前日譚 5話
アイが落ち着かない様子で左右をキョロキョロする。
左には私。酷く、バツの悪い顔をしている。
右にはユリ。仏頂面で、大層機嫌が悪い様子だった。
「昨日とは色違い。好きなんですか?」
『あぁ?』
ガラの悪い返事をするユリ。
「甚平。お気に入りなのかなって思って。」
ユリはジト目で、
『楽だから。』
と、簡素に答える。
一瞬だが、アイの視線が私に向くのを感じた。
あまり責めないでほしい。人付き合いの苦手な私でも頑張ったのだ。
ユリの部屋での一件後、彼女の出ていけという無言の圧力になす術もなく、私はその日の業務時間を終えてしまった。
翌日となり、土曜日である今日は大人組の外出日。
キョウスケとカナエは他の職員と共に別々の外出プランを立てており、担当である私たちがユリの外出同行をすることとなった。
あれからというもの、ユリの方から壁を作られてしまい、アイも私の仲間として見做されたのか、まだ大した接触もないのにやたらと警戒されているようだった。
オドオドとどうにか会話を試みるアイ。悉く打ち砕かれるたびに、私も胸が痛くなる。
しかし、聖母アイはこれしきの事では挫けない。
「そういえば! ゴウシュウさんからお聞きしましたよ。私たち、誕生日が一緒みたいです!」
『……だからなに?』
「運命みたいだなって思いません?」
『思わない。確率でいえば、全く大したことない。』
「でも、私初めて会いましたよ。大した確率じゃないはずなのに、これって凄くないですか?」
たじろぐユリ。流石聖母と言ったところか、私ではあれほど手も足も出なかったユリが、押され気味である。
『どーーーーでもいい! なに、なんのつもり?』
「なんのつもり? 何がですか?」
ユリはわしゃわしゃと髪を掻きむしる。
『ベラベラベラベラベラベラ! 五月蝿い!』
「そうですか? 私はもっとお喋りなんですよ。これでも口数少なめだなぁって、今ちょっと気張ってます!」
『気張るってなに、ウ◯コでもするの?』
「気合いを入れ直してるんですよ。緊張しいでもあるので……。トイレ行きたいんですか?」
『んなわけあるか!』
「我慢は良くないですよ! あ、コンビニ寄ります?」
唸り声を搾り上げてウ◯コ座りをするユリ。どうやら勝敗は決したようだ。
──……ここでは踏ん張るなよ。
『……殴っていい?』
──ダメダメ、そんなことしたら永遠に
キッと睨むユリ。
──
『……うっわ、ウザ。』
「なんの話ですか?」
──別に、君たち2人には、仲良くなってほしいなって、お願いしてたところだよ。
昨日家に帰って冷静考えたのだ。
弱みを握られ良いように扱われていたが、弱みを握ったのは私のほうだ。床にあんな穴を掘って、色々とタダで済むはずがない。
こんな方法はきっと歩み寄るには相応しくない。隔てた溝は、あの穴より深まる一方だ。
しかし胸を駆る焦燥は抑えきれない。どうにかアイだけでも彼女を絆すことは出来ないだろうかと、性格の悪い自分に言い訳をする。
するとアイは私の前で子を叱る親の如く、腰に手を当て仁王立ちをする。
「意地悪しましたね?」
──……そんなことないよ。
『された。』
──してない。
『された。』
「しましたね?」
──……してない。
母というよりは弟を叱る姉だ。
ふとしゃがみ込むユリを見下ろすと腹立たしいほどに嘲った笑みをしている。
馬鹿な奴め。僕が弟ならお前は末っ子だ。叱られているのが僕だけに見えたか。
「仲良くしてください! 貴女も!」
『ぃえ? わたっ、私!?』
「当然! 私たちは貴女の担当になったんです! 二人三脚ならぬ三人四脚! 皆で仲良くしないと!」
アイはしゃがみ込むユリの手をグイと引っ張り、両の手に私とユリの手を携え高々と掲げる。
「仲良く! ね!?」
大衆の場でこのような格好をさせられ、私は赤面していたが、ユリは違ったようだ。
いかにも不快だという顔で目を逸らす。
『……トイレ、コンビニ行く。』
「え? やっぱり我慢してたんですか?」
ユリは黙ったままアイの手を振り払い、スタスタと前をゆく。
小走りで追いかけ話しかけ続けるアイだが、後ろ目にはなんとも虚無であった。
私も頭を抱えながら後を追う。
──────
「これとかどうでしょう?」
アイは和菓子の詰め合わせを手に取り私に見せびらかす。
──うーん……、好き、なのかな?
「そんな気がしませんか?」
──もしかしてだけどさ、見た目で選んでる?
甚平を好んでいるからと、ならば和物が好きに違いないという安直。
「似合いそうだなーって……。」
──願望……?
