前日譚 最終話
『は……花火……?』
ゴウシュウは細い目をまん丸に見開く。
『うんとデカいヤツ! 手持ち花火なんて、しみったれたモンじゃなくって。』
対してユリは細身の体を大の字に広げ、大きな花火を形容する。
ゴウシュウは狼狽えながら私へ状況説明を催促をしたが、勘弁してほしい。私も頭を抱えているところだ。必死に目を逸らす。
『なんで急に?』
あきらめたゴウシュウはユリへ向き直る。
『毎年行ってたじゃん、花火大会。今年は見れないから。』
苦虫を嚙みつぶしたような顔のゴウシュウ。
そうだ。本人にここまで開き直られると、返す言葉もない。
と、そこでアイ。
「なんで見られないんですか?」
怖いもの知らず。あるいは、天然。
『月末だから。もう死んでる。』
そりゃあそんな顔になるだろうに。アイ、撃沈。
『死ぬ前に見せてよ。どでかい花火。』
『簡単に言うけどさぁ……。』
うーんと腕を組んで悩むゴウシュウ、その周りにはちびっ子たちがまとわりつく。
いつものことながら、異常なまでに元気がいい。
とりあえず、肩車し続けてるのは流石に体力の限界なので膝をつき下ろすことにする。
『え~、おしまい?』
──もう限界。ちょっと休憩ね。
ぶーたれた子供たちによるブーイングと、キック。ユリの剛脚に比べれば大したことない。怯まずお叱りのデコピンを返す。
『やりやがったー!』
──出直してこーい。
ぱたぱたと走り去る子を見ていると、アイがクスリと笑う。
「随分と逞しくなりましたね。」
──もう“慣れた”よ。
「それは良かったです。」
アイは安心したように優しく微笑む。
私も笑みを返そうとしたその時──。
『テェイ!!』
脇腹に強い衝撃。ユリのミドルキック。
冗談抜きでギャグ漫画のように吹っ飛ぶ。
『話が逸れてる! ヒトシもどうにかしろ!!』
ご自慢の身体能力は予備動作も無く襲い掛かってくるので、油断の隙も無い。
撃沈。声が出ないまま悶える。
『花火! 行けないんだったら打ち上げるしかないでしょ!』
それができないから苦悶していると言うのに。
「いいですね! どうせなら派手に。」
盛り上がる女性陣。ゴウシュウは私をちらりと見るが、今は動けないことを察し大げさに咳払いする。
『打ち上げ花火ったってねぇ、無理だよ。』
『なんで!』
野生の獣のごとく唸り声をあげて睨むユリを、あくまで冷静に諭さんとするゴウシュウ。
『打ち上げ花火ってめっちゃ高いんだよ? それに消防の許可とかいるし、とてもじゃないけど現実的じゃない。』
『知らん。金も罪も、もはや価値無し。』
『君はそうでもねぇ……。』
開き直った人が1番恐ろしい。
無敵の悪女が握ったものは、末恐ろしい
「むむむぅ……、やっぱり厳しいんですかね……。」
『負けるな! 諦めるなー!』
「どうにかしたい、ですけど……。代替案を立てるしか、」
『打ち上げは譲らない。譲歩するなら、過程で頑張って。』
頑なによしとしない。
しかし、無理なものは無理だ。ユリが想定しているド派手な打ち上げ花火は叶うはずがない。
あるいは、本当は無理とわかっているのではないだろうか。
やっと呼吸がまともにできるようになって、身を起こす。
──どうしてそこまで意固地なのさ。ゴネたって、結局出来やしないのに。
ユリは目を細める。
『……だって、見たいんだもん。』
──……わかってるだろ。
どうにか膝をつきながらユリと対話を試みる。
あれから、ユリはだいぶ聞き分けが良くなった。私の言葉にしっかり聞く耳をもち、時には反することなく従う。
ゴウシュウも口をあんぐりと開け驚いていたが、当の本人も少し気味が悪いほどである。
しかし今日はそうはいかないようで。
不満オーラを全開に、ユリは未だ丸まっている私の上に乗り胡座をかく。
──……重いけど。
『命の重さだよ。』
──新生児のつもり?
