第36話 大吾、最後のひと仕事

 第一波の黒煙は古城を粉砕したが、第二波の黒煙は通った後の草花や木をことごとく枯らしていく。

 息を呑むほど美しかった草原の緑や、川の青が、ことごとく黒に塗りつぶされていく。


 大吾は歩みを止め、目を閉じ、ひたすら考えていた。


 もはや黒煙は間近に迫っている。


 王蟲の大軍の前に立ったナウシカもこんな空っぽな気持ちだったのかと、変なことを考えたりしたが、そんな感慨に浸っている暇はない。


 凍らせるなんて無理、相手は雑魚だ、押し返せ。

 壱予はそう言った。


 あいつが常々言っていた決まり文句を思い出す。


「最後は結局、気合いでございます」


「そうだな、その通りだ」


 リラックスと緊張が混じり合った絶妙な精神状態で、黒い煙に手を突っ込んだ。

 

 無味無臭だった第一波と違い、第二波はゴミ箱の中に手を入れたような不快なぬめりがある。


 止まれ止まれ止まれ。

 ただそれだけを呟きながら、全身に力を入れる。

 強烈な圧を感じて、ずるずる押されていく。


 相撲が始まった。


 こらえきれずに尻餅でもついたら、もう終わり。

 やられてなるもんかと歯を食いしばって必死でこらえた。


「うがががが……っ!」


 力が入りすぎて血管が切れそう。

 踏ん張る足が土の中に埋もれていく。


 煙に覆われて大吾の姿は見えなくなり、視聴者はなにが起きているのか推測するしかなくなった。


『どうなってるの?』

『煙と押し合ってる』

『煙と……?』

『煙が溶岩みたいに固まって押し潰そうとして、おっさんが必死でこらえてるところで、それ以降どうなったかわからん』

『こんな配信、後にも先にも無いだろうな……』


 日本の地下に表れた巨大な迷宮。

 そこで起きた小さな戦争は、今や日本だけでなく世界中を釘付けにしている。

 同接者は百万を越え、さらには250万に迫る勢いであるが、今彼らが目にしているのはただの黒い煙。


 あの煙の向こうで、命がけの攻防が繰り広げられている。

 アラフォーの運動不足と、本調子ではない魔術師が繰り出す毒煙との対決。


 勝ったのは大吾だった。


 空気がたまりすぎてパンパンになった風船が割れたように、黒煙が突如ボンッと弾けたのである。あれだけ広範囲に広がっていた煙が瞬時に消滅した。


 風圧に吹き飛ばされ、地面を転がる大吾。


 一部始終を目撃した視聴者は大騒ぎである。 

 

『きたああああ!』

『やりやがった!』

『神がいる。神が来た』

『ホントにこの人Fランクなの?』

『続けて第三波行くか?』

『やるしかないだろ』


 しかしここが限界だった。


 まさにオーバーヒート。


「だめだ、こんな時に……」


 勝手に閉じていく目をどうにかこじ開けようと全身に力を入れると、今度は手足が痺れてくる。


「力が入らない……」


 チュートリアルのボス、ヨツデくんを倒したときと同じ、もうなにもできない。


 一瞬、落ちた。


 目が覚めたときにはスマホが頭上をくるくる回っていた。


『ここで燃えつきてどうする!』

『第三波が来るんだろ!?』

『いま倒れたら意味ない!』

『起きろ!』


「いやもう……」


 どーんと激しい音。

 地面が激しく揺れた。

 しかもかなり長く揺れる。第三波がついに放たれたのだろう。


 動けない。

 もうコメントすら追えない。


「にゃあ」


 泣き声が聞こえて、うっすらと目を開けた。


「ねこ……」


 まん丸でくりくりした目が最高級に可愛い茶トラ。

 倒れたままの大吾をじっと見ている。

 この子に今の俺はどう見えるのだろう。


「無事だったか……」


 撫でたかったが、手が動かない。


「家族のところに帰りな……。待ってるぞ」


 そう呟くと、茶トラはまたニャアと鳴き、大吾から離れていった。


「これで良い……」


 もう思い残すことはない。

 あとはもう、なるようになれ。


「壱予、すまん……」


 ただひとつの気がかりを抱えながら、それでも耐えきれずに大吾は目を閉じた……。


 そして。


「惜しかったのう」


 聞き覚えのある声がして大吾は慌てて身を起こした。


 雪村カエデがいる。

 厳密に言えば雪村カエデの体を乗っ取った百合若風見がいる。


「中途までは対象を制圧したが、疲労と経験不足によって体力を無駄に使ってしまった。要は力みすぎだ」


「なるほど……」


 スライム倒すのにメラゾーマ連発したってことか……。


「だが、やり方は間違っていなかった」


「そりゃどうも……」


 さっきまでと違う場所にいる。

 どこまでも地平線が続く広大で無機質な空間に古井戸が一つ。


 第三波まで避け切れたら戻ってこいと言っていたが、どういうわけだか勝手にここまで来てしまった。


「あなたが連れてきてくれたんですか」


 その問いに対し、風見は答えを言わなかった。


「上を見ろ」


 空は真っ黒だ。

 古城から噴火した第三波の黒煙はすべて空に舞い上がり、黒い雲となった。


 雲が天を覆ったせいでダンジョンは闇に包まれている。

 そもそも地下迷宮なのに朝と夜の概念があったのが不思議だったが。


「わしはな、矛盾の塊なのだ。人がいくら死のうとなにも感じぬが、犬猫が死ぬのは我慢がならん。ゆえに第三波は途中で止めた」


「……」

 正直その気持ち、わからないでもないが、


「なんで鍵を使えなくしたんですか」


 大吾の怒りは激しく燃えている。


「ここに残っている人たちは一切関わりが無いでしょう!」


「あの鍵をつくったのはわしだぞ。あれをどうしようとわしの勝手ではないか。人が落とした食い物を、美味そうだと口に入れて後で腹を壊したとして、その責任を問われるのは落とした奴か? ろくに確かめもしないで喰った奴の責任だろうが」


