人衆は驚くやら呆れるやら。


 戦とは、もっと真面目にやるものだと思っていたと、溜息交じりに肩をすくめた。


「敵の内情は兎も角として、間違いなき敵の動きは二つ。三千はビーナウへ攻め寄せ、二千に動く気配はない。ならば当面は三千に当たる。二千は動きを見せるまで捨て置きまする――――」


「――――御注進っ! ビーナウと敵勢の間、十町ばかりとなりましてござります!」


「いよいよ来ましたな。もう間もなく、か」


「落ち着いておられますわね、カジタ様」


「慌てる理由がありませぬからな」


「ビーナウを攻める敵の数は五千から三千に減りました。それでも私達の五倍です。残る二千もどう動くのか分かりませんのよ?」


「で、ござりますな」


「……私やクリスはまだ出ないで良いのですか? 数に勝る敵を迎え撃つなら、やはり魔法で広範囲に吹き飛ばしてしまわないと……」


 さすがは『ビーナウの災厄』と謳われる女性にょしょう


 要は戦わせろと申したいらしい。


「如何な魔法の大家であろと、魔法を使えば心身共に疲労するのでござりましょう? ならば無駄撃ちは出来ませぬ。使うとすれば敵にとどめを刺す時。御両所の魔法はとっておきの奥の手なのでござります」


「そう仰っていただけるのは嬉しいのですが……。では、あなた方だけで敵を迎え撃つと仰るのですか? 鉄砲の威力の程は拝見しましたが、鉛のつぶてを飛ばすだけでは防ぎきれません」


「承知しております。承知はしておりますが、玉薬の使い方は何も鉄砲だけに限りませぬ」


「はい?」


「敵の目の前で手の内をさらす訳にはいかぬ故、披露する機会はござりませんでしたが、魔法が使えぬ我らにも、魔法の如き業が使えまする。御両所に引けをとらぬかと」


「……カジタ様は冗談がお好きなのかしら? 『魔法の如き業』? 『引けを取らない』? ビーナウの災厄を前にして面白い事を仰るのね?」


 カサンドラ殿が笑う。


 クリス殿とハンナ殿が「ひいっ!」と悲鳴を上げて抱き合い、商人衆は脂汗をにじませた。


 それほどまでに、恐ろし気な笑みであった。


 手前は素知らぬ顔で答えた。


「心配無用。面白き光景をお目に掛けましょうぞ」


「言ったわね? 期待しているわよ?」


「――――御注進っ! ビーナウと敵勢の間、二町に迫りましてござります!」


「さて頃合にござる。町の外をご覧あれ」


 全員の目が敵勢に向く。


 鉄砲の音はしない。


 敵勢は妨げる者なく前へと進む。


 ついにビーナウとの間は一町を切り、敵兵の顔までも窺える距離に迫った。


「ちょっとカジタ様っ! 一体――――」


 ドォ――――――――ッン!


 ドォ――――――――ッン!

 ドォ――――――――ッン!


 ドォ――――――――ッン!


 ドォ――――――――ッン!

 ドォ――――――――ッン!

 ドォ――――――――ッン!


 カサンドラ殿の言葉を遮り、次から次へと響き渡る轟音、轟音、また轟音。


 鉄砲の類の音ではない。


 町を囲む市壁に配された鉄砲衆にも、他の衆にも動きはないのだ。


 何の前触れもなく、唐突としか申し様なく、あちらこちらで轟音が鳴り響いた。


 ビーナウの周囲には火柱が荒れ狂い、黒煙が立ち上り、そして敵兵が天高く吹き飛ぶ。


 異界の衆が呆気にとられる。


「如何ですかな? カサンドラ殿?」


「カジタ様……あなたは一体何を……?」


「さすがのカサンドラ殿も驚かれた御様子。魔法の如き業、楽しんでいただけましたかな?」


 問う間も、轟音は絶えることなく続いた。

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