第5話 再戦!波音茉莉!

 覚醒した澄華に敵はない。

 ASMR少女たちをなぎ倒し、澄華は決勝まで駒を進めた。

 

 そして訪れた決戦の日。

 VSMR決勝。


 スタジアムの上には、二人の少女が立っていた。


「とうとうここまで来たよ、波音さん!」


「阿住澄華。あの時、完膚なきまでに叩き潰したはずですが」


「生憎だけど、私は諦めが悪いんだよね。それに、ちゃんと特訓もしてきた」


「あれで折れないとは……。たんぽぽのような方ですね」


 司会が両者に距離をあけるよう伝える。

 これから決勝が始まろうとしている。


 試合が始まる寸前、茉莉は問うた。


「どうしてそこまでのモチベーションを保てるのですか? 貴方は何を土台に、そこまで立ち上がれるのですか?」


「ASMRの楽しさ。VSMRのワクワク。それを何度も味わいたいからだよ」


「理解不能です」


 レフェリーが高らかに宣言した。


「VSMRファイッ! 先行、波音茉莉!」


 VSMR勝負は二本先取。つまり、先に二度勝利すればいい。

 まずは茉莉のターンだった。


「『こりこりの軟骨』」


「耳にぞわぞわくるこの心地良い感じはぁー!?」


 “こ”という発音がそもそも気持ち良い。

 いきなり鼓膜を舐め尽くされたような感覚。それでいて脳がバグっていくこの不可思議な精神状態。

 ASMR少女は、より相手に気持ちいい脳体験を与えることが永遠の課題。


 喜びに震える澄華を、不安げに見る乙女がいた。


「スミちゃん!」


 阿住澄華の親友、承村給子が手を組み、祈りを捧げていた。


「やっぱり波音さんのASMR力は高すぎる。小細工抜きの力強い右ストレートだ」


 思わず給子は唾を飲み込んだ。


「私達が真っ当に迷路を攻略しようとするのに対し、波音さんはひたすら壁をぶち抜いていく。そんな力強さを……!」


 単純だが、それ故に求められる地力は相当なものだ。

 日々ASMR少女たちはあらゆる話術や心理学、発声方法、国語を修めている。

 それは全て、至高の脳体験を与えるため。


 しかし、この波音茉莉がやっていることはそのセオリーを真正面から破壊する。


 声は音。つまり、最高に気持ち良いと感じる音だけを叩きつけていけば良い。

 なんというストロングスタイル。

 波音茉莉の声は、机上の空論とも言えるそのストロングスタイルを実現しているのだ。


「た、立ち上がれない……! 気持ち良すぎて、ああぁ!」


 ビクビクと小刻みに震えた後、膝をつく澄華。


「波音茉莉、一勝!」


 割れんばかりの拍手が、会場を包み込む。

 澄華はすぐに回復したが、その実力の開きに改めて両手を挙げたくなる。


(やっぱすごいや波音さん。たった一ターンで私を沈めてみせた)


 思わず、澄華は顔を片手で覆った。

 ニヤニヤ笑いが止まらない。

 こんな強敵相手に、思う存分VSMRが出来ることに。


「ふ、ふふ」


「気でも狂ったのですか? 突然笑い出すなんて」


「狂うでしょ、こんな楽しい勝負」


 澄華は立ち上がり、笑ってみせた。その表情は、時代が時代なら、一国の将にも匹敵するだろう。


「さぁ、楽しい勝負を続けるよ。次は、私の番だ」


 二本目。先手は澄華。

 彼女たちの戦いを見守っている者は、共通した展開を見ていた。


 ――このターンで倒せなければ、阿住澄華は敗北する。


 茉莉の高いASMR力は、確実に澄華の脳を気持ちよくさせる。

 絶対にしくじることは出来ない。


 それにも関わらず、澄華は楽しそうだった。


「余裕そうですね」


「そう? 心臓バクバクだよ」


 茉莉の耳元に顔を近づける澄華。

 自然と二人の声量はささやき声になる。


「でもね、それ以上に波音さんへ私の声を届けたいんだ」


 澄華のターンが始まる。


「『お帰り。今日も頑張ったね』」


 相手を労る方向のASMR。

 ここからのパターンは膝枕からの耳かきを始めとする、様々なルートがある。


「『今日は何にする? ご飯、お風呂? それとも――』」


 「なるほど、このルートか」、と茉莉は防御の構えを取る。

 ここから吐き出されるのは甘い言葉。ならば、それに対するマインドセットをしておくのみ。



「『キンキンに冷えたピーマンを齧る音を聞きたい?』」


(なっ……!)


 ゴリュッ、パキッ。大ぶりで、キンキンに冷えたピーマン。それをガブリと食らいつく姿。

 を聞いただけで、茉莉の脳は揺さぶられた。


(誤算ですね。声だけで、生野菜を齧る音が再現できるとは。あぁ、私もピーマンを食べたくなってしまう)


 そこで終わる澄華ではなかった。


「『ピーマンと言えば、バーベキュー。次は焚き火でもしたいよね?』」


(焚き火……!?)


 パチ、パチ、パチ……。澄華の口から発せられるのは、確かに焚き火の音である。

 澄華の表現力は異次元だった。


(真夜中の静寂。一人焚き火をする光景が容易に浮かぶ。パチ、パチ……パチ。耳が、気持ちいい、です)


 茉莉は自分の気づかぬうちに、足が震え、そして自然と地に膝をついていた。


「阿住澄華、一勝!」


 その宣言に、会場が沸く。

 この大会で波音茉莉が一本取られたのは、これが初。


「この短期間でこれだけの成長をするとは」


「波音さん、ようやく私のことを見てくれたね」


 茉莉の視界に、対戦相手は映らない。

 なぜなら映る前に沈むのだから。


 だが、今は違う。



「波音さん、私は勝つよ。君を気持ちよくさせる」


「阿住澄華。私は負けられない。あの人を超えるために」



 今、最終ラウンドの鐘が鳴る。

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