フン、とそっぽを向く。
腹部を刺す痛みのせいで抗いきれず、なされるがままに身を安定させる。
ゴウシュウ、助けて。
『よし、じゃあ、とりあえず見にいこうか。』
私の救難信号を察した(のかは知らないが)ゴウシュウは、パンと手を叩く。
「どこにですか?」
『デパートにでも。季節柄、もしかしたら結構派手なもの置いてるかもね。』
「花火ですか! いいですね、行きましょうよ!」
アイの高揚に、しかしユリはブーっと唇を鳴らす。不満なのはわかるが、いい妥協案ではないか。いや、とりあえず、
──一回降りようか。
『デパートったって、どうせしょぼいのしかないよ。』
「そんなことないですよ〜。きっとブワーっと吹き上がるやつとかあります! あれちょっと見てみたくないですか?」
『興味ない。』
「そうですか? でも5個6個……いや、10や20並べば、きっとすごい迫力に違いありません!」
『えぇ!?』
とゴウシュウ。思わぬ伏兵に驚きを隠せない。
『…………確かに。』
『待って待って待って!』
「どうですか? ちょっと気分上がりました?」
『悪くないね。』
ニヤリと悪辣な笑みを浮かべる。
確実に面倒な事が目白押しな予感しかしないが、正直、頭を抱えるのにも疲れたところだ。
ゴウシュウの助けを求めるような視線の一切を遮り、
──……いいね。花火、やろうか。
ユリと微笑む。
私も、この悪意に慣れてしまったみたいだ。
──────
そうして赴いたデパート。
今回は中学生年齢以上の子達全員で出向くことによって、施設の行事にみなすそうだ。
『ウチも決してお金があるわけじゃないからね。施設行事としてアクティビティにしてると行政におねだりできるんだよ。』
大人の事情というやつだ。
想像以上に春眠病に対して羽振りは良いお国に、確かに賢い選択だ。
「花火は上げられませんか?」
『流石にね……。』
諦めの悪いアイ。出会った頃は使命感に呑まれて笑顔も硬いこともしばしばだったが、最近はどうも突拍子も無いことを言う。
ユリとの出会いは、彼女の
──……あの、それよりも。
『大丈夫大丈夫。』
ゴウシュウはそう言い、ラーメンを啜る。
軽く館内を見た後に昼食を取ることに。
フードコートで、全員にお金を握らせた時は驚いたが、金銭感覚を身につけるトレーニングだと言われ納得する。確かに、
中学生組は賢く、ほとんどの子がお釣りを一桁以内に抑えており、逞しささえ感じる。
──テルヒコはうどん?
『うん。天ぷら好きなんだ。』
小さめのうどんに揚げ物を諸々。
彼は特段頭の回転が良く、予算ピッタリのレシートを見た時は流石に目を丸くした。
──美味しい?
『うん。』
おとなしい子だ。皆こうであれば手がかからないのだが。
『ユリ探さなくていいの?』
──……うーん。
災いの種はここにいない。
車がデパートの駐車場に停車した瞬間、ユリは恐ろしく早い手際で脱走を試み、気が付けば店内の雑踏に姿を眩ました。
──どこに行ったかね、わかんないから。
家の近くならどうせ図書館一択だが、こんな子供目に夢いっぱいなテーマパーク、検討つける方が難しい。
『お腹すいたらどっからか出てくるから。』
慣れた様子のゴウシュウ。なんとも薄情に見えるが、ことユリに於いてはそれが最善である。
──ユリ、僕らがここにいるってわかるんですか?
