第80話 「この死狂い共めっ!」加治田は悪態をついた

「前線が破れた!」


 ミナが叫ぶ。


 東軍陣内へ乗り込んだ西軍は二、三十人程度と僅かな数に過ぎない。


 が、連中の目の前に並ぶのは楯持ちと鉄砲衆のみ。


 槍で叩き伏せ、あるいは槍を振り回し、東軍の兵を蹴散らしていく。


 だが東軍も負けてはない。


 徒歩かち奉行の浅利あさりがすぐさま徒歩衆の一隊を差し向け横槍を突かせた。


 横槍で生まれた僅かな隙の間に楯持ち達は態勢を立て直し、乗り込んで来た西軍へ楯ごと体当たりを喰らわす。


 乗り込んで来た者達を押し返そうと懸命にその場に踏みとどまった。


 さらには一度後ろに引いた鉄砲衆が鉄砲を撃ち掛ける。


 ここまでやれば押し返せそうなものだが、西軍は一歩も引く気配が無い。


 西軍鉄砲衆の半数は鉄砲を捨て、代わりに槍や刀を手にし、西軍徒歩衆が開けた穴を目掛けて攻め寄せる。


 東軍陣内には後から後から西軍の兵が殺到し、その数は二百人近くに上った。


 先手同士の戦いは、一気に西軍の有利へと傾く。


「これは……西軍が一気に本陣を突くか?」


「待ってくださいヴィルヘルミナ様! 両軍の左右でも戦いが始まりました!」


 まずは東西両軍の馬上衆同士の戦いだ。


 東軍の五十騎に対して西軍は三十騎。


 乱戦では馬を自在に動かせないと思ったか、東西両軍共に馬上衆の大半が馬を下りている。


 だが、馬から下りたからと言って戦いの苛烈さが和らぐわけではない。


 馬上衆は全員が侍の身分。


 幼い頃から武芸の腕を磨いた者達が揃っている。


 瞬く間に激しい槍の打ち合いとなり、あるいは組討ちが始まる。


 あちらで西軍の侍が叩き倒されたかと思うと、こちらでは東軍の侍が投げ飛ばされる。


 西軍は数で劣るものの、士気の高さでは東軍を圧倒している。


 東軍は完全に攻めあぐねていた。


 東軍馬上奉行の小幡おばたが何かを叫ぶ。


 馬に乗ったままだった十騎余りが西軍馬上衆へと突撃した。


 見事な手綱さばきで西軍の間に躍り込み、陣を崩していく。


「あんな乱戦の中に突っ込んでいるのに、馬の動きだけで西軍を翻弄ほんろうしているぞ! 騎士同士が互いに連携して敵を寄せ付けていない!」


「恐ろしい技量です! 馬格ばかくの小さな馬であんな事が出来るなんて!」


り、と申してな。馬で敵陣を崩す事ための技だ。やはり馬と申せば武田の旧臣と関東衆よな」


「タケダ? カントー? もしかしてネッカーの戦いで馬の上から弓を放っていた者達か?」


「そうだ。武田の領地であった甲斐や信濃は良馬の産地。関東はたいらかな土地が広がり馬術を磨くに最適な土地。いずれも古くから馬上巧者を数多く輩出した土地だ」


「我々騎士の間では、馬格の大きな馬でなければ戦で役に立たないと言われているのですが……。異世界のサムライ達の姿を見ていると常識が揺らぎますね……」


 ヨハンが呆然とする。


 そして馬上衆に続き、長柄衆同士の槍合わせが始まる。


 東軍の長柄衆は三組・九十人。


 対する西軍は一組・三十人で全部だ。


 長柄の打ち合いは純粋に数が物を言う。


 東軍の槍衾やりぶすまの厚さには、さしもの西軍も敵わない。


 このまま叩き合えば東軍が打ち勝とうが、西軍も無策ではない。


 東軍長柄衆の背後から西軍の馬上ばじょうが二十騎ばかりで襲い掛かった。


 西軍大将の長井がついに馬廻うままわりまで投入し始めたのだ。


 馬上の指揮を執るのは副将の戸次べっきであろう。


 激しく攻め立てられた東軍長柄衆の一角が崩れ、西軍長柄衆がここぞとばかりに前に出る。


 左右両翼は激しく戦いつつも一進一退。


 戦いは膠着こうちゃくに陥る。


 その間に中央では新たな動きが起こっていた。


 西軍は東軍陣内へ鉄砲を持ち込み、至近にて撃ち合いとなっておる。


 濛々もうもうと立ち込める硝煙で陣内の視界は大いに悪くなっているであろう。


 これを味方に付けたのか、西軍徒歩衆が東軍鉄砲衆の列を破り、ついに東軍本陣前と迫った。


 だがしかし、東軍には本陣馬廻が一兵も損ずる事無く残っている。


 ここまでの連戦で消耗した西軍は東軍本陣馬廻に押し返され、体勢を立て直した東軍徒歩衆と鉄砲衆に囲まれる形勢となった。


 陣内への侵入は許したものの東軍の大将も奉行衆も全員健在だ。


 僅かな切っ掛けがあればすぐさま態勢を立て直してしまう。


 ミナとヨハンは拳を握り締め、今や言葉も発さず戦の成り行きを見つめている。


 一方、見物衆からは大きな歓声が起こり、もっと攻めろだの、もっとやり返せだのと、好き勝手な事を申しておる。


 あれは賭け事でもしておるな?


 仕様しようが無い者共であるな……。


 東軍が勝つか、西軍が勝つか、賭けはいずれに傾くかのう?


 左右両翼に次いで中央でも一進一退の形勢だ。


 ただ、西軍がこのまま東軍陣内に残って戦い続ければ、囲まれてり潰されてしまう恐れがあるが――――。


「――――掛かれ!」


 騒然とする戦場の中で、下知げちの声がいやに響いた。


 西軍大将の長井ながい隼人はやとの声だ。


 中央で西軍がどっと押し出す。


 左右両翼の動きが膠着する間に、長井は馬廻足軽衆を引き連れ大将自ら東軍本陣へ斬り込んだのだ。


 この激しい乱戦と、戦場全体に立ち込める煙硝が西軍馬廻の動きを覆い隠し、東軍陣内への侵入を許した。


 思いもせぬ西軍大将の突撃に、東軍徒歩衆の列が破られ、次いで東軍馬廻が崩れる。


 東軍大将の加治田かじた藤佐とうすけが叫んだ。


隼人はやと! 何て無茶苦茶な真似をするのだ!」


「無茶で結構! 覚悟せいよ藤佐とうざ!」


「大将が雑兵の真似事をするか!? お前が討ち死にすれば全軍瓦解だぞ!?」


虎穴こけつに入らずんば虎子こじを得ず! 肉を切らせて骨を絶つ!」


「お主、左様な言を弄する男であったか!? 九州衆の色に染まったのではないか!?」


「そうかもしれん! だが爽快な気分だ!」


「ええい! この死狂い共めっ! 始末に負えん!」


「何とでも申せ! その首いただくぞ! クリストフ殿!」


「何っ!?」


 長井の背後から小さな影が飛び出した。


 一騎打ちに敗れたはずのクリストフに相違ない。


「させん!」


 副将の山県が槍を繰り出すが、クリストフは槍を踏み台代わりに大きく飛び跳ねた。


「加治田殿! お覚悟!」


「くうっ!」


 藤佐とうざとクリストフがもつれるようにして馬から転がり落ちる。


「東軍御大将討ち取ったり!」


 クリストフの叫び声が戦場に響いた。

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