第4話 ASMR少女にとって大事なこと
天を掴むにはそれ相応の努力が必要だ。
「はぁ……はぁ……」
茉莉は日課の筋トレを終え、一息ついていた。
至高のASMRは至高の肉体でこそ可能とする。それが彼女の信念。
「阿住澄華、ですか」
思わず口にしてしまった名前。今日、野良VSMRを仕掛けられた相手。
実力は中の上。しかし敵ではなかった。
「私に野良VSMRを仕掛けてきた根性は認めます。ですが、足りない」
目をつむると、確かに見えた。
“あの人”は常に無双を誇っていた。ありとあらゆるASMR少女と真正面から戦い、そして脳を揺さぶった。
その名は波音優里花。
姉にして、最強の敵。
「私は有象無象を相手にしている暇はないんです。お姉ちゃんを超えなければならないのです。私自身のASMR道のために……!」
茉莉のモチベーションはあくまで姉のために。
だが、彼女は後に思い知ることになる。姉の他に競り合う相手が存在することに。
◆ ◆ ◆
『もうちょっと耳近づけて良い?』
「近づいて良い訳あるかバカー!」
「うおおお!?」
優里花のビンタが澄華の頬に突き刺さる。
その勢いは凄まじく、一瞬宙に浮かび、そして地面を転がる。
あまりにもスパルタ。下手すれば命を落としかねない。
後から合流した給子は涙していた。大好きな人が死ぬかもしれない。だけど、彼女の成長のためには口を挟むわけにはいかなかった。
「スミちゃん……! ごめんね、でも私はスミちゃんの一番の味方だから、心を鬼にするよ」
手を組み、祈る給子。その姿は、さながら聖女のようだった。
「澄華ちゃん! 近づく事自体は良いよ? けど、物事には段階があるのー!」
「ええっ!? こういうのって、適当に脳に気持ちいい言葉を言えば良いんじゃないんですか!?」
「バカヤロー! 歯を食いしばれ!」
「いったぁ! なんで何回も叩くんですか!?」
「ASMR少女にとって、これは伝統芸能だよ!」
「い、イカれた伝統芸能だ……!」
「良いかい澄華ちゃん。私の感想だけど、澄華ちゃんの言葉はどれも必殺級の声だと思う。でも、そうじゃない。感動はちゃんと連結しているんだよ」
「ど、どういうことですか?」
「物事には順序があるんだよ。いきなりクライマックスで殴るより、小技絡めて一気に殴り倒した方が絶対良い」
「なるほど……?」
「まだ理解していないみたいだね。よし、じゃあ少しばかり実演してあげよう」
「お願いします!」
澄華はまだ、師匠が波音優里花だとは知らない。
だが、給子は知っている。
故に給子は自然と拳を握りしめていた。
「私はこれから、澄華ちゃんの耳に息を吹きかける。それで意識が飛ばなかったら、私の勝ちってことで」
「分かりました。けど、私だってASMR少女ですよ。その手の基本ASMR技術に対する備えは万全。つまり、言いにくいですが、ぴくりとも反応しません」
「『ふぅ』」
その瞬間、澄華の脳に物語が生まれた。
「うおおおおおお!」
それはある日のこと。
仲の良い女幼馴染との一時。その子はいつも自分に寄り添ってくれている。その仕草、声、顔、全ての要素が魅力的だ。
そんな時、幼馴染が急に口を耳に近づけ、こう言うのだ。『隙だらけだね』、と。
そこで吹きかけられる息。
シチュエーションと蠱惑的な吐息が鼓膜を揺さぶり、脳に快楽成分を生成させる。
つまり、澄華は悶えていた。
「ひ、一息で視える物語!? 私は今、息で作られた物語のページを捲っていたの!?」
「真のASMR少女は一息吹きかけるだけで良いんだよ。その満足感はさながら、良質な二時間映画を観終わった後に似ている……」
そのやり取りを見ていた給子ですら、まともに呼吸ができなくなっていた。それは悪いことではなく、むしろ尊い光景を目の前にしたからこそ起きた現象。
つまり、給子の次の一言でこの事実を表せる。
「これが波音優里花さん……! たった一息で二人をノックダウンしてみせた……!?」
給子の声が届いていない澄華はいま起きた出来事に、ひたすら疑問符を浮かべていた。
「なぜなの!? たった一言で世界観が生み出された!? 私とユリちゃんの違いは何!?」
「澄華ちゃんはもう理解しているはずだよ。胸の内から浮かんでくる言葉だけを口にすれば良い」
「実際に耳にして分かりました。ただ闇雲に言葉を投げかけるだけじゃ駄目なんだ。一語一語に魂を乗せること、それこそがASMR……!」
「万の心なき言葉より、一の心籠もった言葉が相手の脳を揺さぶる。澄華ちゃんはすごいASMR少女だ。もう、ASMR少女にとって大事なことを見つけられた」
「師匠が良いからですよ」
「そう言ってくれるの、ほんと嬉しいな。それなら良い師匠の頼みを一つ聞いちゃあくれないかな?」
「何でも聞きますよ」
「ありがとう。じゃあ、言うね」
優里花は力強い瞳でこう言った。
「波音茉莉を倒してほしい。あの子は負けなしなんだ。だから負けを知らない。負けを知らない子はそれ以上の上達を望めないんだ。だから、勝手なことを言っているって分かっているけど――」
「ユリさん。それ以上は良いです」
そう言いながら、澄華は自然な流れで優里花の耳元に唇を近づける。
「『勝つから黙って近くで見てな』」
全てを見ていた給子。
波音優里花の反応、そして澄華の清々しい表情。
それらを見た上で、あえてこう言い切る。
「勝った」
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