『来るのは初めてじゃないよ。物覚えの良い子だから、大丈夫大丈夫。』
ユリだからの安心はわかるが、ユリだからの不安もある。最悪、見ず知らずの
『不安なら探しにいく?』
──どこにですか……? アテなんてないでしょう。
『君ならわかりそうだけど。』
──ここに来たのは初めてなので。
「そうなんですか?」
と、アイ。この街の人間にしては親しみのあるデパートなのかもしれないが、生憎私は少し遠くの出身なので、馴染みは薄い。
「時々詳しいこともあったので、この街は長いのかと思っていましたが。」
──機会がそこそこあっただけだよ。
へぇー、と感嘆。朗らか。
──向いてないですよ。
『往々君という人を知っていくにつれ、一つのクセを見つけてね。』
ゴウシュウは箸を置き、手を合わせる。
『君が口にする“向いていない”はただの保険だ。本心では全くそう思っていない。』
──……そんなことないです。
『そう? この1ヶ月近く、君は向いていないことばかり成し遂げてきたと思うけど。』
「あ、私もそう思います。」
アイは私の顔を見る。
「器用な人だと感心してたんですが……保険だったんですか?」
ジトリとした視線がもどかしい。
──……誤解だ。器用でもなければ保険をかけたつもりもない。全部……。
キョウスケが死んだ日を思い出す。
器用な人というのは、もっと悔いを残さない人のことをいうべきだ。
ため息をつく。
──……全部、運が良かっただけだ。
支援はこなしてる。完璧ではない。
運良く、不便をさせていないだけだと、自惚れないようにしている。
『どっちにしろ探してきてよ。』
──……この流れでですか?
「ちょっと遅い気もしますね。どこ行っちゃったんでしょうか。」
『夢中になってんでしょ。』
何に、そう聞こうとした口を力一杯噤むが、ゴウシュウは構わず私に微笑む。
『キラキラしたもののとこに行くといいよ。たぶんいるから。』
──────
──楽器店、ねぇ。確かに、キラキラだ。
光沢のあるものなんてあったか、館内マップを見た時に目に留まった。
おもちゃ売り場、駄菓子屋、その隣に広いスペースを持つこの楽器店。この間取りを見れば、ユリがここにいることくらい誰でも想定できる。
『……。』
──こういうとこ、わかりやすくて助かるよ。
本当にいた。
まるでトランペットに見惚れる少年のように。
トランペットに見惚れていた。
この比喩が、本当にトランペットに取り憑かれている子に使う事があるのかと、少しだけ高揚する。
何かが入ったビニール袋を腕に下げている。概ね駄菓子だろう。
──いくら使ったの。
『全部。』
──全部……?
『そう、全部。』
と、咥えていた棒付きキャンディーを突き出す。
『いらない
清々しいものだ。
呆れさえ、微笑みに隠れる。
──山盛り駄菓子か。そりゃあ、お腹も空かないか。
するとユリは勢いよく立ち上がり、自らの胸の前に握り拳を掲げる。
『これも買った! めっちゃ安かったから!』
腕には白いバンド。
よく見ると、電子で表示された時計であった。
『すまぁーとうぉーーっち。』
と、言うには安っぽい。
児童向けの時刻表示のみの簡素なものだった。
しかもデジタル。スマートウォッチと呼称するならせめて液晶くらいつけてほしいものだ。
──……すごいね。
『しかもこれ……!』
ユリはスマートウォッチ(仮称)の側面をいじる。
するとその瞬間──。
『光る!』
緑の豆電球が灯る。
──……いくらだったの?
『500円! の3割引き!』
妥当な値段だろう。350円、売れ残りのカートでも漁ったようだ。
時折、図書館で得た文学知識から歳不相応なまでの博識を顕にするが、
こんな子供騙しに目を輝かせてるなんて、こちらが曇ってしまったようにさえ思わせる。
──みんな心配してる。君が迷子になったんじゃないかって。
『騒々しいね。いつものことなのに。』
──そうだね、慣れた様子だった。
ゴウシュウからは一応時間があるからと、無理矢理にでも連れて帰れと仰せつかっている。
私はユリの手を掴み、強引に連れていこうとする。
が、動かない。毎度毎度、どこにこんな力があるのやら。
『ねぇ。』
──無理だ。
『まだ何も言ってない。』
──値札を見ろ。
何を言わんとしているのかは想像に易い。
学生バイトだ。このトランペットは桁が違う。
『リボは?』
──……意味わかって言ってる?