コンビニに到着するなり、一目振り返ることもなくトイレに直行するユリ。
残された私たちはどうにか彼女の気を少しでも引けないかと、苦肉の策が、“物で釣る”作戦。
しかし彼女の好きそうなものは全くもってわからないし、そもそもコンビニ程度で揃えられる品も限られてくるので、ここは“女の子ならお菓子でイチコロ!”というアイの手に乗ることにしたのだった。
それも好みがわからない。こんなことならゴウシュウから詳しく聞いておくべきだった。
──ゴウシュウさんから聞いてない? 好みとか。
「しょっぱいものが好きって、それだけ……。」
──尚更和菓子はないんじゃない……?
「そう……ですよね……。」
しょんぼりされても、甚平を纏うユリに和菓子片手に茶を啜ってほしいというのはアイの願望だろう。アイは時々こういった奇行に走る。
「しょっぱいものって言っても、なんでしょうか? 案外、あそこまで整った食生活をしてるとジャンキーなものが欲しいんですかね?」
カップラーメンが整列している棚の前に移る。
食にこだわりの無い私にはわからない思考だ。適当に1番近くの品を手に取る。
「あ、それ美味しかったですよ。」
──よく食べるの?
「え!? いやぁ〜、時々です。」
お手本のように目を泳がせる。きっと日本海くらいなら縦断できるだろう。
──夜はお腹空くもんね。
「そ、そうですよ! 食べ盛りなんです!」
アイは取り乱した様子でベラベラと食生活を話したが、流石にフォロー出来ない量であったことはグッと喉の奥に飲み込む。
それよりはこの細身のどこにそれが収まっているのか甚だ疑問だ。
「ほ、ほら! これもオススメですから! 彼女にも……、あれ?」
──どうしたの?
アイはトイレをジッと見つめる。
「鍵、空いてる。」
誘われるように鍵を睨むが、この位置からでは到底見えない。胃袋だけでなく視力も超越しているのだろうか。
──ホントに?
「ドアノブの上の方、ほら、あそこ。鍵閉めると赤くなるじゃ無いですか?」
青いんですよ、と指さされるが、それでもここからではわからない。
アイはトイレに歩み寄るが、私は何やら嫌な予感に襲われる。
ノック、返事がない。昨日のことがフラッシュバックする。
ガチャリとドアの開く音。
「え!? い、いない……!」
アイの声を背に私は自動ドアを見る。
入店音。白髪の甚平が、店を出ていく。
──あ、やられた……!
「え?」
──逃げたんだよ! 追わなきゃ!
手に取っていた商品を棚に戻して走りだす。
ゆっくりと開く自動ドアにイライラしながらユリの行先を目で追う。
なんと機敏だろうか。
ユリはコンビニの端の方にある2mを超える柵を
「へぇえ!? なんて人間離れな……。」
君も似たようなものだ。
呆気に取られている場合ではない。
すぐに周りを見渡す。
柵の向こうは何やら木々が鬱蒼としている。植物園、いや、そこまで趣向が向いてるわけではない敷地だ。
建物の隙間に覗かせた緑地で、付近は民家ばかり。
彼の地へ行くのもどこから向かえば良いのかわからないし、付近の民家に身を潜められてしまえば手のつけようもない。
「と、とにかく! 後を追いましょう!」
──そ、そうだね。
「私はこっちから周ってみます。貴方は反対側から!」
アイはそう言うや否や、走り出してしまった。
しかし、それでは見つからないだろう。アテが無ければ、あの野生動物は捕まえられるはずがない。
まずは情報収集から。
コンビニに戻り、適当な飲み物を買うついでに恐る恐る店員に申し出る。
この裏には何があるのか。
『あそこですか? 図書館ですよ。』
──図書館……?
『市営の図書館です。ずっと昔からあるみたいで、わざわざ観光にいらっしゃる方もいるんですよ。』
昨日のユリとの会話を思い出す。
確か図書館がどうのと口にしていた。
意図して逃げ出すところを決めていたのかもしれない。
なんとなく、彼女はそこにいると信じて疑わなかった。
店員に礼を言い、早足で柵の元へ戻る。
木登りなら小さな頃にやった気もする。
1つ深呼吸をし、網状の柵に指をかける。
歳をとって重くなっていく体は、あの頃の感覚で動かそうとしてもどうにも上手くいかない。力む節々が痙攣していく。
次第によくないことをやっている気に呑まれていく。子供の頃は道端で何をしようが何も感じなかったのに。
どうにかよじ登りきり、スマートに着地をするが、着地の衝撃が嫌なところに響き、鋭い針で刺されたような痛みが体に残る。こまめに運動はしようと戒め、フラフラと敷地内を前に進む。
これが図書館か。
民家やコンビニの陰になって見えなかったが、侵入してすぐに大きな建物が聳え立っている。
終の家と同じレトロな洋風建築。こちらの方が一回り大きく独特な迫力を秘めていた。
ぐるりと建物の外周を周り、入り口を探す。
開け放たれた大きな入り口に辿り着く。
額の汗を拭い、緊張した足取りで中へ入っていく。
吹き抜けの2階建ては誰もが高揚を顕にするほどそれはそれは荘厳であった。
壁一面に敷き詰められた本棚は、差し詰めファンタジーの歴史ある書庫のように趣に長けている。
初めて見たこの威厳に、どこか懐かしさを仄めかす。
──来たこと……なかったよな……?
