第35話 真の感謝
宮内庁が用意したチャーター機は順調に空を飛んでいる。
丹羽あずさは待機していた医師の治療を受けていたが、自分の怪我よりも、高級ホテルを思わせる美しい室内に魂を持っていかれていた。
白髪の優しそうな眼をした初老の医師は、あずさの頭に丁寧に包帯を巻くと、
「私はオカルトの類いは一切信じないんですが」
前置きしつつ、真剣な顔で言った。
「あれだけ惨い暴力を受けてこの程度の傷で済んだのは奇跡です。死んでもおかしくなかった」
医師は隣で立っている若村真を見た。
「あなたの言うことを信じるしかないでしょう。鬼道は確かに存在すると」
真は照れたように笑い、うつむき、あずさに声をかけた。
「あなたは自らの術を使って咄嗟にダメージを和らげた。独学でここまでされたこと、見事です」
あずさを称えつつも、彼女を見ることはなく、その視線は窓の外だ。
その姿にあずさは圧倒されている。
なんて綺麗な顔、なんて美しい首筋だろう。
カイジの野性的な美しさとは違う、とても詩的で、はかない美しさ。
だけど、誰に対しても親切で紳士的な態度が逆に壁を感じさせる。
孤独の権化みたいな人、あずさはそんな印象を抱いた。
「楽長、マズい状況です」
若村真のそばには常に三人の部下がいる。
その中で最も若い
「ダンジョンにいた53名とは連絡がついて帰還してもらいましたけど、この時点で記録の鍵が使用不能になってしまい、残り107人がダンジョンに閉じ込められた状態で、ほんとに、ガチでヤバい状態です」
悲惨な状況報告に悲鳴を上げるあずさの横で、若村真は自らの手の平をじっと見つめている。
「百七人か……、あと一人で煩悩と同じ数になったね……」
ぼんやり呟いたので、その場にいた皆の口が半開きになった。
「そんなこと言ってる場合じゃ……」
脱力する黄原を放置して、若村真は青山という女性に近づく。
青山は自身のノートパソコンで保本大吾の配信を見ているところだった。
「保本さんはどうしてる?」
「やけになったのか、猫だ猫だと叫びながら煙に特攻をかけました」
「ええ……?」
ショックのあまり倒れそうになるあずさ。
「どうしてそんな無謀なことを……」
「疲れたんでしょうね」
真はぴしゃりと言った。
「年を取るとね。突然、集中力が花火みたいにパンって弾けるんですよ。もうどうでもよくなっちゃってね。こう、パンパンっと」
手で花火を打ち上げる仕草をする真。
それを唖然と眺めるあずさ。
「楽長、壱予さんが配信を見ているようで、とても的確なコメントを送っています。保本さんが気づいてくれるといいんですが」
「壱予さんが?!」
あずさもパソコンに駆け寄った。
「残念ながらコメントが多すぎて埋もれてしまってます。何人かの視聴者が壱予さんだと気づいて保本さんに呼びかけてますが、保本さんは気づいていません。花火パンパン状態ですから」
「花火ぱんぱん状態……」
このままではいけないとあずさは自らのスマホを取り出した。
「ここで配信を再開してもいいですか?!」
「どうぞどうぞ、ご自由に」
礼を言うなりあずさは配信を開始、前置きもなく叫んだ。
「皆さん! 大吾さんの配信を壱予さんが見てます! 壱予さんは今の状況を打開するための方法を知ってるはずです。壱予さんがいることを大吾さんに気づいてもらいたいから、しばらくコメントするのを止めて欲しいんです! 大吾さんの配信を見てる人に伝えてください!」
まさに絶妙の一手といえるあずさの呼びかけに、真の部下たちは感心したようにあずさを見つめる。
「もう一度お願いします。私が言ったことを大吾さんの配信を見てる人たちに伝えてください!」
同じことを何度も繰り返すあずさ。
黄原も立ち上がり、青山が見ていたノートパソコンに食いついた。
よたよたと走る姿に疲労がダダ漏れしている大吾の背中がブラウザに写っている。
画面の奥には、全土を這いながら大吾との距離を詰めていく黒煙があった。
『大吾っち、こっち見ろ!』
『壱予ちゃんいるから!』
『とにかくコメント止めて!』
『キーボードから指を離せ!』
『コメント止めい!』
『あずさの配信見てみろ!』
もはや壱予の存在に気づいていないのは大吾だけ。
少しずつ、コメントのスクロールが遅くなっていく。
やがてコメントは一切書き込まれなくなった。
「効いた……!」
思わず笑顔になる黄原と青山。
視聴者の必死の我慢が大吾に伝わったのだろうか、どうってことない真っ平らな道を走っていたはずが盛大に転んだ。