『知らない。お金がいっぱい手に入るんでしょ。』
──そんな簡単な話じゃないよ。
無理なものは無理、そうキッパリと吐き捨てるが、無性に諦めが悪い。まるで帰宅を拒む散歩中の犬との小競り合いが如く膠着が続く。
──か・え・る・ぞ!
『い・や・デス! ここでのこのこ帰るのは間抜けだぁ!』
──意味わからん! 間抜けはキミだけだよ!
まるで懐かしの綱引きのように。
この歳になってここまでムキになるとは思いもしなかったが。
そう思うのも束の間。
掴んだ手から、次第に指が一本、また一本と滑り抜け──
『えっ……ちょっ、エッ!』
反した引力は綻び、各々が与する方へ支えを失くし倒れゆく。
ビタンとコンクリートに叩きつけられる音。かける2。
──いたた……。
『……大人げない。』
──キミがそれを言うか。
まったく、彼女の蹴りほどではないが、充分いたいのだ。
ユリはイジけた子供のように体育座りで小さく縮みこみ、頬を膨らませる。
なんとまぁ可愛らしい仕草をするものか。これが2個下の少女かと思うと変な笑いが込み上げてくる。
『……何笑ってんの。』
──ごめんごめん。でも……ふっ、ふふっ、あはははっ!
『笑うなぁああ!!』
犬か、あるいは猿。
宙を駆る彼女の体は、まるで一つの走馬灯。
その後噛みついてくるユリをどうにか諌めるための妥協案として、桁が幾許も低いハーモニカで手を打つこととなった。何故ハーモニカに心変わりしたかはわからないが。
しかし4000円弱。決して安い買い物ではない。
終の家初給与に目を輝かせていた私だが、そのせいあってかどうも金銭感覚に緩いところが生まれてしまったのかもしれない。
後ほどゴウシュウにせびりにいかなくては。
──経費で、
『落ちないよ。』
──人の心とか、ありますか?
『高いもん。』
──────
例えるならお山の大将。
ユリを前にすると、あれほど聡明であった中学生組も子供のように目を輝かせる。
普段終の家で彼らに不自由させてしまっているのではないかと思うと、こうしてガキ大将をしてくれるユリに口酸っぱく言動を封じるのは気が引けてしまう。
まるで一つの親心。
ゴウシュウの気持ちが、少しだけ理解できる。
そうして腕いっぱいに花火を抱える彼女らと、頭をいっぱい抱えるゴウシュウ。
『近隣から……苦情来そうだね。』
──間違いなく。
『ただでさえ、あんまし良好じゃないんだよねぇ……。』
──川とかでやればいいんじゃないですか?
『条例がね。敷地内なら、グレーってとこ。』
ゴウシュウには私達が見もしないところを抱えさせてしまっている。殆頭が上がらないが、経費に落ちなかったことは忘れない。
『これ、ぶん投げれば打ち上げっぽくなるかな?』
「投げる? ……なるほど、その手がありましたか。」
君はそっち側にいてはいけだろう、アイ。
流石にゴウシュウがいたたまれないので、苦笑いで止めに入る。
──苦情くるからダメ。
「あ……そ、そうですよね。」
『ケチ。』
何と言われようが構わない。あくまで冷静にユリを諌める。
『ま、もうわかってたけどね。』
──随分と物分かりがいいじゃないか……?
ユリのジトリとした視線が私を刺す。
『なに、人のこと普段は聞き分けの悪いやつみたいに。』
──普段は聞き分けの悪いやつじゃないか。
その手のハーモニカが物語っている。
しかしユリは大して気を損ねることなく、私にあっかんべをし、笑顔を見せる。
『帰ろ。花火やるんだから。』
──……え、今日?
