合戦2日前

第83話 「存外に腰が重うござります」丹波は敵の出方を怪しんだ

「ほっほっほ! 読みは我らの勝ちですなぁ!」


 三野城の密談部屋。


 蝋燭ろうそくの灯りに照らされた丹波は、扇でポンポンポンポンと手の平を打った。


 対する佐藤の爺と左馬助さまのすけは悔しそうに唇を噛み、ミナはと言うと難しい顔でこめかみを押さえている。


 丹波めが口にしておるのは、命に背いた役人共の一族を助けてやった事。


 日ノ本のならいならば、一人のとがであっても一族に累は及び、連座として老若男女を問わずことごと族滅ぞくめつするべきもの。


 だが、ここは異界の地。


 相手は異界の民だ。


 果たして日ノ本と同様に仕置しおきをしてしまってもよいものか?


 事が戦ならば一切の手加減など出来ぬが、事はとがの裁き。


 ここは異界の風に合わせた方が良いのかもしれぬ。


 唐入りの渡海衆が、朝鮮の地で如何いかに苦労したかを想えばな。


 海一つ隔てただけの異国でも、法度はっとならいも大きく異なり、言葉が通じぬ事も相俟あいまって、仕置は一向に進まなかったという。


 渡海衆の面々が、「斯様かような有り様だと分かっておれば、渡海なぞ……」と、やつれ果てた姿で愚痴をこぼしておった姿が未だに忘れられぬ。


 故に、咎人とがにん共の一族は許すことにしてみた。


 咎人と結託し、己も咎ある者共は罰するとして、ほとんどの女子供は助けてやった。


 そして、このまま辺境伯領に住まい続けても世間の目が辛かろうと、財産の幾許いくばくかを返してやり、ビーナウから船で他所よその土地へと逃がしたのだ。


 だがこの仕置、家中の大半は異を唱えた。


 佐藤の爺や左馬助までもな。


 俺に味方したのは父上、利暁りぎょうの伯父上、そしてこの丹波のみ。


 斎藤の家中は斯様に割れておった訳だが、異界の者達の評判は実に良かった。


 ミナ、辺境伯、奥方、ヨハン、クリストフと、事の次第を知る者達からは慈悲深い仕置だと何度も言われた。


 そう言えば、クリスやハンナも同じ事を言っておったな。

 

 あ奴ら何処で耳にしたのかのう?


 忍衆に命じて噂を流す前に知っておったからな。


 それは兎も角、辺境伯領での俺に対する評判は上々だ。


 戦上手である上にまつりごとにも通じ、仕置は公正で慈悲を解する御仁ごじん

――――とか何とか。


 お陰で咎人共の首を打って以来、ヨハン達を通じて辺境伯への出仕を願い出る者は増える一方。


 中にはゲルトの時代に任じられた代官を追い出し、俺に代官の派遣を願い出る町や村まで出始めた。


「じゃから幾度も申したではありませぬか。ここは異界の地。万事日ノ本と同じに考えてはならぬと。唐入りの儀の失敗は、正にそこにあるのでござるぞ? 若様はそれを見抜いておられたのです!」


「お主に褒められても相変わらず釈然とせぬが……まあ、此度こたびは図に当たったな」


 左様に申すと、佐藤の爺と左馬助は唇を噛み「不覚にござりました……」とうなだれる。


 一方、ミナは相変わらず難しい顔のままで口を開いた。


「私達はシンクローの手の平の上にあったということか……。慈悲深さの裏にこんな陰謀が隠されていたなんて……」


「おいミナ。陰謀とは人聞きが悪い」


「じゃあ何なんだ?」


「陰謀とは隠れてコソコソとやるものだ。だがしかし、俺はこうして真意を告げておる。お主の口を通じて辺境伯や奥方、クリス達にも伝わろう? 斯様に正々堂々たる陰謀なぞあろうはずがない。」


「せ、正々堂々……」


 ミナは諸手もろてを肩の高さまで上げ、シンクローには口でも敵わないと溜息をついた。


「……はあ。文句を言っても結果が出ているのは確か。ネッカーには出仕を望む者が相次ぎ、毎日数十人が列を成している。兵の数も五百を超えた」


「ほっほっほ。ブルームハルトめも、モーザーめも、大いに肝を冷やしておりましょうな」


「追い詰められた彼らは戦に訴える。そうだなタンバ殿?」


「左様にござります」


「でも、彼らはいつ動くつもりだろう? 処刑から既に二十日近く経つのに、挙兵の気配がまったく見られないが……」


 ミナが左様に申すと、丹波は「ふむ……」と小さく唸って腕を組んだ。


「ブルームハルトは口が開く前に手が動く類のやからかと思うておったのでござりますがな。若様は如何にお考えで?」


「俺も同じだ」


「案にたがい、存外に腰が重うござります。よろしゅうない気配じゃ」


「こうして三野へ引き退き、ネッカーもビーナウも空にしてやったと申すに……。これで仕掛けて来ぬとは、何ぞ策を弄しておるのかもしれぬ。ミナよ、何か心当たりはあるか?」


「私の考えもタンバ殿と同じだ。ヨハンやクリストフ殿からも、ブルームハルト子爵は血気盛んな性格の人物と聞いている」


評定ひょうじょうで見た通りの男か」


 ミナが小さく頷いた。


「左様な男が動かないとなれば、これはますます怪しい。左馬助、忍衆は何と申しておる?」


「はっ。今のところ挙兵を伺わせる動きはない、と。ただし、ブルームハルト領と領都の間では、早馬が頻りと行き来しておる様子にござります」


「早馬か……。怪しい事は怪しいが、それだけで戦支度と断じることは出来んな」


「御意」


「……いや待て。もしや此度の事、モーザーが主導しているのではないか?」


「モーザーが策を巡らしていると言うのか?」


「そうだ。戦向きの話は役人あがりのモーザーより、ブルームハルトめが主導するものと考えておったが……」


「それならこちらも策を練り直さないと――――」


「――――ちょっといい?」


 ミナの言葉を遮るように、カヤノが障子を開けた。


 斯様な刻限にカヤノが起きているとは珍しい。


 いつもは日が暮れるや否や寝静まってしまうのだが。


「こんな遅くに珍しい。何の用だ?」


「何の用、じゃないわよ。あんたに頼まれたから来たんでしょうが」


「俺の頼み? おい、まさか……」


「そのまさか。領都の子樹からお知らせよ。松明を焚いて集まる軍勢がいるって」


 噂をすれば何とやら、だな。


「爺」


「はっ」


「鐘を鳴らせ。陣触れだ!」


「ははっ!」


 間もなく、出陣を告げる鐘の音が三野中に響き渡った。

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