第45話 「仏首は吉兆。祝着である」異界の者達は言葉を失った

「斎藤新九郎と申す。少し話を聞かせてくれ」


「あなたがサイトー殿でしたか……」


「ん? 俺の事を知っておるのか?」


「配下の兵が噂話を聞きつけて来たのです。荒くれの冒険者を次々と下して配下に組み込み、凶悪な魔物を次々と狩った強者がネッカーの町にいると。その者は名をサイトー・シンクローと言い、辺境伯や町の住人達は大いに信頼を寄せているとも……」


 忍衆が流した噂の一つだな。


 確実に届いていたようで何よりよ。


 左馬助の奴が僅かに頷いた。


「出陣前、ゲルトの口からも同じ名を聞きました。お館様を乱心させた悪党だという話でした。噂話とはどうにも結び付かず、いずれが真実かと迷っておりましたが……今回の戦いぶりを拝見し、まったくの嘘だったのだと思い知りました……」


「褒め言葉と受け取っておこう。ところでお主、何故なにゆえ首実検の証言を引き受けた? 何をするのか竹腰から聞かされたであろう? 恐ろしくはないか? ミナは先程からずっと震えておるぞ?」


「シンクロー!」


 ミナが頬を膨らませて抗議するが、笑って受け流しておいた。


 俺達のやり取りにヨハンは目を丸くしていたが、程なく落ち着いた様子で口を開いた。


「仲間達を出来る限り遺族の元へ返してやりたいのです。『クビジッケン』の後は遺族へ首を返すと伺いました。敗者の遺体は戦場に打ち捨てられるのが常。それを遺族の元にお返しいただけるなら……」


「考えは分かった。だが、辺境伯やミナはともかく、俺達に協力すれば白い目で見られるかもしれん。それでも良いのか?」


「反逆者として処罰される事を覚悟していたのです。白い目で見られたところで、どうということはありません」


 言い切ったヨハンの顔に逡巡の色はない。


「見事な覚悟よ。しかし得心がいかぬな」


「は?」


「冷静に物事を判断することが出来、斯様かように見事な覚悟が出来るお主が、何故ゲルトの命に従ったのか、それが分からん」


「それは……私が不覚を取ったからで……」


「兵の為か?」


「!」


「お主、ミナの陣営に馳せ参じることも考えたのではないか?」


「それは……」


「馳せ参じるとすれば……兵は連れずに単身で、だな。お主のような男は自身の勝手に配下を巻き込むことを嫌うからな。だが、出来なかった。なぜならゲルトとカスパルにそんな理屈は通用せんからだ。主が裏切ったなら兵も同罪だと、弁解の機会も与えずに処罰したに違いない。そうではないか?」


「何故そこまで……? 私は誰にも話していないのに……」


「なんとなく想像してみただけよ。俺達の故郷は戦国乱世。ありとあらゆる修羅場を目にしてきたつもりだ」


「……お見逸みそれ致しました」


 ヨハンは深く頭を下げた。


「もう止めよ。此度は敵することとなったが、兵を想ったお主の心根は天晴れ。見事である。斯様な者を処罰するなど愚の骨頂。俺からもお主を処罰せぬ事を約束しよう」


「ありがとうございます……。改めて『クビジッケン』に協力することを誓います」


「分かった。期待しておるぞ?」


 竹腰に「始めよ」と命ずと、一通の書状――首注文を開いて読み上げ始めた。


「文禄五年閏七月二十六日、帝国歴四百二年九月十九日、うまの刻、ネッカーにおける合戦にて討ち取りたる首、ご注進致します。一番首をこれへ」


 一番首とはその名の通り、合戦で第一番に討ち取られた者の首だ。


 敵陣への一番乗りと同じく大きな手柄である。


 竹腰の言葉に応じて、三十代ばかりの家臣が三方に首を載せて進み出た。


 ミナが息を飲み、クリスとハンナから「ひっ……」と声が上がる。


 ヨハンは……さすがに身じろぎはしない。


 ただ、首はこの者の顔見知りやもしれぬ。


 表情は硬い。


「首の主はミハエル・エンデ殿。アルテンブルグ辺境伯家家臣。身分は騎士。槍歩兵三十人を率いてネッカーの町へ乱入した所を、安藤あんどう左衛門尉さえもんのじょう殿が弓にて討ち取りましてござります」