ゴウシュウの顔色を伺う。
小刻みに首を横に振る。近隣との仲がよろしくないとのことだ、きっと事前に菓子折り持って断に行かないとなど考えているのだろう。
『当然! 明日も生きてるとは限んないから。』
こちらが反応に困る事を平然と言う。
しかし、考えてみればその通りなのだ。
心のどこかで、ユリは短い寿命を最後まで全うするのだと思い込んでいる節はあった。
キョウスケが死んで。
人は、案外簡単に死んでしまうのだと思い知った。
もしかしたら、彼女は何かを悟っているのかもしれない。
そう思うと、事を急くのは致し方ない。
ゴウシュウに苦笑いをしてみせる。
彼もまた、大きなため息を吐き、ユリの前に歩み寄る。
『一生のお願い。』
『……ははっ、何回目だよ、それ。』
ゴウシュウはユリの頭をワシャワシャと撫でた。
──────
急遽開催されることになった“終の家ミニ花火大会”。
都合のついた残りの職員も招集し、なんならことのついでにと夕食は中庭でバーベキューを行うことになった。
大盤振る舞いである。
──凄いですね。行事計画とか、事務的なことはどうしたんですか?
『なんも。全部自費だからね。』
行事計画書を作成して行政に提出すれば経費は出る。先の買い物がまさしくそうだ。
だが、日に2つも行事を重ねると渋い顔をされるどころか受理されないこともあるそうだ。
故に自腹で決行。スムーズに事を進める最終手段だ。
思い切りの良さに、しかし驚きはなかった。
両手に串を持って踊るユリ。
ゴウシュウと共に肉や野菜に串をうちながらそれを見ていた。
「お二人も、食べてください。」
気を利かせたアイが私達の元へ焼け上がった串を運んでくる。
──ありがとう。
「あの、代わります。」
アイはゴウシュウに渡すと、そう言った。
『ありがたいけど、大丈夫だよ。君も楽しんで。』
ゴウシュウはただの親切として受け取ったようだが、夕闇に陰るアイの顔は、いつもとは違い、何処か神妙な顔をしていた。
「いえ、代わります。ユリちゃんのところに行ってあげてください。」
そう言って、半ば強引にゴウシュウから生肉を奪いとり、背中でグイとどかした。
オドオドとした様子で名残惜しそうに私たちの元を後にするゴウシュウ。目を離した隙に、ユリに肉をひったくられ、微笑ましい親子喧嘩を始める。
「ふふふ、仲良しですね。」
──どうしたのさ。なにかあった?
アイは親子から目を離さずに、しばらく無言だった。
済んだ仕込みの山に一息吐き、背もたれのないベンチに腰掛ける。
相変わらず、アイは立ったままユリ達を見つめていた。その背はどことなく哀愁を帯びていて、いつもより小さく見えた。
──……ありがとね。
「はい?」
──一緒にいてくれて。キミがいなきゃ、僕はとうに挫けていたと思う。
「いえ。貴方なら、何も問題なかったはずです。私は、たまたま機会を与えただけの人に過ぎません。」
アイが私の隣に座る。
賑やかな歓声が、ずっとずっと遠く感じる。
「1つ、聞いてもいいですか。」
──ん?
アイは少し悩んでいた。言葉を選んでいるのか、はたまた言葉にしたくないのか。
そうして口を開いたアイの目は、珍しく後ろめたそうに私から背いていた。
「……これから、どうしていきますか。」
これから。
質問の意図がわからなかった。
聞き返そうとした時。
シュボボ、と火を吹く音。
ちらつく閃光。
ユリが手持ち花火に火をつけたようだ。
両手に何本かずつ持ち、その全てに火をつけて、それはそれは圧巻であった。
「……綺麗。」
光の中で舞う妖精のような、そんな臭い例えしか浮かばない己の感性を嘲笑する。
しかしそんなことはどうでもよくなるほど、綺麗だった。
「彗星みたいですね。願い事も叶えてくれそう。」
──どうだか。甚平の織姫は、人の願いを鼻で笑いそう。
「いいですね。私の願い事は、みんな笑顔でいることですから。」
叶っちゃいます。
そう言って、やっとアイが笑う。
なんとなく、私も肩の力が抜けたような気がした。ユリが花火と言い出してから、自分で思っている以上に責任感を感じすぎていたのかもしれない。
「貴方だったら何を望みますか?」
──なんだろう。……明日も晴れるように、とかかな。
「謙虚な望みですね。謙虚すぎるくらい。」