懐古的な香りに包まれつつも目的を果たさんと辺りを見渡す。
1階はしっかり改築されている様子で、机が並ぶ端にはパソコンも設置されている。古くも市民に愛されている良き建物なのだろう。
一際目を引く後ろ姿。場所さえ分かれば、
──……図書館に来てやることがフリーゲームか?
『……今集中してんの。』
──はぁ……。
机に読みかけの詩集を並べ、ソリティアに熱中するユリがいた。
詩集なんて渋いものを選ぶなと感心しつつ、やはり拭えぬ幼さにため息を溢す。
話しかけるなという排他的なオーラを背中からこれでもかと放出していたので、近くの席で待つことにする。
アイに、“見つけた。よじ登った塀の向こうの図書館。”とメッセージを入れ、隙間からパソコンの画面を覗き見る。
難易度は低めのようだ。片肘をつきながら、カチカチと手際良く進めていく。
ぼうっと眺めている。
……こんなことをしていて良いのだろうか。
正直、このゲームは暇つぶし程度と思うのだが、果たして彼女はそんなことをしている時間があるのだろうか。
それとも、その恣意こそが独善的な蛇足なのだろうか。
彼女の言葉が残響する。
“勝手に死なせろ”。
そうはいかないのだが、彼女の意を汲まない偽善にだけはしたくない。
献身が矛盾を併発させる。
やはり何をするにしても時間が足りない。
ディスプレイに花火が上がる。
どうやら、クリアしたみたいだ。
『……8月、28日。』
──え?
クリア画面を見つめ動かないユリが唐突に口を開く。
『この街の、花火大会の日。土地神様のなんかにかけて、毎年その日にやる。』
──そ、そういえば、あったね。僕は家から遠くて、ほとんど見にいったことないけど。
図書館ということも相まって、やたらと静けさに溺れる。耳を澄ませば、静かなジャズが僅かに聞こえる。
──それが……?
『……。』
無言。
含意を探る。
8月の末日。夏の終わりだ。
夏休みも終わりを迎え、学生達は気怠い本分に身を窶す。
……そういえば、アイの誕生日は。
8月の中旬、その前であったはずだ。
ならば。
──……毎年見てたの?
何も言わない。
──終の家からは直接見えないだろうね。ゴウシュウさんが、連れてってくれてたんだ。
28日と日付で行われているために、土日と被らない年は幾つもあっただろう。
外出日でなくとも、ゴウシュウはユリを花火に連れてくれていたのかもしれない。
そこには温かみに溢れた家族像が浮かぶ。
するとユリは画面上で踊るキャラクターをカチカチとクリックしだした。クリックの数だけ、キャラクターから花火が上がる。
『……誕生日プレゼント。欲しいものわかんなかったから、花火にしてた。』
──うん。
『今年は見れない。』
──……うん。
花火の日よりも先に20歳を迎える。
死期を知るとは、何も知らないことより酷く残酷だ。
ユリは半身を向け、卓上の詩集をパラパラとめくる。
『ゴウシュウは、それでも私を花火に連れてってくれるかな。』
歪な笑みは、亡骸を連れていけとは言っていない。
『愛するものが死んだ時には、 自殺しなけあなりません。
愛するものが死んだ時には、 それより他に、方法がない。』
春日狂想。
私も読んだことがある詩だ。
『詩の良さなんてわかんない。あんな狭い独房で、世界が美しいなんて思ったことはないから。』
──……どうだろう、僕もいまいち詩人にはなれない。
ユリの瞳がこちらへ向く。
私はその眼を見ることができず、詩集を哀しく睨みつける。
『ゴウシュウは、私のために死んでくれるかな。
あそこで何人死んだって、アイツは涙1つも見せなかった。
ゴウシュウは。私のために死んでくれるかな。』
詩集を見る。
ゴウシュウは、もっと大きなもの背負っているから。
だから涙を落とさないのだろう。
でも、私だったら。
悲しみに、泣き腫らして。
悲しみが、次第に涙を枯らして。
悲しみも、汚れつちまうだろう。
言葉の重みに、私の口は僅かにも開くことは出来なかった。
静かに、小走りでアイが私たちを見つけ近づく。
汚れつちまつた悲しみに。
なすところもなく日は暮れる。
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