第8話 「お主を信ずる。頼んだぞ」新九郎はミナに告げた

「見えたぞ! 砦だ!」


 前方を馬で疾走するミナが振り返って叫ぶ。


 黒金に跨った俺は「ああ!」と大声で返す。


 伝令の報告を聞いた直後、俺は使者を買って出た。


 俺と同じ服装の者がいるなら、その者は日ノ本の人間かも知れぬからだ。


 異界から現世へと帰る手掛かりが掴めるかもしれん。淡い期待だが、動かない選択肢などない。動かねば何も始まらぬ。


 気掛かりなのは、伝令が伝えた『見たことのない赤い鎧の軍勢』だ。


 この軍勢も日ノ本から来たものだとすれば、心当たりはある。


 『赤備あかぞなえ』だ。


 赤く塗り上げた甲冑かっちゅうに身を固め、赤く染め上げた旗を差す兵。


 赤備えの者は、探せばどの家中かちゅうにもおろうが、それが軍勢と呼べるほどの集団となれば候補は限られる。


 だからこそ、俺の中に淡い希望が生まれた。


 斎藤家も訳あって赤備えの軍勢を有しているからだ。


 現れた者達が俺の家臣であってくれれば僥倖ぎょうこうなのだが……。


 当家以外で赤備えと言えば、かつては武田や北条が有名どころだったが、この二家は既に滅んで今はない。


 次に名が出てくるのは徳川家中の井伊いい直政なおまさ


 赤鬼と恐れられる猛将だ。


 だが、徳川とは互いに遺恨いこんがある。出会いたくはない相手だ。


 他には――――。


 考えを巡らせている内に、前方に小さく見えていた砦はもう目の前に迫っていた。


 砦と言っても、広さは百姓の家を二、三軒合わせた程度、高さも家二軒を重ねた程度の小さなものだ。


 石を組み上げて建てられており、頑丈そうな見た目だが、せいぜい物見程度にしか使えまい。


 赤い鎧の軍勢はどこにいるのかと、背を伸ばし、首を伸ばしてみるが…………おかしい。軍勢の姿など、どこにも見当たらぬ。


「お嬢様!」


 砦から兵士が姿を現し、こちらに手を振った。


 他の兵士達も次々と顔を出す。


 戦が始まっていないかと気を揉んだが、どうやら無事らしい。


 ミナが砦の出入口へ馬を乗り付け、大声で尋ねた。


「待たせたな! 敵はどこだ!」


「そ、それが……森の中へ入ってしまいました!」


「森の中? 撤退したのか?」


「分かりません! しばらくは我々の様子をうかがっておりましたが、何もすることなく、整然と森の中へ入ってしまったのです! 今は姿が見えませんが、時折馬のいななく声が聞こえます。近くにはいるものと思われます!」


「こ奴と同じ服装の者もいたのだな?」


 ミナが俺を指差すと、兵士は大きく頷いた。


「はい! 大半は赤い鎧を身に付けておりましたが間違いありません! お客人なら何かご存知かと思い、急いで伝令を放ちました!」


「分かった。報告ご苦労。持ち場へ戻ってくれ。皆には苦労をかける! 今しばらく耐えてくれ!」


「「「「「おおおおおおっ!」」」」」


 ミナが呼び掛けると、兵士達は強い声で答えた。


 なかなか様になっている。見事な女武者ぶりだ。


 なぜだろうか?


 なんとなく、手の掛かった娘の晴れ姿を見せられた気分になった。


「……なんだその目は?」


「お主もやるではないか。兵の信頼が伝わってくる」


「なっ……!」


「見事な振る舞いだ。辺境伯と奥方にもご覧いただきたいものだな」


「…………」


 無言でソッポを向いてしまった。


 兵士達から笑いが漏れる。


 誰かが「お嬢様もお年頃だな」などと口にし、さらに大きな笑いが起きた。


 敵かもしれぬ連中が近くにおるかもしれんのだがな……。


 まあ、この程度に目くじらを立てることもあるまい。


 兵の緊張も程良くほぐれたようだしな。


「冗談はここまでにしておこう。森に入った連中をどうするか、だな」


「……何か策があるのか?」


「策と申すほど大層なものではない。俺が話をしてみよう。日ノ本の者かもしれぬからな」


「何者かを見極めるんだな? 同行しよう」


 ミナが当然のように同行を申し出た。


「いや、俺一人で行こう」


「いや、何かあった時に一人では――」


「だからこそだ。お主はこの場で最も地位が高い。兵の信頼もあろう。ならば、この場を仕切るのはお主しかおらん。お主が大将なのだ。大将たる者、己が身を無用に危険に晒してはならん」


「しかしシンクロー一人を危険に……」


「俺はお主を信ずる。だから後を託す。頼んだぞ」


 念を押すように言うと、ミナは渋々といった様子で頷いた。


「……分かった。信ずる、頼むとまで言われては断れん」


 言葉とは裏腹にどこか不機嫌そうに呟いた。


「では行って来る。黒金、お前はここに残れ。ミナに手間を掛けるでないぞ?」


「ぶふっ!」


 何が起こるか分からん。


 馬に乗るより、徒歩かちで進んだ方が対処しやすい。


 黒金は俺に意図を理解しているのか、着いて来ようとする様子も、引き留める様子もなかった。


 さあ、ここから先は己自身と腰の刀一振りのみが頼りだ。


 鬼が出るか、蛇が出るか、それとも…………。


 森へと伸びる細い道をゆっくりと進む。


 昨日、黒金にミナを乗せて進んだ道だ。


 道も森も、見た目は昨日と変わりない。


 だが、一歩一歩と森に近付くたび、心臓を鷲掴みにされたような緊張感を感じる。


 森の中から、幾人もの目に見られている。


 あるいは殺気をぶつけられているのかもしれんな。


 森の手前、一町ほどの距離で足を止める。


 鉄砲で狙い打てるぎりぎりの間合いだ。


 姿を隠した連中がその気なら、そろそろ撃たれてもおかしくはない。


 それとも、必中の間合いに近付くまで待つ気か? 付き合ってやるつもりはないがな。


「森の中の者共に告げる! 日ノ本の民なら言葉を理解出来よう!」


 叫ぶように呼ばわる。


「我が名は斎藤さいとう新九郎しんくろう利興としおき! 太閤殿下より、美濃国みののくににて五万石を賜った大名である! 斎藤道三さいとうどうさんの孫だと言えば心当たりの者もおろう!」


 森がざわつく。


 敵意か、動揺か、それとも別の何かか。


 動く気配はまだない。言葉を続けた。


ゆえあってこの地の領主の世話になっておる! 恩義に報いるため、こうして貴公らとの取次とりつぎを引き受けた! 話がしたい! 御大将おんたいしょう何処いずこにおられるか!?」


 森のざわめきが消える。


 待つ事しばし、森から男が一人現れた。


 二十歳前後の若い男だ。


 俺と同じ、小袖こせではかま、腰には刀を差し、脛には脚絆きゃはんを巻いた旅装束。


 日ノ本の者に違いない。


 いや、こちらの様子を探るように近付くその顔は見慣れたものだった。


左馬助さまのすけか!?」


「若っ!」


 崖の上に残してきた家臣に相違なかった。

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