「……」

 反論できない。


「そもそも、ここに足を踏み入れた以上、関わりのない者などおらん」


 風見は大吾を鋭く睨んだ。


「鍵は使えぬが出口は開くのだ。横着せずに来た道を歩いて帰れば良いだけのこと。ああ、そうか。どこぞの馬鹿のせいで吊り橋が壊れて帰れんのか。これはうっかりしていた」


 わざとらしく笑う風見。


「であれば、第三の黒煙は壱予にすべてぶつけるとしよう」


「壱予に……?」


「ああ、もうすぐ来る」


「もうすぐって……」


 丹羽さんにライセンスカードを預けたから、いずれ壱予もここにやって来るとは思っていたけれど、いくら何でも早すぎる。

 丹羽さんはいったいどんな魔法を使ったのだろう。


「ところで保本、壱予は元気にしていたか? あの娘のことだ。意味も無いことに夢中になって無駄に時を潰していただろう」


「は……」


 まさかこの人の言葉で笑うとは思いもしなかった。


「あの娘はな、元々新和の娘ではなかった。今となってはなんという里だったかも覚えておらんが、攻めとって皆殺しにした連中の、ただ一人の生き残りだった。その里においても奴隷のような扱いを受けていたようだが」


「……」

 そんなこと、壱予は話したことがない。


「本来ならあの娘も死んでいただろうが、鬼道の使い方において優れた才能があったから、殺しては勿体ないと無理を通して義理の妹にした」


「……」


「あの娘の場合、教える必要などなく、既に完成されていた。時に暴走する力をどうやって沈めるか、それだけが課題だった。まあ、一切改善されておらんかったが、ただひとつ、わしがあの子から学びたいとすら思うほどの技があってな」


 指をパチンと鳴らす風見。


 井戸の中からカイジが浮き上がってきた。

 黒い泥が顔に貼りついて表情は見えないが、着ている服でカイジだとわかる。

 呼吸もしている。


 ただ様子がおかしい。

 電源がオフになっている感じというか。


「操心というてな、人の意識を掌握し、操り人形とする。見てみろ」


 自分の顔を殴り出すカイジ。

 やがて鼻血を出し、しまいには殴るたびに地面に倒れるのに、起き上がるとまた自らを殴るのである。


「愉快であろう。ほれ、これもどうだ」


 地面に寝転び、イモムシのような動きをしながら自分の顔を地面にこすりつけ、口を開けて土を喰らっていくカイジ。

 

「ははは、無様よのう」


 笑う風見と、


「……」

 

 険しい顔の大吾。

 その反応が風見には栄養になるのか、機嫌がすこぶる良くなっていく。


「壱予はこの操心がまことに巧みだった。自ら戦いつつ十を超える人形を同時に動かす離れ業もやってのけた。しかしどういうわけかお前には術をかけなかった。与えられた任務を考えれば、お前のような伸び代のある術者こそ、真っ先に取り込んで第三の腕として使うべきだったのに」


「なぜ……?」


「考える必要があるか? これほど簡単な問いがあるとは思えんが」


 風見は大笑いした。


「誰にも心を開かず土人形のようだった愛想無しが、生まれ変わったように浮かれ騒いでおる。今の姿こそ、あやつの真実かもしれぬ」


「……」


「そろそろ来る頃だ。お前と過ごした時が奴の糧になっていればよいが」


 いつの間にか風見の手には銀の剣が握られている。


「戦うつもりなんですか……?」


「この迷宮の不具合をなくし、まっさらにして今の支配者に受け渡すと、あやつは申していただろう?」


「ええ、そう聞きました」


「わしがその不具合だよ」


「……」

 

 大吾はどこかにいる壱与に叫びたかった。

 壱与、こういうことは先に言っておけと。


「さっき、言ってましたね。人のたどりつく先は結局殺し合いで、戦いこそが人の本能だって」


「ああ」


「あなたを見てると確かにそうかもしれないと思ったりもしますけど」


 つい飛び出た皮肉にも風見は苦笑いを浮かべるだけ。


「悪い本能に抗って必死に生きてる人たちの方が、殺し合ってる連中よりずっとずっと多いと思いますよ。世界を変える力は持っていないけど、しっかりと立って世界を支えてくれている人たちです」


「だろうな……」


「なら、そういう人たちのこと、もう少し褒めてあげてもいいじゃないですか。黒く塗りつぶすなんておっかないこと言わないで」 

 

「先に言うたはずだ。わしは矛盾の塊だと」


 ちらり大吾を見て口を歪ませる。


「お前は伸びる。その行き着く先を見たいという欲もある。だがそれゆえに放ってはおけぬという不安もあるのだ」


 風見は指をパチンと鳴らし、手にしていた剣をカイジに投げて渡した。


 カイジはそれを受け取るやいなや、大吾に突進する。


「あっ……」


 あまりに突然のことで避けようがなかった。

 カイジが突き出した剣は大吾の左肩にブスリと刺さった。

 ガンッと体に響いた揺れは、剣の切っ先が骨に当たったからなのだろうか。


「いった……」


 血が流れ、体が痺れていく。


「保本、死にたくなければ、やることは一つだ」


 風見は厳しく言った。


「殺せ。生きるために」

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