第3話 仕事終わりに幸あれ

 全力。そう、全力だった。持てる全てをぶつけた。だと言うのに······。


「クソッ、だいたい一分オーバー!」


 そして全力疾走。案外てこずった。サンプルと言えど、所詮は失敗作だったはずなのに。


 一分くらいなら間に合う、そんな考えはもっともだ。だがそれはあくまで時間の話。私の心にはもう余裕がない。一刻も早く癒しを受けたい。


「ボス、お疲れ様です!」

「ああ、車出せ。」


 黒のセダンは倉庫のすぐ側に、ひっそりと止められていた。


「事務所まででいいですか?」

「いや、そこから3キロほど離れた喫茶店まで送ってくれ。」


 喫茶店『照点てるてん』。雰囲気のいい老舗であり、知る人ぞ知る名店である。メイのバイト先もここで、私は常連客だ。


 後部座席に座って、せめてジャケットだけでも着替える。毎度のことだが、荒事になると血生臭くてかなわない。


 にしても、帰ったらすぐに風呂に入ろう。最悪シャワーだけでもいい。


 逐一腕時計を確認しつつ、車に揺られる。到着時間は案外早かった。


「よし、どうせあいつらまだせっせこ働いてるだろうから、もう帰れって伝えてくれ。」

「あいっ、お疲れ様です。」


 車が走り去った後、またしても全力疾走。辛い。この世界は鬱なことが多すぎる。癒しがあるのは幸せなことだ。


「ただいま!」

「お帰りなさい······って、走ってきたんですか?息荒れてますよ?」


 いつも通りの可愛らしい笑顔で出迎えてくれた。靴を脱ぎ捨て、すぐさまメイに抱きついた。


 私とは十五センチほど身長差があるメイは、ハグをするときはいつも私の脇の下辺りに腕を回す。だが、今回は首にまで腕を回して、頭を近付けてくる。


「お疲れ様です。よしよし。」


 こうして仕事終わりの辛さを慰めてもらうことはよくある。その度、こうして私を抱きしめ、よしよしと落ち着かせてくれる。


 ······もう死んでもいい。そう思えてしまう。


「さっ、映画観ましょう!あ、その前にお風呂入ります?お湯沸かしますよ?」

「ありがとう。臭い気になるし、さっと入ってきちゃうよ。」


 とろけてしまいそうに甘く、優しく、幸せな仕事終わり。これがなければ、私は早々にこの人生を捨てていただろう。

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