──……口にしないようにしているんだ。叶わない望みは、切なくなってしまう。
花火が消え、宵闇がユリを呑み込む。その暗闇こそが、至る現実であるかのように。
「今を永遠に望むのは、よくないでしょうか。」
──……珍しく弱音だね。やっぱり、何かあったでしょ。
アイはやはり答えなかった。
沈黙のまま私の肩に頭を乗せる。
唐突の事に驚きはしたが、意外と
終の家に帰ってきた時から、アイはどことなく元気がなかった。気疲れしたというわけではなく、寂しそうな、そんな顔。
意味があるかはわからないが、元気づけるつもりで、アイの手を握る。
彼女の手は、微かに震えていた。
「ごめんなさい、ちょっとだけ、このまま。」
震えた手が、か細く私の手を握り返す。
──……うん。
再び花火の音が鳴り響く。
今度はユリだけでなく、施設の子供たちみんなが火花を散らし、光の雨を降らす。
「夢みたい。あの子たちにとっては、もしかしたら本当に、夢の中なのかも。」
──覚めてしまったら、どこにいくんだろうね。
「大好きな人のもとへ。どれだけ時間が掛かっても、きっとたどり着くんです。」
まるで子供に聞かせる御伽噺のような、身を委ねるには心もとない。
それでも、不思議と胸にスッと入っていく安寧。口角が上がる。
──本当にそう思う?
アイは微笑み、
「そうであったら、私は嬉しいです。」
そう囁いた。
瞳を閉じて、アイの答えを反芻する。
──僕も、嬉しい……
足元で強烈な破裂音。
止まぬ閃光、踊り狂うなにか。
「うひゃぁあああああ!!!」
発狂したアイが私の首に手加減もなく纏わりつく。あまりの力強さに、圧迫された気管からみっともない声が漏れでる。
しかしおかげで頭は驚く余裕を無くしたために何が起きたかを冷静に処理する。
足下で爆ぜているのは鼠花火。
1つや2つではなく、少なくとも10は下らない数が狂喜乱舞を奏でている。
『寝るな!』
と、
「なななななんですか!」
『いっっっぱいあるんだから! ほら、アンタたちも!』
色々な花火を抱えて、それはそれは無邪気な笑顔で私たちにそれをぶちまける。
まったく、怒る気さえ削がれてしまう。
が。
──……やったな?
ここで白けてお説教なんて無作法もいいところだ。
目には目を、歯には歯を。
花火には花火を。
ロケット花火に火をつける。
──始めたのはキミだ!
射出部をユリに向ける。良い子は危ないから真似をしてはいけない。
しかし、ゼロ距離射撃もユリはヒョイといとも容易く躱わす。化け物か。
──な……どうして躱せるんだよ!
『ドラゴーーン!!』
ユリは退く事なく私の射撃を避けつつ、設置して使用するタイプの巨大な噴出花火に火をつける。
──そりゃ、あぶな……、
『ファイヤーー!!』
ユリの頭の上に掲げられた大筒が、大量の火花を吐き出し始める。
「きゃーー!!!」
阿鼻叫喚。
綺麗とかド迫力とか、それ以前に熱いし、眩しいし、よくわからないことになっている。
──バカバカバカ!!
『あっつ、熱っ!』
「とめ……止めてぇー!!」
肉を斬らせてなんとやら。
末恐ろしい事をする。
火の粉を振り払いながら、アイの手を引きその場から脱出を試みる。
『熱い! 助けて!!』
──こっちくんなぁ! それを置いてこい!!
そのまま花火が静まるまで追いかけっこは続き、久方ぶりに息が切れるほどに走り尽くした。
その場に座り込むアイと、ケロッとしたユリ。
『……楽しかった。』
──……もうやるなよ?
ゴウシュウにこっ酷く叱られ、その後はなるべく大人しく花火を堪能する。
もっとも、反省という言葉が辞書にないユリは、依然として花火を両手に走り回っているのだが。
先程の大筒もだが、こうして改めて見ると普段は見ないような多種多様な花火が未だ数を余らせている。
7色の滝が、弧を描く火の玉が、跳ね回る閃光が、溢れる光が、幻想的に視界を埋め尽くす。
終いには先程の大筒が並べられ、まるでライブのパフォーマンスのように轟音を振り撒く。
その前に立つユリは、それはそれは綺麗で。
きっとこの光景を見るために、彼女に
──────
『ヒトシくん。』
後片付けの最中にゴウシュウに呼び止められる。
『ユリがいない。探してきてくれないかな。』
──ユリが?
『うん、たぶん敷地の外には出てないと思うんだよね。』
バーベキューで使った炭の仕末を終え、コンロを箱にしまう。
その後のことは他の職員に任せて、まずは勝手口へ向かう。
ついでに覗いた彼女の部屋は相変わらず電気が消えている。ユリが大人しくそこにいた試しがない。
初めて声をかけた小さな木の下へ。
いない。
まぁ想定の範囲である。
抜け穴から脱走したとも考えたが、明かりもない図書館裏には流石に行かないだろうと、裏庭からグルリと中庭へ回っていく。
先程とは打って変わって暗く静かな中庭。
この世界に誰もいなくなってしまったのではないかという寂しさが吹き抜ける。
『何してんの。』
どこからか声が聞こえる。
目を細めて辺りを見渡すが、誰もいない。
『こっち、上上。』
上。終の家の上を見上げると。
ユリがいた。屋根の上に座っていた。
街の明かりに微かに照らされ、手招きをしている。
──危ないよ。
『慣れてるから大丈夫。アンタの方が危なそう。』
──慣れてないからね。さっさと降りよう。
誘われるまま、2階の窓から伝って千鳥足でよじ登る。
『高いとこ苦手?』
──そうだね、好きだと思ったことはない。
決して背の高い建物ではないが、近場の民家も似たようなものなので景色がよく見える。
『大した眺めじゃないでしょ?』
──星が見えたらまだ良さそう。
『そこそこ見えるよ。』
比較的田舎町だが民家の数が多く、街が明るいため星が見ずらい。
こういった場所はきっと高いところから見下ろしたほうが、家々が星のような灯りを創り、壮観なんだろう。
『あっちの山とか、見晴らし良さそう。』
──行きたいだなんて言うなよ。
『行かないよ。虫多そうだし。……それに。』
ユリは顔を顰める。
『なんか嫌なんだよね。』
よくわからないが、なんとなく私も同じ気分だった。
あそこはどこか薄気味悪い。
チラリとユリの顔を覗く。
寂しそうな顔で空を見上げていた。
──……どうだった?
『なにが。』
──花火。すごかっただろ。僕もあんなド迫力なのは初めてだ。
ユリはゆっくりと私に顔を向ける。
その表情たるや、不満そうな子供そのもの。
『打ち上げ、やってない。』
──充分だろ?
ユリは黙って手を掲げる。
届かぬ星に手を伸ばすように、高く、大きく空を指す。
『私さ、
──うん。
『でも想像以上に世の中窮屈で。奇跡も魔法もあるのに、てんで役に立たない。』
何かの比喩だろうか。
首を傾げ、続きを促す。
『神様も、きっと誰よりも自分勝手な人なんだろうなって。じゃなきゃこのビョーキで苦しんでる人はいないから。』
──……そうだね、じゃなきゃ、存在しないかのどちらかだ。
ユリはクスリと笑う。
『信じてないの?』
──信じてる。都合のいい時だけ。
『私はいつだって信じてるよ。だから。』
ユリが目を閉じ深呼吸をする。
その瞬間、空気が変わった。底知れぬ迫力に、唾を飲む。
『喧嘩を売る。私の人生は、私のもんだって。』
──キミらしいね。
『……“花火”って言うくらい。まぁ、お花みたいなもんだよね。』
ユリは掲げた右手を左から右へ窓を拭くようになぞっていく。
何をしているんだろう。
眉を顰めた刹那───。
ドーーーーーーーーーン。
──っ……!?
広いだけの夜空に。
──打ち上げ……花火……? どうして……?
