第82.5話 ヴィルヘルミナの独白 その玖
「シンクロー様ってやっぱりすごいですよね……」
旧ゲルト邸の一室でハンナが口を開いた。
誰に問うでもない呟きに過ぎない。
私とお母様は少し顔を上げただけだったが、クリスがすぐさま反応した。
「だねぇ。悠長に軍事演習なんてやるのねぇ……なんて思っていたらぁ、裏で色々と手を回していたんだもんねぇ」
「それもありますけど、そっちじゃないです」
「えぇ? じゃあどっちぃ?」
「シンクロー様の剣技ですよ!」
「ああ! そっちぃ!」
不正を働いた家臣達の裁きは先程一区切りが付いた。
代官職にあった者達十八人が死罪となり、刑はすぐさま執行された。
異世界の『ウチクビ』と言う処刑方法で。
最初の一人に刃を振るったのはシンクロー自身だ。
「カタナってすごく刀身が細いじゃないですか? なのにあんなに簡単に人の首を斬っちゃうんですよ?」
「確かにねぇ……。冒険者が束になっても斬れなかった
「ネッカーの戦いでゲルトとカスパルの首を一振りで斬ったって聞かされた時はさすがに嘘でしょって思いましたもんね」
「あれを見せられたら信じない訳にはいかないわねぇ。でもぉ、斬るって言うならシンクローの家臣も皆すごくなかったぁ? 誰がやっても事も無げにやっちゃうんだものぉ」
「でも、シンクロー様が一番綺麗な剣でした。静かで、無駄がなくて、惚れ惚れと見入っちゃいました――――」
「あの……二人共それくらいで……」
私が頼むと、二人は「はっ!」と目を見開いた。
「え? あっ! ごめんなさい!」
「す、すみませんでした!」
「いえ、良いのですよ」
お母様が「気にする事はありません」と片手を上げる。
家臣達に刑が執行される間、お母様は一度も目を逸らせる事なく最後まで見届けた。
私やクリス達は荒事の経験がある。
だからこそ人の首が斬り落とされる光景を前にして耐え切る事も出来た。
だが、お母様は剣を握った事もないはずだ。
辺境伯夫人でなければ、ごくごく普通の女性に過ぎない。
次々と落とされる首、そして代官達の断末魔の声。
ついさっきまで代官達の不正をなじり、怒りを露わにしていた民衆さえも顔を背ける中、お母様は辺境伯夫人として
心配になった私は刑の執行が終わった直後、お母様に休息と取っていただこうと裁きの場を離れたが……。
見た目とは裏腹に、お母様の声は弱々しさを感じさせない。
「サイトー殿の剣には美しさすら感じました。剣を握った事のない私ですら、そう感じたのです。あなた方が素晴らしいと感じるのは当然の事でしょう」
「そ、そうですかぁ?」
「そう仰っていただけると……」
「サイトー殿のお陰で残酷な光景を見ずに済んだのです。私はむしろ感謝せねばならないくらいですよ」
我々の国にも首を斬る処刑方法はあるが、異世界の『ウチクビ』とは大きく異なる。
異世界の『ウチクビ』が剣身の細いカタナを使うのに対し、こちらでは分厚く巨大な斧を用いて首を斬る。
しかも、とにかく力任せに斧を振り下ろし、首を叩き折るかのように。
極めて粗雑な処刑方法だ。。
刑吏が十分な
罪人は痛みに苦しむ事はなく、恐怖に悶える事もなく、一瞬で死を迎える事が出来るだろう。
だが、罪人にとって理想的な刑吏はほとんどおらず、むしろ例外中の例外。
技量の劣る刑吏が圧倒的に多数であり、罪人を待ち受けるのは苦悶に満ちた最期だ。
斧の狙いは定まらず、首とは関係ない箇所を何度も打ち付けられ、苦しみは
飛び散る血肉と泣き叫ぶ囚人の声は、見る者の心を搔き乱し、大いに恐怖させる。
恐るべきは、処刑執行者の目的が、罪人を処刑する事そのものよりも、苦しませる事と見る者に恐怖心を植え付ける事にある時だ。
処刑に使われる斧は、わざと錆を浮かせ、刃こぼれを作り、極限まで切れ味を鈍らせ、もはやただの鉄の塊としか言いようのない代物が用意される。
始まるのは残虐極まる見せ物。
処刑を『ウチクビ』で行うと聞かされた時、私達はそうなる事を覚悟していた。
だが、現実はそうならなかった。
「人が殺される光景など、罪人の処刑であっても好き好んで目にするものではありません。ですが……私も見入ってしまいました。あの剣技に……」
「お母様……」
「ですから、覚悟していたよりも気持ちは落ち着いているのです。心配してくれてありがとう……」
「頭を上げて下さい。お母様が穏やかな心持でいらっしゃるのが何よりなのですから」
私がそう言うと、お母様は重ねて「ありがとう」と口にされた。
「……ふう。それにしてもサイトー殿はお優しい方ですね」
「え?」
「残酷で無慈悲な刑にしようと思えばいくらでも出来たはずです。たしか……『ノコギリビキ』でしたか? ハンナさんがされかけたのは」
「ひっ……! あ、あれですか……?」
「木で作ったノコギリでジワジワと首を斬るだなんて、とても恐ろしい刑ではありませんか?」
「思い出したくもありません……!」
「
「確かに……。シンクローならあるいは……」
「え? どういうことぉ?」
「何か心当たりがあるんですか?」
「ああ。実は――――」
今日の裁きに先立って、シンクローは処刑された者達の家族を秘かに逃がしていた。
不正が明らかとなり、刑が執行されれば家族にも累が及ぶかもしれない。
これまで通りにアルテンブルク辺境伯領に住み続ける事は困難だろう。
結託して不正に手を染めていた者や、不正で得た財貨と知りながら利益を得た者は裁かねばならないが、そうでない者まで苦しませる事はないと、ネッカーへ移すなり、ビーナウから船で逃がすなりしていたのだ。
特に幼い子どもは。
「ええっ!? いつの間にそんな事してたのぉ!?」
「お傍にいるのに全然気付きませんでしたよ!」
「モチヅキ殿やマツナガ殿はずいぶん反対したらしい。トーザ殿やサトー殿までもな。
「一族郎党……」
「ぞ、族滅……」
「しかし、タンバ殿とリギョー殿はシンクローの味方となったらしい。ここは彼らにとっての異世界。慈悲を掛けてみるのも一興だ、と」
お二人がシンクローに賛成した真の理由は分からない。
タンバ殿には何か策があるのかもしれないし、リギョー殿は聖職者だからかもしれない。
さらには、シンクローの父親であり、サイトー家の当主であるサコン殿までシンクローの好きにさせて良いと仰ったのだと言う。
サイトー家の重鎮三人が賛成に回ったことで、族滅すべしとの意見は全く勢いを失った。
「外に漏れるとまずい話だ。秘密にしておいて欲しい」
「わ、分かってるわよぉ……」
「墓の中まで持って行きます……」
「本当に、アルテンブルク辺境伯家は得難い人物を得ましたね。私達はサイトー殿が動きやすくなるよう、しっかり支えていかなければなりません」
すると、お母様が私を見つめてニッコリ笑った。
「ですからヴィルヘルミナ? 早くサイトー殿と
「えっ!? ま、またその話ですか!?」
「成就するまで何度でも言いますよ? 私も旦那様も諦めていないのですから」
お母様は、まるでヤチヨ殿のように「うふふふ……」と怪しく微笑んだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます