第31話 雪村カエデと傀儡たち
城の中は汚れていた。
食べ終わったコンビニ弁当と飲みかけのペットボトルに割り箸、おまけにビール缶など、捨てずにおかれたゴミがあちこちに散らばっている。
最悪なのはそこら中に投げ捨てられたタバコの吸い殻と、置かれたままの食べ残しと、空き缶からこぼれ出るアルコールの匂いが混ざって、どぶ川みたいな臭いが部屋に充満していることだ。
丹羽あずさやホーリーズの面々がここにいたときは清潔に保たれていたが、今や放送してはいけないレベルの汚さである。
『うわ……』
『部屋ごと燃やせ』
『男ってなんでいつもこうなの?』
呆れる視聴者たち。
大吾とあずさも不快な臭いを喰らって咳が止まらない。
「い、いかなきゃ……」
「はい……」
そうはいっても足が動かない。
すると声が部屋中に響き渡った。
「確かに客人を招くのにふさわしい場所じゃなかったね」
その声にあずさはハッとする。
「カエデさん……!」
散乱していたゴミが勝手に燃えはじめ、瞬時に消える。
場内は瞬く間にピカピカ、空気も軽くなり、呼吸をすればするほど体が浮き上がりそうなくらい心地よくなる。
『ホントに焼けた!』
『演出が派手だな……』
『ラスボス来るか?』
視聴者がざわつく中、変わらず声だけが城の中で響く。
「おいで。奥で待ってるよ」
その誘いに引きずられるようにあずさが歩き出した。
大吾は慌ててその後を追う。
ゴランズのリーダー深尾が立ちはだかったのはその直後である。
「よく来た。少し話をしよう」
初めて見る深尾の素顔に大吾は動揺した。
血の気が失せて心配になるほど不健康。
その眼差しも焦点がまるで定まっていない。
大吾を見ているのか、あずさを見ているのか、それともスマホのレンズを見ているのか。
『目がいっちゃってる……』
『ヤバい薬キメちゃったのかね』
『話するより病院行った方がいいぞ』
ざわつく視聴者の中にあって、ただ一人、壱予だけが深尾に何が起きたかすべてを把握していた。
『とても危険な状態です。心も体も乗っ取られて、もはや声が出るだけの人形。旦那さま、近づきすぎてはなりません!』
あれだけ苦労していたキーボードの入力も集中力が高まってくるや、すぐさまものにしてしまい、そこらにあった小石を浮かせ、十本の指にプラスして使うからタイピングも凄まじい速さになる。
『私が最初の時にしたことと同じことをするのです!』
ここまで来ると視聴者も気づいてくる。
『やっぱり壱予ちゃんだよ!』
『大吾っち、壱予ちゃんがいるぞ!』
『気づいてんのかな?』
残念ながら気づいていない。
まさかあの機械音痴が自力でコメント打ち込んでるとは思ってもいない。
しかも相対する深尾は舞台に立つ役者のような支配力で大吾とあずさを釘付けにしている。
「保本、俺が壱予姫の腕輪を欲したのはお前が思っているのとは違う理由だ。腕輪にかかったまじないに興味など無かった。お前の言うとおり、腕輪を付けたところで能力値など上がらない。むしろ落ちる。いつまでたっても自制ができない壱予姫の力を押さえつけるための苦肉の策でしかない、くだらない道具だ」
「じゃあ、なんであんな手荒な真似をしたんだ……?」
「欲しかったのは腕輪を構成する素材だ。この国にだけ存在する新種の鉱石で、あの女は
「……」
呆気にとられる大吾とあずさ。
それは視聴者も同じ。
『わけわかんないこと言っとるわ』
『じんむせき……』
『言葉だけじゃまるでピンとこない』
「信じて貰えるとは思っていない。だからこそ見せたかった。わずかな神武石でどれだけのことが成せるのか、皆に証明したかった」
深尾は壁にもたれ、疲れたようにタバコに火をつけ、のんびりと煙を吐き出す。
「本来ならこのB6の階層はチュートリアルを終えた探索者が一定の数に達すると、城に隠された古井戸の封印が解ける仕組みになっていた。そこから出てくる怪物を倒すことでクリアになり、次の階層への扉が開く。そういう仕掛けになっていたそうだ」
『誰に聞いたんだそんなこと』
『雪村って女だろうな』
相変わらず鋭い視聴者。
スマホを見ていないのに視聴者の反応がわかるのか、深尾はふっと笑う。
「あの女はその手順を省くと言っていた。神武石の力を使って古井戸の封印を解き、怪物を呼び出し、神武石の力でより強化し、手懐けて自分たちの武器にする。これで刃向かう奴ら全員殺せるはずだと。自衛隊がここに戦車を持ち込んだとしても楽に勝てるだろうと……」
深尾は吸いきったタバコを丁寧に携帯灰皿に捨てる。
「それがあの不手際で、小娘はダンジョンの中にすら入れなくなった。だからあの女は腕輪無しで事をはじめようとしている。古井戸の近くに米粒より小さい神武石の欠片があって、それを使うつもりらしい。残念だ。腕輪さえあれば、もっと凄いモノを見せることができたはずなのに……」
