前日譚 4話


変わった子だなと、そう思った。


──こ、こんにちは……?


『……。』


──えっと、なにしてるの?


『……。』


返事がないどころか、まるで私に気づいてさえいないように、足元をじっと見つめていた。

妙な警戒心が漂う。

彼女ユリの様子を後ろから伺っているだが、地味に離れている為、何をマジマジと見つめているのかここからは見えない。


着ているものは……甚平だろうか。これから暑くなる季節なのでそれを見越しての格好なのか、にしてもその綺麗な白髪はくはつとは些かアンバランスである。


チラリと振り返る。

中庭の方面、建物の陰からアイがこちらを覗いている。

あまりの居心地の悪さに両手を振りアイに救難信号を送ったが、アイはその意を汲めなかったようで、ガッツポーズで頑張れと言わんばかりに腕を振るう。



ゴウシュウに彼女ユリの担当を言い渡された直後、アイと2人で話し合った。

同時に話しかけにいっては警戒させてしまうのではないかと1人ずつ接触してみると決まったが、


「そういうことなら! まずは貴方からですね。」


──な、なんで!?


「うーん、なんとなく?」


直感というなんとも曖昧な理由だったが、アイは今までにない強気な姿勢を見せ、みすみすと押し切られてしまったのである。



そうしてまるで雛鳥のような辿々しさで接触を図ったのだが、語るべくもなくこの無様である。


アイを頼る事はできない、淡い期待が霧散していくのをため息し、吐いた緊張感を今一度胸いっぱいに吸い込む。


そして再び声をかけようとしたその時。


ユリがスタリと立ち上がった。


思わず身構える。

まるで特撮のヒーローが如く両手を構えてしまう。


『……。』


──ぅ……え……ん?


沈黙に慄き惨めな悲鳴が漏れ出る。


そのまま次の動向を伺っていた。


すると次の瞬間。


ユリは、


『ふんっ!』


と小さく力み、足下のをしきりに踏み潰しだした。


残虐性をぶつけるかのように、ひたすら踏み潰す。

私はそれを見ている事しかできなかった。


ゲシゲシと何度か踏んだところで満足したのか、ピタリと動きを止める。


汗が顔を伝うのが気持ち悪い。

沈黙が不快をより際立たせる。


ふと思う。

今こそ声をかけるチャンスなのでは?

