第39話 壱予、駆ける 後編

 壱予が単独で動き出すのを待っていたかのように、黒煙の中で留まっていた岩石の群れが誘導ミサイルのように壱予に襲いかかってきた。


「やはり私を狙っておりましたか……!」


 壱予は巧みにボードを動かし、すれすれの動きで攻撃を避けていく。

 

 あずさの術によって超高性能ドローンと化したスマホは壱予の後ろをしっかり追いかけ、迫力に満ちた状況を映し出す。

 上空から振ってくる岩のミサイル、それを避けつつ爆走する壱予、着弾するたびに噴き上がる黒い煙。煙を浴びて瞬く間に枯れていく草木。


 莫大な制作費をかけて作ったヒーロー映画のアクションシーンのようなスペクタクルな映像に視聴者は圧倒され、ただただ起きていることを見るしかない。


 かつての古城があった場所に近づいてきた。

 大吾とゴランズが激しい戦いを繰り広げたあの場所も、今は巨大な竜巻に覆われ、その姿は隠されている。


 竜巻はガレキや岩を軽々と上空に巻き上げ、その巨大な体のあちこちから生物のような雷を放出して地上にぶち当てている。


 まるで神が創り出した災厄のような、おぞましい竜巻だ。


 それでも壱予は動じることなく、速度を上げて竜巻に接近していく。

 この無謀とも言える行動に視聴者は絶望を感じつつあった。


『無理だ……』

『令和の特攻じゃねえか』

『飲み込まれて死んじゃうよ!』

『ああ、やっぱり駄目だ、抜けるわ』


 しかし壱予は止まらない。


「旦那さま……」


 ただその言葉だけを呟きながら、竜巻の中に突っ込んだ。


 右も左もわからない真っ暗闇。

 壱予を拒むかのように無数の石が矢のように迫ってくる。


 術を駆使して跳ね飛ばしても数が多く、腕から血が流れ、服のあちこちも裂けて肌があらわになり、そこからまた血が流れる。


 しかしそんなことで怯む壱予ではない。

 

 かつて大吾が水をバリアのように扱って黒煙から身を守ったように、壱予は自らの手で繰り出した炎を薄い膜のように広げて盾として、嵐の中を突き進む。


 辿り着いた先にあったのは、大吾が風見に連れてこられた、古井戸の他にはさえぎる物がなにもない、果てしない空間である。

 

 あの女がいる。

 雪村カエデ。その体を乗っ取った風見。

 