 首を運んでいるのが討ち取った安藤自身だ。


 神妙な顔で俺達の検分を待っている。


 目を凝らして見てみると、竹腰の言葉通り、首のこめかみには矢が刺さったと思しき小さな穴が開いている。


 ミナも気が付いたようだ。


「……あれが矢の刺さった跡か」


「うむ」


「ところで質問したいんだが……」


「何だ?」


「……アンドー殿はどうして首の両耳に親指を突っ込んでいるんだ?」


 確かに、安藤は左右の親指を首の両耳に差し入れ、残った四本の指で三方を支えていた。


 理由を知ると恐がるかもしれんが……尋ねたのはお主だぞ?


 文句を言うなよ?


「先程申したであろう? 恨みを残した首は、噛み付こうと飛び掛かって来ると。耳を押さえることで、飛び掛かるのを防いでおるのだ」


 ミナは息を飲み、顔色は青を通り越して真っ白になった。


「そんな顔をするな。首をよく見てみよ。苦悶の色はなく、穏やかに両目を閉じておる。これは仏首ほとけくび。吉兆だ」


「…………普通の首と……どう違うと言うんだ?」


「討ち取られたにも関わらず、苦悶の相を浮かべず、あたかも御仏みほとけの如く穏やかな相でいる首は、死してなお恨みを残さず、勝者にとって吉とされるのだ。実に目出度い。祝着しゅうちゃくである」


「首が目出度い……」


 ミナは気味悪そうに顔を歪め、クリスとハンナは「そんなので喜べるか!」とでも言いたげな顔をしている。


 ヨハンも息を呑んだ。


「首を獲る習慣のない者には分からんかもしれんが、これは兵の士気にも関わる重大事なのだぞ? 討ち取った敵が深い恨みを残した顔であったと聞けば、兵の心は穏やかではなかろう。だが仏首だったと聞けば、多少は心が軽くなろう。異界での初陣ういじんで仏首は良い事なのだ」


 詳しく話しても、異界の者達は誰も納得していない。


 ……まあ、目出度いとは申したがこれは偶然ではない。


 恐らくは佐藤の爺と竹腰が結託して細工をしたのであろうがな。


 討ち取りから首実検まで一日あったのだ。


 首化粧くびげしょうのついでに仏首にしてしまったのであろう。


 ものの道理を承知しておる年寄連中はこういう時に頼りになる。


 さて、後は首の主がミハエルなる者に間違いないか否かだが――――、


「――――ヨハンよ。この首、ミハエル・エンデ殿に相違ないか?」


「……ご、ございません。ミハエル・エンデ殿とは、かつて同じ隊に所属しておりました……」


「良し。安藤、大儀であった。一番首の褒美として銭五十貫文を与える」


「はっ! 有難き幸せにござります!」


 俺の言葉を後ろに控えた右筆ゆうひつ石谷いしがい兵部少輔ひょうぶのしょう頼衡よりひらが書き記していく。


 手柄と褒美の証拠として感状も出さねばならんからな。


 この場のやり取りは一言一句聞き漏らすまいと耳をそばだてているに違いない。


 手柄を認め、褒美を約束した後は家臣を激励して首実検は終わりだ。


「今後も良く励むようにせよ」


「ははっ!」


 安藤がきびすを返してその場を退くと、ミナが青い顔のままで再び尋ねた。


「……一つ、尋ねるのを忘れていた。弓矢で討ち取ったと聞いたが、誰が討ち取ったのかハッキリと分かるものなのか?」


「心得良き侍は、己の矢にそれと分かる目印を付けておく。筈巻はずまきの糸や矢羽根に違いを出しておくのだ。家中の者も当然それを知っておるから、誰の手柄かは一目瞭然。竹腰のように、家臣の勲功を確認するため軍目付もおるしな」


「なるほど……」


「続いて二番首にござります」


 落ち着きを取り戻しつつあったミナであったが、首は一番首の一つでは終わらぬ。


 一番首の後は二番首、二番首の後は三番首、その後は名のある大将格の首が続く。


 本番はこれからだ。


 言葉を完全に失ったミナに対し、首注文を読み上げる竹腰の声は妙に朗らかであった。

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