「どういうことなの……」
思わず独り言を吐き出すあずさ。深尾の不気味な威圧感に押され、気づかないうちに後ずさりしている。
一方、大吾は呼吸を整えている。
これからなにが起こるか、彼は既に想像を張り巡らしていた。
「なあ保本。俺たちは生まれたときから、この国がただ弱っていくだけの、人も社会もオワコンになってくだけの国だと、教科書やテレビで散々教わってきたよな」
「そうだったかな……」
「神武石さえあれば、この国はかつての強さと豊かさを手に入れることができる。国がよくなれば、荒んでいた人の心も癒えていくはず。わかるか、もう惨めな思いをしなくて済むんだ」
油切れを起こした機械のようにぎこちなく頭を動かし、大吾を見つめる。
「このダンジョンのゴールに俺たちで行かないか? お前の吸収力と適応力はあの女も一目置いている。俺たちならいけるはずだ」
「それはないなあ」
大吾はすぐさま答えた。
「君が言ってるその鉱石に凄いパワーがあるなら、とてもいい話だと思うけど、それをどうするかはみんなで決めることだろ」
大吾は言いながらその手に力を込めている。
これから起こることはもう一つしか無い。
深尾だってそれはわかってるはずだ。
「深尾くん、君はちょっとでも考えや意見の違う人は、俺にしたみたいにだまし討ちするのか? そうしないと言い切れるのか?」
その問いに対し、深尾の答えは以下の通りだった。
「お前を初めて見たときから、相容れないだろうとは思っていた」
その瞬間、戦いが始まった。
ガンマンの早撃ち対決と一緒、勝負は一瞬。
深尾が伸ばした手から強烈な炎弾が飛び出た。
その弾が通った後の壁や床に真っ黒い焦げがつくほど強力な火炎。
大吾はまともにやり合って勝てる相手だとは思っていなかった。
あんなゴリゴリに鍛えた男には何したって勝てない。
彼の頭にあったのは、あの武者野郎と戦って勝ったときに壱予が繰り出した技だ。
それは壱予がコメント欄を使って必死に呼びかけていたことであり、奇しくも二人の考えは一致していたのである。
最初に出会ったとき、壱予が何をしたか、なにを言ったか、記憶と感覚とイメージを頼りに、腕を伸ばし、呼吸を整え、身構える。
眼前に迫った炎は直前でくるりと向きを変え、倍の速さと威力で深尾の元に戻っていく。
攻撃を跳ね返したのだ。
「な……」
深尾は驚きつつ防御の態勢を取る。
強力な炎を浴び、その全身を壁に打ち付けても、深尾はこらえた。
しかしもう動けそうにない。
尻餅をつき、その体からは蒸気が出ていた。
動いているその姿を見て大吾は安堵した。
完全にやっつけてしまったら、莫大な日数のペナルティを与えてしまうところだった。
「あれ?」
深尾はきょとんとあずさを見ている。
「丹羽さん、どうした? ちょっと痩せたか?」
「え……?」
憑き物が落ちたとはこのことか。
深尾の表情は明らかに変わった。
「みんなどこにいる? あれからどうした?」
なんでこんなに体が痛いんだと首をかしげる深尾。
「そんな……」
あまりの光景に膝を突くあずさ。
視聴者も同じく、ただ驚くだけ。
『おいおいおい』
『見てるもの全部が信じられない』
『呪いが解けたってこと?』
『なにが起きたか知らない方がいいわな、ここまで来たら』
「みんな、どこだ? 一ノ瀬、井上、徳永。どこにいる?」
きょろきょろ辺りをうかがう深尾。
その背後から近づく女がいた。
雪村カエデである。
「お前の役目は終わった」
記録の鍵を無理矢理、深尾に握らせると、なにが起きたか把握できないまま、深尾はダンジョンの外にはじき出された。
雪村は大吾を見て笑う。
「手ぬるいね。なぜ殺さなかった。そんなんじゃ、いずれわしらと同じになるぞえ」
「あんた……」
たぶん、この人は雪村カエデじゃない。
もしかしたら。
いや、そんなまさか。
圧倒される大吾を尻目に雪村は話を進めていく。
「これが欲しいんだろ?」
雪村がふわふわと浮かせるものこそ、大吾とあずさのそれぞれの鍵。そして壱予のライセンスカードである。
確かに欲しい。
欲しくてたまらない。けどわかってる。
「タダじゃくれないんだろ」
「そりゃそうさね」
言うなり、雪村カエデは大吾とあずさのスマホを自分の手に引き寄せる。
すると後方から声がした。
「電源を切ったか?」
その呼びかけに対し、カエデは答えた。
「ああ」
その瞬間、不意を打ってバットで大吾を殴りつける男がいた。
城の中でずっと機会を伺っていた、カイジである。
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