しかし今だからこそなんて声をかけるべきなのかわからない。


変な子だ、それだけはわかる。


なんとなく、気を損ねてはいけないような、しかしそしたらどんな言葉を用いたら……。


錯綜する私に気にも留めず、彼女はゆっくりとこちらへ振り返る。



似ていた。



なんとなく。

感覚的なもので、アイと似ている気がした。


よく見ると目鼻立ち何をとっても違うのだが。

オーラというべきか、一眼見た“魅力”のようなものだろうか。

何か特別な雰囲気を感じ取った。


『……、誰?』


──……え? あ、えっと。新しく来た職員の、


『お腹空いた。ご飯ある?』


──あ、あの……台所に、たぶん君の分が。


『そ。食べよっと。』


ユリは駆け足で勝手口の方へ去ってしまった。

私が誰であろうと一切気にしていない。


謎の敗北感に塗れる。


視界の端でアイと目が合う。

状況を掴めていない様子で、とりあえず私に駆け寄ろうとするアイ。

私は小っ恥ずかしくなり、視線を逸らす。


なんと切り出そうか悩むアイに、それよりも私は彼女ユリが蹲っていたそこに意識が奪われた。


膝を伏せ、複雑な感情と共に目を細める。


「どうしたんですか?」


──……これは、かなりの問題児、かもね。


「……?」


時期外れな椿の花と、原型のないを運ぶ蟻の群れが、ぐちゃぐちゃに踏み潰されていた。



──────



『これがユリ。一番お姉さんだけど、全然そんなこともないよ。』


と、ゴウシュウ。なにが、なのだろうか。


『そんなことある。ありまくり、サイキョー。』


そんなことないかもしれない。


『おバカ。』


と、渋い顔のゴウシュウ。


『ウッセー! クソジジイ! 老獪! 木偶の坊!!』


『おまえか! チビどもにそんな言葉吹聴したのは!!』


『あっ、スゥーー……、ごちそーさーん。』


皿に残った昼食をかきこみ、軽やかに走り去るユリ。

通常の5倍程の瞬きをしながら、ゴウシュウとユリのやり取りを見ていたが、はてさて、どうしたものだろう。


『見ての通り、完全な問題児なんだよね……。やる事はやらないし、チビどもの教育に悪いしね。』


頭を抱え、ため息を吐くゴウシュウ。

ゴウシュウとしては、年不相応の悪ガキぶりに手を焼いているといった様子だったが、私はの方が気になっていた。


ユリが走り去った先を眺めていたアイがふと切り出す。


「あの、“一番お姉さん”って、今……。」


ゴウシュウはなんとも複雑な笑顔をする。


『19歳と10ヶ月。君の言う通り、残り時間が少なすぎるから、あまり無理言うことも出来なくってね。』


──あと……2ヶ月。


『うん、とっても珍しいことなんだ。だから私たちもどうするべきか悩んでいてね。』


口元がへの字に歪む。


──尚更、僕たちには荷が重いのでは……?


するとゴウシュウは深く座り直し、落ち着いた声で語り始めた。


『普通なら、そうだろうね。……押し付けたように、見えてしまったかな?』


──……不信を抱くなというのは、人間には無理な話じゃないでしょうか。


今にも亡くなってしまいそうな問題児と、ことごとく役に立たない口だけ達者な新人。あるいはどちらも上手いことできるチャンスかのように映りえる。

卑屈のようだが、問題児と称する以上、余計な詮索をしてしまう。


『そうだよね。じゃあ、ちゃんと説明させてほしい。……あの子は色々と特殊な子なんだ。』


──特殊……?


哀愁に満ちた瞳に、思わず唾を飲む。


『捨て子なんだ。5歳の頃、突如としてここに来た。クシャクシャになった春眠病の陽性診断書と、駅に置いてあるここまでの地図を握りしめて。』


「え……。」


『歩いてきたらしい。駅から10km近くあるここに、5歳の女の子が、たった1人で。』


ポケットには小銭とコンビニのレシート。数えるに、親に2000円だけ渡されて、捨てられたようだった。


『とても珍しいことなんだ。どんなに愛のない親でも、助成金目当てでグループホームに預けっきりっていうのがよくある話でさ。』


胸糞が悪い現実の話さえマシに思える妄想が膨らむ。


『私が養子縁組を組んで、ここで暮らしていけるようにした。実の我が子のように、一際愛情を持って接してきた。』


先ほどの2人を見て、本当の親子だと思っていたほどだ。


『でも、まるで何かを探し求めるかのように、あの子は満たされない。』


血縁、あるいは大したものではないように見えても、孤独に塗れれば支えに足り得るのかもしれない。

ゴウシュウとて、それを慮ればこそ空回ってしまう空虚を感じているのだろう。


『恥ずかしい話、お手上げなんだ。管理人なんて見栄えだけ大きくなって、でも一番近くにいる家族には、何もしてあげられないなんてね。』


──僕らに、何を見たんですか?


ゴウシュウはジッと私の目を見る。


『1つの、運命のように思った。春眠病をよく知るアイちゃんと、その彼女が連れてきた青年が。君の話は、よく聞いていたよ。』


どんな話か気になりアイを見ると、アイは顔を紅潮させ、目を逸らす。


──どんな、


「内緒です。」


──え?


「内緒です!」


吹き出すゴウシュウ。

まるで怒られているかのような語気に頭を掻く。


『君も焦りを感じてただろう? 役に立ってないんじゃないかって、邪魔になってないかって。』


──……は、はい。


『思ったとおりだよ。普通はね、そんな落ち込まないもんだよ。』


──そうですか? 仕事ができなければ自己嫌悪するのは、ありがちに思いますが。


『うちだとね、“まぁそのうち慣れるだろう”か、“もう来ません”のどちらかだからね。』


──人によると思いますが……。


『かもね。だから君は、』


ゴウシュウはキザったく、


『“変わった人”だ。』


私を指差しそう言った。


絶妙な居心地悪さに、話の趣旨がずれていることを催促し、本題に還る。


──僕に出来ることはなんでしょうか?