大輪の花が咲く。
それも一つだけではない。
沈黙を嫌うように、次々に轟音と共に遠い夜空に花火が打ち上がる。
夢ではない。
頬を揺らす空気の振動。
今そこに、花開いているのだ。
『魔法だよ。』
ユリが耳元で囁く。
私は声を失い、ただただユリの顔を見ていた。
『……今度はさ、2人だけで観にいこうよ。花火。』
珍しく、ユリが未来の話をした。
下から賑やかな声が聞こえてくる。皆が何事かと様子を見にきたようだ。
──……ガラにもないこと言うね。
気恥ずかしさに花火へ逃げる。
きっと、もっと良い言葉はあって。
彼女にちゃんと伝うべきであったのだ。
自分の気持ちは、よくわからない。
あるいは、ユリのことを、特別に思っていたのかもしれない。
たった2ヶ月やそこらで、私はそれを言葉にするのを恐れた。
だから、今でもこの時のことを悔やんでいる。
ユリは立ち上がり、輝く柳を背に。
『───だよ、
花火の怒号に声を隠した。
口の形が意味するそれは───。
何も言えなかった。
何を言えば良いのかわからなかった。
それが、
──────
『───日記はここで終わっている。』
『えぇええ!?』
シオンがオーバーリアクションで声を上げるが、ナズナはそんなシオンに慣れた様子でシオンの反応を流し、再び手に持つ手記をパラパラと捲る。
『後は白紙。別の冊子があるわけでも無さそうだね。』
『そんなぁ、大事なとこだったのに。』
シオンは尻もちをつき、子供のように不満を露わにする。ナズナが座る車椅子のブレーキをカチャカチャと遊び始め、手の甲をピシャリとナズナに叩かれる。
『“ユリ”が気になる?』
『そりゃもう!』
ナズナはぐいと顔を寄せられた気迫に苦笑いし、咳払いで遠ざけ続ける。
『聞いてみれば?』
首を傾げるシオン。ナズナが指差し、私の方へ振り返る。
『げっ……。』
──勝手に入っちゃダメだろう。
ため息の後、ナズナから差し出された日記を受け取る。
『ごめん。シオンが、宝探しだって言うこと聞かなくて。』
『えぇ!?』
私は止めたんだけど、と知らぬ顔をするナズナの頭を少し乱暴に撫で回す。
顔を顰めたが、私の言わんとすることを察したようで、ごめんなさい、と呟いた。
──罰として、タカのお手伝いをしてきなさい。
『えぇ〜、今日は私の当番じゃないのに。』
『しょうがないよ。行こう、シオン。』
シオンはいじけたまま、しかしナズナの車椅子を押し始める。
やれやれ、懐かしいものを引っ張り出してくれたものだ。
『ねぇ、ゴウシュウ。』
ナズナの声に振り返る。
──なんだい。
『それ、日記?』
──……? そうだけど、なんで?
ナズナは顎に手を当てうーんと唸っている。
その様子を見て私とシオンが首を傾げる。
『日記、うん、日記なんだろうけどさ。どっちかと言うと、“詩”みたいで。』
『あー、確かに。ポエムみたい?』
見られたくないものをしっかり見てくれたものだ。顔が熱くなっていくのを感じる。
──どうだろう、好きではあったね。
草臥れた表紙にあの娘を思い出す。
彼女も、たぶん好きだったから。
私も負けず嫌いだったから。
ナズナが笑みをこぼす。
『その“詩集”の
──タイトル……か。
あの花火の日に。
生涯拭えぬ後悔と、揺らぐことのない導を得た。
そして、まるで
ユリの声は、私を今もここに縛りつけ、そして支えとなっている。
あるいは呪いで、あるいは、“魔法”だ。
恨むこともあった。キミに出会わなければ、こんなに苦しむこともなかっただろう。
バカみたい。もっと楽に生きなよ。
そんな声が聞こえた気がした。
言われなくとも、そうしてるつもりだよ。
でも、たまには弱音を吐いたっていいだろう?
たまには泣いてしまってもいいだろう。
キミは嗤うかもしれないけど。
目を輝かせるシオンが、今か今かとウズウズしている。
そうだな、この
──“謳う白百合”。とかはどうだろうか。
終の家 白州智也 @Shirazirasiizo
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