第37話 夫と愛人……?

 立て、立つんだというコメントも空しく、大吾は意識を失い、それどころか消えてしまった。

 ダンジョンではどんなことが起きても不思議じゃないと視聴者もわかっているが、まるでデリートボタンを押されたかのように姿が消えたのには流石にビックリ。


 今や四百万を越える視聴者が目にしているものは、大吾がいなくなったあとの枯れ果てたダンジョンだけである。


 それでも視聴者は減るどころか増え続けている。


 ダンジョンにおいて自然災害に似た現象が起きたこと、取り残された人が107人もいることを宮内庁が公表したので、今や大吾の配信はダンジョンの「今」を伝える唯一にしてベストな手段だったからだろう。


 いったいこれからどうなるのか皆が固唾を呑んで見守る中、壱予は大吾が姿を消したことに激しく動揺していた。


 大吾を「奪った」犯人を壱予はわかっている。

 だからこそ大吾が危険な状態にいることもわかって、大いに取り乱したのである。


 すぐ出られるように待っておけという大吾の指示の元、ゲートの前に居座り、パソコンを使って必死にサポートしていたが、もうじっとしていられない。


「こんな石……!」


 鬼道混じりの怪力でこじ開けてやると意気込んではみたが、やはり無理。

 この扉をこしらえたのは恐らく若村真だろうが、こんな重い石どこから拾ってきたのだろう。

 本当に余計なことをしてくれた。面と向かっては言えないけど。


「このままでは旦那さまが……」


 風見のことだから、旦那さまの素質には気づいているはずだ。

 若村真なら旦那さまを育てようとする。

 けれど今の風見は……。


「このままでは……!」


 無理だとわかっていても扉に無謀な勝負を挑む壱予。


 その背後に迫る一人の女性。

 

 丹羽あずさがとうとうここまで辿り着いたのである。


 気を失うほどの高さからスカイダイビングして、着地するや待機していたパトカーに乗せられ、壱予がいる池のゲートまで全速力で走って、ついにやって来た。


「壱予さん……」

 

 息も絶え絶えなあずさを見て壱与は飛び跳ねて驚く。


「あなたは泥棒猫!? どうしてここに!?」


 ついつい身構える壱予を見て、あずさは力なく微笑んだ。


「これを……」


 喉から手が出るほど欲しかった、自分のライセンスカードである。

 

「なんと……」


 目を丸くする壱予。

 いったいどんな手段でここまで持って来たのか、想像もつかない。


「伝えたいことがあって……」


 あずさは壱予の目を見てしっかりと語り出す。


「私のことで壱予さん、きっと不安に思ってるだろうから……」


「む……」


 壱予にとって丹羽あずさは「私がいるのを知っているくせに旦那さまにちょっかいを出す最低な女」だったので「どさくさに紛れて一発殴ってやるランキング」ダントツの一位であった。それがここに来てわざわざ「違うんです」と言ってくる。


「大吾さんは私を助けてくれたけど、それ以上はなにもなかったし、ずっとずっと壱予さんのことを案じていたから……」


「むむ……」


「私のことで大吾さんのことを誤解してほしくなくて……」


「それを言うためにここまで……?」


 やるじゃないか泥棒猫のくせに、と素直に感心する。

 それ以上に肩の荷が軽くなるくらいホッとした。


 旦那さまはこの女とはなにもない。

 むしろずっと私のことを案じていた。


 発狂しそうなくらい嬉しい。


「なにを言うかと思えば、そんなつまらぬことで……」


 言葉では強がるが、ニヤニヤが止まらない。


「あなたのような地味な娘に旦那さまがなびくようなこと、あるはずが……」


 しかしよくよく見れば、今の殿方が好む体つきをしているではないか。

 出るところは出て、へこむべきところはしっかりへこんでいる。

 なによりこういう影のある控えめな女子は昔から男に受けるのだ。

 忌まわしい。

 