『わからない。ただ、私には出来なくて、君にしか出来ないこと、あるはずだと思う。』


悲観のようにも聞こえる。


しかし、匙を投げ捨てたわけではない。


『示してあげてほしい。私は。ただあの子に幸せになってほしいだけなんだ。』


願い。

親として、何よりも子の幸福を祈る愛情。

詮索するだけ野暮な、ごくごく単純なモノだった。


ゴウシュウは深く息を吐き、


『よろしく、お願いするよ。』


それだけ言うのだった。



──────



ユリが走り去った先を追い、彼女の行方を探す。


アイにも来てほしいところであったが、今日はどうにも都合が悪く、他の職員は来れていないようであった。

夕食の準備もこの人数ともなると大変なため、アイは通常業務に駆り出されたのである。



まずはユリの居室へ。


案の定返事が無い。

幾らノックをすれども気配すら感じないので、ゴウシュウから預かったマスターキーを使い扉を開ける。


蛻の殻である。


ユリがいないことは案の定というか、言も重ねず想定の内である。


しかし私は、彼女の部屋に、眉を顰める。


一言で言うと、子供部屋。


洋風な建物の中で珍しく畳張りの和室。

しかしそんなことは気にもならない。

床に散乱した積み木の数々、児童に人気のキャラクターの手のひらサイズの人形。その隙間を縫うように、電池で動く電車模型が延々と周回している。

天井からは飛行機模型や女児向けの人形が吊り下げられている。……時々奇怪なモノが見受けられるが、私とほとんど歳の変わらない少女の部屋だとは到底思えなかった。


気味悪ささえ感じる、怯んだ足元で唾を飲む。


『女の子の部屋を覗くのが趣味?』


背後から部屋の主に声をかけられ、いつもの3倍で声をあげる。


ユリは軽蔑した目で、手にはトンカチとを持って立っていた。


『変態性を抑えきれなくてここの職員になったの?』


──……そんなもの、どっからパクってきたんだい?


ユリはチラリと手元を見る。


『ゴウシュウの部屋。なんでもあるからアンタも行くといいよ。きっと辞表届もあるから。』


私を押し除け居室にスタスタと入っていく。


──いや、君に用があってきたんだ。返事がなかったから……例えば、寝てたりするのかなって。


『寝込みを襲いにきたの? サイテー。』


──……君、どこでそんな言葉覚えてくるの?


『図書館って知ってる? 本が読み放題なのに全部タダ、パソコンだっておいてあるし。』


減らず口の絶えない子だ。

職員数は少なれどゼロではない。その上で彼女に担当が付かなかったのはだろう。


ユリは横目で私をいなしながら、六畳間の奥、窓際の押し入れを引き、中に入っていく。


──え、な、何してるの?


『……入ってくるなら手伝って。手伝わないならケーサツ行って。』


──け……ケーサツは行きたくないなぁ。


『じゃあ、はい。労働者。』


顔を出したユリはガラの悪い蹲踞のまま、私の足元に先程の大工道具を転がす。

何をしているのかはわからないが、クイっと顎で示されたので、良いように使われろということだろう。


彼女のペースに飲まれきってしまっているが、ここで彼女に不信感を抱かせるわけにはいかない。

渋々と凶器紛いを拾い、手招きする彼女の元へ、踏み場の乏しい足場を踵を上げて進む。


『労働者。』


──ヒトシだ。覚えてね。


『パッとしない名前。』


──君だって大差無いだろ。


『めちゃんこ良い名前じゃん。クソみたいな親だけど、センスはある。』


ユリは屈託無く笑った。

その笑顔に、少しだけ気が緩んでしまったのかもしれない。


──親……、覚えてるの? その、捨てられたって。


『全然?』


まずいことを聞いてしまったという懸念をする間もなく答えるユリ。むしろ考えすぎだと嘲るように、


『ここにきた時のことはなんとなく覚えてる。でもその前のことは知らん。ずっと前だし。』


そう吐き捨てた。


──そ、そう。


『5歳の子供放っぽり出したヤバい奴くらいの認識。恨んだりするのも時間の無駄だよ。』


──強いね。


『くだらない話はいい。ほら、働け。』


ユリは押し入れの中を指差し、中に入るように言った。


及び腰で中に入り、唖然とする。


押し入れの床は無惨に破壊され、ひと一人入れるほどの大きな穴が空いていた。あたりに土塊が袋詰されており、穴は部屋と反対側へ掘り進められていた。


──なに……これ……?


『秘密の抜け穴!』


──えーっと……、まず、何から聞けばいいかな?


