合戦11日前

第7話 「寝付くまで一緒にいてやろうか?」新九郎は何気なく言った

「ぶふっ!」


 庭木に繋がれたた黒金くろがねが嬉しそうに鼻を鳴らす。


 首筋を撫でてやると、気持ち良さそうに大人しくしている。


 今は地震の翌朝、まだ夜が明け切らない刻限だ。屋敷の周囲には朝靄あさもやが掛かっている。


 その朝靄の中、黒金以外にも十頭程度の馬が庭木に繋がれていた。


 再度の地震から馬達を守るため、うまやから出されているのだ


「おや? お早いですね、お客人」


 やって来たのは両手に桶を持った中年の男――馬丁ばていの頭だ。


「お主も精が出るな。す……しゅ……シュテファン」


「ちゃんと呼べるようになりましたね、お客人」


 シュテファンは両手の桶を地面に置くと、俺と同じように黒金の首筋を撫でた。


「こいつは大した馬ですよ。他の馬達は地震でビビり散らかしていたって言うのに、一頭だけ平気な顔をしてゴロゴロと寝転んでいましたからね。規格外ですよ」


「生まれたときから肝の座った奴でな。俺もよく驚かされている」


「お嬢様たちに伺いましたよ? こいつ、ゴブリンを蹴り飛ばしたんですって? そんな馬、聞いた事がありませんよ。どんなに鍛えた軍馬でも、馬は魔物を怖がるものなんです」


「主人の真似をしたのかもしれんな。俺も『ごぶりん』を蹴って退治した」


「……普通は武器なしには魔物に近付きたくないものですよ? あんな気色の悪い連中、触れたくもありませんや」


「あの場面ではそうするのが手っ取り早かったのでな」


「お客人も十分に規格外ですね……」


「褒め言葉と受け取っておこう。ところで、黒金のひずめに付けられたものだが……」


「こいつが蹄鉄ていてつです。何が起こるか分かりませんから、昨晩急いで付けておきました」


「手間をかけたな。礼を言う。しかし、斯様かようなもので蹄を守るとは思いもしなかったぞ」


「そいつはこっちも同じですよ。馬草鞋うまわらじ……でしたっけ? 馬がワラで編んだスリッパを履いているとはね……」


「馬一つをとっても違うところばかりだな。ミナが言っていたように、他の馬とは大きさも馬体の造りもまるで違う」


「一つだけ確かなことがありますよ。こいつは度胸もあれば、良い身体にも恵まれてます。他の馬と比べて小柄だが、馬力は負けませんや。それに蹄も硬くて丈夫だ。蹄鉄を付けりゃあ、より力強く走れますよ」


