第1話 そんなことよりあの子

 指定暴力団『天転会』。その勢力は関東全域に広がり、薬と殺人を生業とし、裏社会ではなかなかに多大な力を持つ。


 団体の総長、霧谷重蔵きりやじゅうぞう、四十二歳。この男の全盛期は鬼の如き力を振るい、十八の頃には既に一つの不良チームを結成していた。


「ボス、こいつどうしましょう。」


 引き摺ってきたのは、恐らく霧谷の側近だと思われる中年男性だった。


「適当に棄てとけ。話し相手はこいつ一人で十分だ。」


 壁にもたれてへたりこみ、横腹を押さえてうつむいている。


「おーい、生きてますかー。」


 すると顔を上げ、怒りに満ち溢れた表情でこちらを睨み上げてきた。


「元気そうで何より。」

「ナメんなよ、クソアマ······!」


 クソアマ、か。女であることがこの状況とどう関係するのか、よくわからない。


「お前はその女に負けたんだよ。サシでやり合って。」


 関東の鬼も堕ちたものだ。歳には勝てないとよく言うが、それでも現役、どころか日本刀持ち。それが素手の女に負けるとは。


「てめえら、北関東支部もやりやがったみたいだな。」

「ああ、あそこの計画まあまあ面白いと思ってな。薬の全国供給。売人を数十人派遣して全国各地に回らせる。」

「あそこのトップはどうした。」

「安らかに逝ったよ。眉間に鉛玉ぶちこんで即死。」


 さて、そろそろ本題に入ろうか。腰に差していたピストルを霧谷に構える。


 自動拳銃、グロック17L。そう特殊でもないが、昔抗争になったマフィア団体が量産していたため、そのまま使わせてもらう。


「で、△はどこだ?」

「知らねえよ。」


 霧谷の頭のすぐ左に発泡した。コンクリートの壁にひびが走る。


「ハッ、△なんて迷信信じて、裏社会に立とうなんざ、甘い考えはやめとけ。」

「······。」


 こいつが△を所持してるって話は、一部では有名だ。


「△を持ってるって噂を流せば、お前みたいな馬鹿どもがふらふら集まってくる。権力の保持に役立つんだよ。」


 なるほど。核兵器の保持で各国に権威を示すような物か。嘘をついているようにも見えない。


「ざまあ見やがれ、糞野郎!てめえは一生その馬鹿げた夢を······、」

「ボス!メイ君から電話です!」

「出る。」


 ぎりぎりワンコール。霧谷などこの際どうでも良い。


『もしもし、恵梨えりさんですか?』

「ああ、どうした?」

『すいません、バイトもうすぐ終わりりそうです。』

「わかった。こっちもさっさと終わらせて、迎えに行くから。」

『えっ、良いんですか?ありがとうございます!』


 電話を切り、スマホをポケットにしまう。右手のピストルを構え、次は霧谷の眉間に撃ち込んだ。


「えっ、良かったんですか?残党が襲ってきた時とか、こいつがいた方が······、」

「いや、いらないね。こんな老いぼれ。よし、こんなとこさっさと出よう。死体よろしく。」


 早々にこの事務所から出て、部下が停めておいた車に乗り込む。


 メイのバイト先は知っている。ここからだと五分もかからない。ピストルはトランクに投げ、血が飛んだジャケットを着替える。


 愛しの彼氏に会うのに、こんな汚ならしい格好はしたくない。



 私が着く頃にはメイはバイトを終えて出てきていた。


 駐車場に車を停める前にメイは私に気付いたようで、手を振ってきた。


「やあ、お仕事お疲れ様。」

「恵梨さんこそ、お疲れ様です。」


 ああ、この鬱な社会での、唯一の癒し。こんな私には勿体ない人だ。可愛くて、優しくて、みんなに好かれてて······、


「恵梨さん、突然ですけど、僕達の馴れ初めって覚えてます?」

「去年の十二月二十日土曜日二十二時三十五分に東京スカイツリー前イルミネーションでたまたま肩が当たったのが君で速攻で連絡先聞いて一週間後に映画館デートからの同時告白。」

「わー、さすがです!」


 忘れるわけがない。神様がいるのだとしたら、これはきっと私に与えたたった一つの幸せだろう。


 あの日出会って、恋をして、付き合って、今では同棲間近まで掴み取った。人生の転機。そして生きる意味を得た。


「急にどうしたの?」

「バイト仲間に、最近恋人が出来たって人がいて。それでなんとなく。」


 試されているとも考えたが、メイに限ってそんなことはないようだ。


 一月の空気は冷えきっている。寄り添い合った体温で暖を取る。


「さあ、外は寒い。早く帰らないと。」


 私の秘密。それはメイとの関係。こんな社会では、相手の家族や愛人を狙うことも多々ある。そんな危険に晒せない。


 ······まあ、メイとの生活がばれたくないのも、理由の一つではある。わりと結構恥ずかしい。

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