 左手に細身の剣が握られ、刀身から紫色の妖気が出ていた。


 壱予はボードから降りると、身を低く構えながら雪村に突進。

 右手を真横に伸ばすと土が浮き上がって小刀に変化する。


 弾丸のような勢いでカエデの懐に飛び込み刀を突き出す壱予と、紫の剣でそれを塞ぐ風見。


 かつての姉妹、かつての師匠と弟子。

 二人にとっては何千年ぶりの再会なのだろう。思い出すことすら難しい。


「壱予、随分と待ったぞ」


 興奮を隠さない風見に対し、壱予は冷静だ。


「此度の件、少々やり過ぎかと……」


「だからわしを殺すと?」


「この好機、逃すわけには参りませぬ!」


 壱予の左手が炎に包まれる。

 その灼熱を相手の腹部にぶちかまそうとしたが、風見は壱予の体を蹴りつけることで後方に跳ね飛ばして距離を開けた。


 今度はわしの番とばかりに、壱予の足下だけが激しく揺れ、土が蛇のように壱予の足に絡みつき、中に引きずり込もうとする。


 壱予は炎を使って土蛇を倒すと、助走も無しに高々とハイジャンプを繰り出し、風見の背後に回る。


 しかし着地と同時に強烈な風を浴びて、またも後退させられる。


「くっ……!」


 風見との距離が開いたことを利用して、大吾を探そうと頭を忙しく動かす。


「あの男ならお前の真後ろにおる」


 見てみるくらいなら許してやるとばかりに、手にしていた剣を地面に刺し、両手を挙げる。

 自分に背を向けても後ろから攻撃することはしないという意思表示のようだ。


 大吾はあやつり人形となったカイジの攻撃を必死で避け続けていた。

 蓄積する疲労で口は半開き、足はふらふら、手も上がらない状態だが、それでも必死で逃げ回っている。

 刀が振り下ろされるたびに地面を転がるので、服は泥だらけ、流血のせいで服のあちこちに赤い染みができている。

 そしてカイジが持つ剣も大吾の血で赤くなっていた。


「肩を刺され、足を切られ、腹に剣の切っ先を差し込まれても、決して手を出そうとはしない。今のあやつならあれくらいの雑魚、瞬時に殺せるはずなのだがなあ」


 くっくっくと嬉しそうに話す風見。


「なんということを……!」


 壱予は走った。

 カイジにまとわりついていた大量の泥を瞬時に焼き落とすと、カイジは膝を突き、刀を落とし、その悪魔的に美しい顔で壱予を見た。


「死ぬかと思った……、助かった……」


 その笑顔は生まれたばかりの胎児のように邪気がない。

 しかし壱予の険しい表情に紛れもない殺意を感じると、この場を逃れようと必死に取り繕いはじめる。


「お、俺は操られただけなんだよ。最初から最後まで、ぜんぶ、あの女の……」


「ここから消えろ! この役立たずがっ!」


 壱予の一喝に尻餅をつくほど驚いたカイジは、悲鳴を上げながら走って行く。

 

 壱予の視界には苦しそうに倒れ込む大吾だけが残る。

 その痛々しい姿に視聴者も驚きと同情を隠せない。


『めちゃくちゃだ……』

『血だらけじゃねえか……』


「旦那さま……っ!」


 壱予は涙目になりながら大吾に駆け寄ろうとしたが、


「まだだ」


 大吾は手を伸ばしてぴしゃりと壱予を制した。


「壱予、確かあの人は死んだって言ってたよな」


 産後の肥立ちが悪くて……。

 壱予ははっきりそう言っていた。

 ところがどっこい元気じゃないか。

 まあ死んだあとで化けて出てきたという可能性もあるが、あれくらい元気だと生きているのと変わりが無い。


「申し訳ありません。もはやあの方は私の中では死んでいたも同じなのです」


「なるほどね……」


 壱予の言ってる意味はわからないでもない。

 自らをこの迷宮の不具合と言い切った人だ。性格を変えてしまうくらいの何かが起きて、壱予が死んだと決めつけるくらいに人が変わってしまったのだろう。

 

「なら壱予。あの女に一発食らわせてから帰るぞ」


「しかし……」


「勝てそうにないか?」


「……」


 返事に詰まる壱予。


「今まで何度も胸を借りましたが一手も当てたことがなく、実を言うと最初の一撃に賭けておりましたが……」

 

 それもできなかった。

 目覚めたばかりで本調子でない風見なら一分の隙もあるのではないかと、その一瞬に全精力を込めたが、


「ただの一蹴りで跳ね飛ばされ、そこからは何をやっても近づくことすら……」


 元々の能力の差に加え、経験値でも大きく劣っている。

 何をやっても即座に対応され、返り討ちに遭うだけなのだ。


「相手のペースに巻き込まれるな」


 大吾は短い間ではあるが、風見という人のことをある程度理解したつもりでいる。


「あの人の基準は面白いかそうでないかだ。そこを突く」


 大吾はまっすぐ風見を睨んだ。

 向こうはこっちが動いてくるのをただ待っている。


「たしか、どうせ勝つなら美しく勝てって言ったんだろ。あの人は」


「はい……」


「その言葉がお前の足かせになってるんじゃないのか? あの人なら美しく勝つなんて余裕だろうが、俺たちには無理だ。そうだろ?」


「……」


 大吾の一言一言が、壱予の「洗脳」を解いていく。


「どんなことしても勝つ。泥にまみれても、卑怯だと言われても、汚いと言われても、とにかく勝つ。俺たちはそれでやってくしかない」


「は、はい! でございます!」


 さっきまでは怖くて風見の顔も正視できなかったのが、くるりと振り向いて「かつての師匠」を力強く睨む。


「よく聞け……」


 大吾はそっと壱予に耳打ちした。

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