「ぶふっ!」


「なんだ? お前、喜んでいるのか?」


「ぶふふっ!」


「言葉を理解してるみたいですね?」


「そうかもしれん」


「度胸と馬力があって、頭も良い馬か……。手前もこんな馬が欲しいもんです」


 馬談義に花を咲かせていると、屋敷の玄関からミナが出て来た。


 目の下に隈を作り、疲れ切った表情をしている。


「ここにいたのか。きさ…………シンクロー……」


 貴様と言いかけて新九郎と言い直した。


 地震が起こって以来、ミナは俺の名を呼ぶようになった。


 まあ、新九郎と貴様が入り混じって半々くらいだがな。


 軽く尋ねてみたところ、顔を赤くして無言で殴りかかって来たので返り討ちにしておいた。


 いちいち殴られては面倒なので放っておくことにしたが、どんな心境の変化があったのやら……。


 俺の心中を察した訳ではあるまいが、ミナはげんなりと口を開いた。


「どうしてそんなに元気なのだ? 昨日の地震はこれまでで最も大きかったのだぞ……?」


 シュテファンと顔を見合わせる。


「手前は馬達を守るのに必死で恐いも何もありませんでしたよ」


「地震は地震かもしれんが、日ノ本の地震に比べれば子どものようなものだな」


「シュテファンはともかくシンクローは……。やはり異世界は狂戦士の……サムライとは狂戦士を意味する言葉だったのだな……」


 狂戦士とは、神懸かみがかりして狂乱状態で戦い続ける戦士のことらしい。


 腕や足を切り落とされようと、心の臓を貫かれようと、己の身に何があろうと死ぬまで戦い続けるそうだ。


 はっきり言って侍とは別物。


 そんな化け物と一緒にしてくれるなと言っても、ミナは疑いの目で俺を見るばかりで話を聞こうとしない。


 シュテファンが「他の馬の世話がありますんで」とその場を離れたところで、話題を変えた。


「屋敷や町の被害は如何いかがであった? 俺が見て回った範囲では目立った被害はなかったが」


 地震の直後、被害を確認して回る役を買って出た俺は、辺境伯の家臣と手分けして屋敷や町の様子を見て回った。


 民は騒然とし、夜の闇の中、灯りを片手に右往左往していたが、倒れた建物はやはりない。


 怪我人も、揺れに驚いて転んだ者が数人いただけだ。もちろん死人も出ていなかった。


「昨日から変わりない。少なくとも、ネッカーの町から被害報告が出ることはなさそうだ。あとは町の外の村々だが……」


「被害の報告がないなら少し眠ってはどうだ?」


「……また揺れはしないだろうか?」


「眠っている最中に揺れることが不安か?」


「…………少し」


 とても『少し』とは思えない表情で答えるミナ。


 シュテファンは気にも留めていなかったが、地震に対するこの地の者達の反応は大なり小なりミナと同じだ。


 地震を『大異変』と言いたくなる気持ちも分かる。


「お主らが如何に地震を不安に思っているかは分かったつもりだ。だが、眠らずにいれば体力がもたん」


「…………うむ」


「なんなら寝付くまで一緒にいてやろうか?」


「ふ、ふざけたことを言うな! もういい! 寝るっ!」


 小走りに屋敷へ戻っていく。


 しまったな。


 言葉をしくじってしまった。


 他意はなかったのだが、あれは完全によろしくない意味で解釈されてしまったな……。


 女子おなごの扱いは難しい……。


 屋敷に戻るとまた何を誤解されるか分かない。


 そのまましばらく、シュテファンや他の馬丁達の様子を眺めながら庭で過ごす。


 やがて、日は完全に昇り、朝靄あさもやも晴れた。


 聞こえ始めた町の喧騒けんそうを子守歌代わりに眠気を覚えた時、穏やかな時間は突然破られた。


「伝令――――伝令――――!」


 屋敷の正門から響く声。


 刀を掴んで駆け付けると、伝令と思しき兵士が馬から転げ落ちるように下りたところだった。


 その兵士の顔には見覚えがあった。


 森からネッカーの町へ向かう途上に立ち寄った石造りの小さな砦。そこで顔を合せた兵士の一人だ。


 既に辺境伯家の家臣達も集まっており、ベンノ殿が兵士に歩み寄った。


「何が起こったのです? 落ち着いて話しなさい」


「き、き、き、霧が! 霧が晴れました!」


 ベンノをはじめ、知らせを耳にした者達は「おおっ!」と喜びをあらわにする。


一方、伝令の顔色は冴えない。


 回らぬ舌でさらに続ける。


「て、て、敵です! 敵襲です! 霧が晴れるや否や、見たことのない赤い鎧を身に付けた軍勢が現れました! 数百人はおります!」


「敵? 荒れ地の方から現れたと言うのですか!? 確かですか!?」


「確かです! 東から……日が昇った方角から間違いなく現れました!」


「信じられない……。荒れ地は魔物の巣窟そうくつですよ……」


「わ、私にも何がなんだか……。見張りの者は全員我が目を疑い、何度も目をこすっては確かめて――――」


と、そこで、俺と伝令と目が合った。


 合った目線を外そうとせず、凍り付いたように動かなくなってしまう。


「俺がどうかしたか?」


 尋ねると、伝令は俺を指差して叫んだ!


「やっぱりだ! その服! その服です!」


「?」


「敵の中にお客人と同じ服装の者がいたんです! 間違いありません!」


 絶叫するように伝令は叫んだ。

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