 それに壱予は感づいている。

 磨けば光るとはよく言うが、この娘、現在進行形で磨かれている。

 その理由はひとつしか考えられない。

 こやつは旦那さまに惚れているのだ……。


 油断ならない。

 旦那さまのそばに置いておくべきではない。事故の可能性がある。

    

「遠路はるばるご苦労。後は私に任せて、さっさと北へ帰るとよろしい」


 そして二度と現れるでないと言いたかったが、そこはこらえた。

 

 しかし。


「若村さんから伝言が……」


 という呟きに全身が硬直する。


「あのお方を知っているのですか……?」


 大量の冷や汗が流れる。

 まずい、やばい、怒られる。


「私をここまで連れてきてくれたんです。あの方がいなかったら、こんなに早く来れなかった」


「さ、さようですか」


 元はと言えば、ここまでこじれたのは力を抑えきれなかった自分の不手際にある。

 絶対怒られる案件なのは間違いなかったので、あえて現実に目を背けて逃げていたが、思わぬところで現実の方から動いてきた。


「で、あの方はなんと……?」


「今回はおとがめ無しって……」


「え」


「ただ、やるべき事をしろって……」


「ほ……」


 壱予はあたりをキョロキョロうかがい、静かにあずさに近づき、そっと尋ねた。


「ホントに?」


「うん、ホントに……」


「ほ、ほ……」


 とうとう壱予は叫んだ。


「もはや怖い物なし、でございます!」


 まさに完全復活。


「よくやりました泥棒猫。特別に大吾さまの仲間になる権利を与えましょう」


「あ、えっと。ありがとうございます……」


「これからダンジョンに殴り込みます。あなたは裏方としてこれから私がすることをしっかり配信するのです。恐らく多くの視聴者様が見てくださるはず。この大儲けの機会を逃してはなりません。三百六十五日、ザギンのシースーを食べてもお金が余るくらいに懐を潤すのです!」


「あ、はい、わかりました」


 なぜか上から目線の壱予も壱予だが、その関係性をすんなり受け入れてしまう丹羽あずさの感覚も少々ひどい。


「さあ、開くのです!」


 あれほど苦労したゲートも、ライセンスカードさえあれば一瞬で開く。


「泥棒猫、不本意ですが私の手を握りなさい」


 仏頂面で手を差し出す壱予。


「このまま進めばあなたは黒煙が湧き出す中心部に戻ってしまいます。それでは配信ができません。私の再会場所からはじめるのです」


 黒煙がわんさか漂う場所に戻れば命が危ないと言えばいいのに、配信ができないというところに、若干の強がりというかツンデレが潜んでいる。

 あずさも大人なので、そこら辺はわかっているのかもしれない。


「わかりました」


 ニコリと笑って壱予の小さな手を握った。


 辿り着いた場所はあの吊り橋の前。

 ゴランズの輩どもに襲われた忌々しい場所であると同時に、己の未熟さを思い知らされた貴重な場でもあった。


 吊り橋は壊れたままで、空でも飛ばないと先へ進むことは不可能に思われる。


 これ以上進むことは危険ですのでご遠慮ください。という宮内庁の立て看板まで置いてあった。

 

 だが壱予とあずさの目を奪ったのは、深く広い崖を超えた先で、逃げ遅れた大勢の人たちが足止めを喰らっている姿だった。

 ふたりの姿を見て、手を振り、助けてくれと必死で呼びかけてくる。


 その中には高価なカメラを失った親子連れもいたし、飼っていた猫とはぐれたカップルもいた。ふらりと戻ってきた猫を大事そうに抱えている。


「取り残された人が107人もいるみたいで……」


 若村真率いる宮内庁第三楽部と一緒にいたのでダンジョンの現状をあずさはある程度知っている。何とかして助けてあげたいが、吊り橋が無く、鍵も使えない以上、この状況を打破するのは難しいと思われた。