『ここってこの家の端っこじゃん? 押し入れの裏って何あるか知ってる?』


──えぇ……? いやぁ、なんだろう。


『崖。そして川。大した高さじゃないけど。』


──崖……? あぁ、用水路っぽいよね。でも柵があるだけで補装も無いし、崖と言えば崖なのかな?


ユリは悪い笑みを浮かべる。


『週一の外出って少なすぎない? 職員増えるまで我慢しろって、死んでからじゃ遅いっつーの。』


なんとも言い返しづらいことを言う。


『だから秘密の抜け道。ほら、ガタガタ抜かさず掘れ。』


流石に躊躇ってしまう。


──こんな……見つかったら怒られるよ?


『今更。』


納得の傍若無人ぶりだ。どうせもう死ぬからと当人にここまで振り切られてしまうと、何を言っても無駄だろう。


──君はそうかもしれないけど……僕には厳しいなぁ……。


『なに、じゃあ変態としてケーサツにつきだされたいの?』


職員だからと言えど利用者にプライバシーはある。なんとも痛いところを突いてくるさかしい子だ。


『ゴウシュウに入っていいって言われた? 関係ないよ、ここはだもん。』


──……まったく、返す言葉も思い浮かばないよ。


『じゃあ選びな。変態としてここから出ていくか、私の共謀者として、これの責任とって出ていくか。』


嫌な2択を迫られたものである。


私は溜め息混じりに靴下を脱いで裾を捲り、穴に降りる。


──方角はこっちでいいの?


『そ。水の音のする方。』


──聞こえないよ、そんなの。


『私も聞こえない。でも雰囲気は出るでしょ?』


頭痛までしてくるが、彼女の部屋を思い出すと納得する。


結局のところ流されてしまったが、ゴウシュウの親心が忘れられずにいた。

あんなにも想われていたにも関わらず、彼女は応える気など微塵もない。

例え事情はあれども、ここまで非情なことも珍しい。少しはドラマティックに親子で歩み寄ってもいいのではないか。


拷問のような肉体労働にストレスが溜まったのか、ユリをどうにか諭してやろうと気が向いてきた。


──ユリさ。いつもこんな調子、


『呼び捨て、馴れ馴れしい。』


──……いいだろ、職員なんだし。それに担当に任命されたんだよ。


『アンタが?』


ユリは大きな瞳を更に大きく見開く。


『いつからここに来たの?』


──……今日からだけど。


『それなのに担当?』


ユリは吐き捨てるように笑った。


『ご愁傷様。私が死んで傷心のまま辞めろってことだよ。』


流石に苛立ちを隠せなくなる。ゴウシュウのことは彼女よりちっとも詳しくないが、私は確かにあの瞬間、“父親としてのゴウシュウ”に触れた。あるいは傲慢な愛情かたおもいかもしれないが、それでもここまで無碍にされるのは気分が悪い。


──……僕も最初はそう思ったよ。でも。ちゃんと話してくれた。ゴウシュウさんは、君を愛してる。


『……。』


──君の、“父親”として、心の底から幸せを祈ってる。それなのに、そんな言い方はないんじゃないかな。


ユリは目を細めて静かに私の話を聞いていた。


幾許かの沈黙。


ユリはゆっくりと口を開いた。


『で?』


──……は?


『それで。何が言いたいの?』


──何がって……それは……。


ユリはついていた肘を正し、まっすぐ上から語る。


『ゴウシュウが愛してるだなんて知ってる。幸せになってほしいだなんて、あの人と過ごしてれば馬鹿でもわかる。』


──それなら、


『だからなに。真面目に生きろって? それはなんで?』


──君が……。


口を噤む。


『もう死ぬから? 私の寿命がもう残り少ないから、ちゃんと生きなきゃいけないの?』


ユリは狭いこの穴の隙間に飛び降り、私から道具を奪い取る。


『愛されたら、愛し返さなきゃいけないの? もう死ぬから、格好良い死に方しなきゃいけないの?』


──それは……違うけども。


『アンタは、誰かに感謝しながら生きてるの? 親にいつもありがとうって言ってるの?』


──……。


『それなのに、私には強要するんだ。私が、春眠病にかかっているから?』


ユリはため息を吐き、


『ずるいよね。生き方を強要するのって。勝手に死なせろって話。』


私の目を見ずに言い放った。



彼女が正しいとは思えなかった。



しかし、正すための言葉は、持ち得なかった。




    『迷惑。』







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