第3話 謎のASMR少女

「うおおお!」


「す、スミちゃん何やってるの!?」


「見て分からない!? 筋トレだよ!」


 腕立て、上体起こし、スクワットなどなど。思いついたことは何でもやる澄華。

 その姿に、親友は戸惑うばかりである。


「波音さん、すごい子だったよ。私はあの子と戦って、勝ちたい。勝つために出来る限りのことをしたいんだ」


「スミちゃんのストイックさは目眩がするくらい素敵だよ。だけど、小手先のことじゃ波音さんに勝てないと思う」


 頑張る澄華へギロチンを落とすのは、いつだって親友である承村給子だ。


「スミちゃんの話を聞いた限り、波音さんに勝つのは相当厳しいと思う」


「言ってくれるね給子」


「頑張るスミちゃんに冷や水を浴びせるのは、私の役目だからね」


「っふぅ~!」


 澄華がドカリと座り込んだ。

 これはヤケになったわけではない。あくまで、冷静になるための所作である。


「どうすれば勝てると思う?」


「実力の底上げしかないよ。波音さんのスキルは超一流。でも“無機物に命を与えるASMR少女”……彼女を超えるには一体どれくらい底上げをすれば……!」


 二人の見解は一致していた。

 がむしゃらにやっても、無駄。そんなこと、澄華はよく理解していた。だが、立ち止まるわけにもいかない。


「くっそ! 波音さんの脳をとろけさせるには一体どうしたら……!?」



「波音? それって波音茉莉のことかな?」



 二人の視線の先には、美女が立っていた。だが、それだけではない。どこか、波音茉莉に似ていたのだ。


「えと、誰ですか?」


『ラァー』


「っ!!!」


「え、これは!?」


 気づけば澄華と給子は踊っていた。

 これは決して気が狂ったからではない。謎の女性の発声を聞いたら、何故か踊りだしたくなったのだ。


「私の名は“謎のASMR女”! 私には聞こえたよ。今、君たちが波音茉莉に勝ちたいと願った声が!」


「私達が踊っていた!? 給子、なんでか分かる!?」


「単純にASMR力で殴ってきたんだよこれは……! 何、この人。私はともかく、スミちゃんがこんなに簡単に声の影響を受けるなんて……」


「実は私、波音茉莉と澄華ちゃんのVSMRを見てたの」


「!?」


 すると、“謎のASMR女”は静かに首を横に振った。


「ダメダメのダメだね。あれじゃ茉莉を倒せないよ」


「きゅ、急に現れて何を言っているんですか!? スミちゃんのことを悪く言わないでください!」


「悪く!? ノンノン! 正確な見立てだよ」


 “謎のASMR女”が澄華を指さした。

 その所作の美しさは、澄華が目をそらすことを許可しない。


「改めて名前!」


「あ、阿住澄華です」


「澄華ちゃん、君は茉莉のことを倒したいと、ホンキで思ってる?」


「倒したい! 私はあの子に海を視せられたんです。なら、ぶっ倒すのが礼儀っていうもんじゃないですか!」


「その心意気や良し! ならついてきなさい! あ、あと私のことは“師匠”と呼ぶように!」


「分かりました、師匠!」


 “謎のASMR女”に連れられる澄華。

 いきなりの急展開に戸惑いを隠せない。


 一人置いてきぼりになった給子は、彼女の正体について想像を巡らせた。


「あの人、どこかで見たことがあるんだよな」


 給子は胸ポケットからメモ帳を取り出した。

 そこには給子が独自に収集したASMR女子の顔写真と情報が書き連ねられていた。

 慣れた手付きでページを捲っていくと、すぐにその人物にたどり着いた。


「こ、この人はー!?」


 衝撃のあまり、給子は地面に座り込んでしまった。

 ASMR少女をやっていて、その名を知らない者はいない。


「スミちゃん、とんでもない人と知り合ったね……!」


 ある者はこう言った。脳が幸せすぎて、現実と夢の区別がつかなくなった。

 ある者はこう言った。脳が幸せすぎて、禁煙に成功した。

 ある者はこう言った。脳が幸せすぎて、嫌いな食べ物を食べられるようになった。


「“脳を幸せにすることが生きがいのASMR少女”。波音優里花なみねゆりか。あの波音茉莉さんのお姉さん……!!!」


 波音優里花。人は、彼女を“最強無敵のASMR少女”と呼ぶ。



 ◆ ◆ ◆



「師匠!」


「……」


「師匠!!」


「うぇ!? 私!?」


「師匠が師匠と呼べって言ったんじゃないですか!」


「ね、ね、ユリちゃんって呼んでよ。友達欲しかったんだよね私」


「急に人柄というか、事情変わりましたね」


「ねーお願い! ユリちゃんって呼んでー!」


「ゆ、ユリ……ちゃん?」


 澄華はおずおずと名を呼んだ。

 明らかに年上だし、失礼に当たると思っていた。だが、手を合わせ、懇願されては呼ばざるを得ない。

 優里花はぱぁっと笑顔を浮かべた。


「いぇ~い! 初めてのあだ名だ! やったやった!」


「喜び過ぎでは?」


「そんなことナッシングナッシング。人間、あだ名で呼ばれることほど嬉しいものはないよ」


 優里花は澄華の胸を軽く叩いた。


「ASMR少女の心得その一。相手が一番喜ぶことを考える、だよ」


「相手が喜ぶことを? そんなの当然じゃないですか。VSMRは相手の脳を揺さぶってこそですよ」


「はい思い上がりの言葉頂きました! デコピンッ!」


「いたっ!」


 宣言通りデコピンをされ、悶絶する澄華。

 そんな彼女へ、優里花は言い放った。


「そう思ってる時点で、澄華ちゃんは思えてないよ! もっと考えて。そうじゃなきゃ、ASMR少女として、土台にも立ててないよ!」


 優里花の顔はあくまで真剣だった。

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