 しかし。


「107と言いましたね。今見えるのが93名。あと14人がどこかにいるということ。まずはその方たちを探しましょう」


「え……、数えたの?」


 速すぎやしないかと驚くが、これ以降あずさは嫌と言うほど百合若壱予の凄さを思い知るはめになっていく。


「さあ、配信を開始するのです」


 壱予の呼びかけにあずさは慌ててスマホを取り出した。


 大吾の配信はなおも続いているが当の本人が消えてしまっていたので、あずさが配信を再開したことに気づいた視聴者が大量に流れてくる。

 とはいえ大吾の行方も気になるので、ふたつの配信を同時に見る視聴者がほとんど。


 そして彼らが目にしたものこそ……。


「皆様、お久しゅうございます! 壱予、復活でございます!」


 あずさに見せる仏頂面とは真逆の破顔一笑で視聴者のテンションを一気に爆上げさせる。


『壱予姫きたあああ!』

『かわいあああ!』

『今まで何してたんだよ!』

『なんであずさちゃんの配信に出てくるんだ……!』

『どうする! この状況をどうする!』


「皆様ご覧ください。こちらの吊り橋はゴランズの愚行のせいで木っ端微塵になっております!」


 さらっと大嘘を差し込みつつ、


「そして崖の向こう側をご覧ください! あちらで立ち往生してらっしゃるのが、ゴランズの愚行のせいで逃げ遅れた哀れな方々。その数93名!」


 流石にそれはゴランズの責任じゃないのではと首をかしげる視聴者もいたが、もはや壱予にはどうでもいいこと。


「これから壱予は逃げ遅れた人々を助け、どこかでくたばっている旦那さまを救い、このダンジョンをおかしくさせている元凶を退治しに参ります!」


『全部やる宣言!』

『ああ、ここまで見続けて良かった』

『この子ならできるかもしれない』

『でも吊り橋壊れてたら何にもできないだろ』

『他に道もないしなあ』


 元気が良すぎる壱予に若干の疑いを持つコメントもちらほらあったが、壱予はそれを行動でねじ伏せる。


「まずは橋を直しましょう!」


 そうれと手を振るやいなや、本当に橋が再生していく……!


 爆発のせいで折れていた大木の欠片たちがひとつにまとまるだけでなく、谷底に転がっている大きな石や土までもが浮き上がり、混じり合うことで、強固な橋が形成されていく。


 おまけに以前の吊り橋は一人分ほどの幅しかなかったのに、壱予が作り出した橋は車が四台横並びになってもまだ余裕があるほど巨大な石橋なのである。


 出口に繋がる橋が復旧し、逃げ遅れた人たちが一斉に橋を渡っていく。

 歓声を上げてやって来る人々にいちいち笑顔で手を振る壱予。


「す、すご……」


 スマホを構えながら呟くあずさ。

 視聴者もそれは同じ。


『いきなりすげえことやらかしとる……』

『ありえない……』

『ありえないけど現実なんだよな』

『この先なにが起きても俺はもう驚かない』


「さあ、残るは14名! この壱予が全員見つけ出してご覧にいれます!」


 力強く宣言した。

 本当なら、今すぐにでも大吾の元へ駆けつけたかった。

 しかし壱予は、ここに大吾がいたらどうするかだけを考えている。


 自分を襲ってきたゴランズを助けるために一人迷宮に残り、逃げ遅れた人たちを助けようと意識を失うまでもがいた姿を壱予は見た。

 

 そして気づいた。

 私がなるべき理想の鬼導士とは、他ならぬ旦那さまであった。


 まず逃げ遅れた人々を助ける。大吾がここにいたら絶対そうする。


「行きますよ、泥棒猫。付いてくるのです!」

「わかりました!」


 橋を越えて駆け抜けていく壱予とあずさ。


『泥棒猫ってなんだ……?』

『あずさちゃんのことだろ……』

『その言い方だけで二人の関係性がわかる』


 相変わらず鋭い視聴者も今は無視だ!

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