『いった……』
苦しそうにうめきながら倒れる大吾の眼前にスマホがピタリと接近する。
その時、コメント欄にあった言葉は大量の「よござんす」
「なんだ、よござんすって……」
戸惑う黄原と青山。
「ウイルスにやられた?」
「よござんすウイルスなんてあった?」
首をかしげる部下たちであったが、この「よござんす」という言葉は大吾と壱予の間ではそれなりに意味があった。
『壱予か!』
大吾はついに、とうとう、壱予の存在に気づいた。
『どうやったんだ? パソコンの電源も入れられなかったくせに……』
壱予の出現にビックリするあまりスマホにすがりつくので、必然的に大吾のどアップになる。
『私の手にかかればピーシーなんぞ大したものではございません!』
大嘘をぶっこみながら壱予はコメントを叩き込んでいく。
『旦那さま。もしやしてあの煙を凍らせてやろうなどと考えてはおりませんよね』
『俺に出来ることといったらもうそれしかないだろ……』
『それでは旦那さまの体が持ちませぬ。普段から嫁も抱けないくらい心も体も弱ってる旦那さまが、あれだけの量の煙を凍らせることなど不可能でございます』
『こんな時に変な書き込みするなよ! いつからそんなにタイピングが上手くなったんだ、お前は!』
『これくらい気合いでどうにでもなります。東京特許許可局でございますよ』
『早口言葉を書き込んでも意味ないだろう……』
なかなか状況が進展しないアホみたいなやり取りに黄原は苛立ってくる。
「いつもこうなのか、あのふたりは……!」
恐らく視聴者も呆れかえっているだろうが、今も必死で呼びかけるあずさのことを思うと我慢するしかない。
『旦那さま、よろしいですか?』
意味を強調するためにわざわざ間を置く壱予。
『無駄に広がった分だけあの煙は脆くなっております。見た目や起きていることに惑わされず、目の前にいるのはただの非力な獣だとお考えくださいませ』
『な、なるほど……?』
『であればやることはひとつ! あんな弱煙! 押し返してしまいなさい!』
「そうだ、それでいい」
配信を見ていないから書き込みも見られないはずの真がいきなり呟いた。
「次はこっちの番だ」
真の言葉と共に黄原と青山は立ち上がり、ノートパソコンを閉じた。
「丹羽さん。もう大丈夫です」
真の呼びかけにあずさは頷き、礼を言いながら配信を切った。
そして三人目の部下、赤松という元ラガーマンの巨漢がスカイダイビングの装備に身を包んでやって来た。
「それでは楽長、行ってきます」
「頼む」
壱予のライセンスカードを赤松が受け取ろうとしたとき、
「私も行きたいです!」
あずさが立ち上がり、皆、唖然とした。
「ほら、ありますよね……。バラエティでよく見る、アイドルさんが罰ゲームでスカイダイビングするときの二人乗りのやつ……」
おそるおそる問いただすあずさに、赤松は困惑する。
「二人乗りですか。まあタンデムの道具も用意していますし、俺も資格は持ってますけど……」
チラリと真を見て判断を委ねる赤松。
上司はすぐに答えた。
「丹羽さん、この状況下であなたが行く必要はないと思われます」
優しく、それでいて断固とした眼差しで拒絶する真の迫力にあずさは怯んだ。
それでも彼女は勇気を振り絞る。
「お願いします! 最後までやりきりたいんです! お願いしますっ!」
「……」
深く頭を下げるあずさを真はじっと見たあと、こう言った。
「ありがとう」
「え……?」
なぜここで礼を言われるのかわからない。
「身内が無様な姿をさらしたもので、少々落ち込んでいました」
「はい……?」
「長く生きてると何もかも無駄に感じるときがある。特に夏になるとね。死んでいった人のことを思って感傷的になる。けれど、あなたや、あなたの呼びかけに応じた方々を見るたびに、生きてて良かったと思えてくる。私の人生、これの繰り返しでね。ここまでどうにかやってきました」
「はあ……」
あずさは若村真を、若いのに凄く出世してるから、相当頭のいい人なんだと考えていた。なので老人のように振る舞う姿に戸惑ってしまう。
それでも彼女の思いは真に伝わったらしい。
「赤松。彼女を頼む」
真はあずさにライセンスカードを渡すと、静かに椅子に腰掛け、読みかけていたマンガを読み始めた。
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