前日譚 3話
『改めて、私は鵜飼。
ゴウシュウから差し出された名刺を見る。
青少年指定難病特別支援グループホーム“終の家”統括主任、鵜飼剛秀。
ここの管理人であった、ゴウシュウ。
私とアイは金曜から土日にかけて、週末のみのアルバイトとして即採用となった。
そして今日がその初出勤。
高校生時代に近所の本屋でアルバイトをしていた経験はあるが、長らく忘れていた当時の緊張感をジワジワと思い出す。
『さぁ、じゃあ早速入ってもらいたいけど……、ちょうど人手不足も良いとこでね。』
アイと同じバスに乗り、平日の朝一から出勤すると、ゴウシュウはすでに子供達に囲まれながら長机を揃えていた。
慣れた手つきで子供達をポイポイと軽く捌く。
渡された名刺を両手に、呆気に取られる。
『学校に通えないと言って学業は疎かにしない。平日は朝からみんなでお勉強だ。』
「て、手伝います!」
アイはパタパタと走りだし、ゴウシュウの周りの机に椅子を沿える。私もとりあえずアイに倣ったが、戸惑いのまま右往左往してしまう。
『この子達捕まえてもらって良いかな? 朝からフルパワーで、おじさんにゃしんどいよ。』
ゴウシュウの背や足元にワラワラと子供達。
私とて子供の世話なんてしたことはない。
屁っ放り腰で子供達に手を伸ばす。
『デクノボー!』
しかし、子供とはかくもすばしっこいものか。
私の前をするりするりと通り抜ける。
挙句の果てに四角からの不意打ち、脛を蹴っ飛ばされ蹲る。
焦りと苛立ちが沸々と湧き上がる。
『クラァ! そんな言葉どこで覚えたー!?』
ゴウシュウの一喝、空気をも揺るがすのではという爆破音に私すらも身を縮める。
子供達は慣れた様子で悲鳴を鳴らしながらアイの陰に逃げ着く。
「さ、さぁ。これ以上怒られる前に席に座ろうね〜。」
『はぁーい。』
アイは堅い笑みのままに子供達を先導しきるのであった。
役立たずという罵倒さえ褒め言葉になってしまうほどの為体。
しかしゴウシュウはそんな失態を気にも留めず、先程とは打って変わったニコニコ笑顔で、
『中学範囲、わかる? 私はちょっと苦手でさ。』
と構わず仕事を任せてくれたのであった。
凹む隙もなく、使い古された教科書を手渡される。
私は片足を引き摺りながら中学部の子ども達の前の席に腰掛ける。
──────
小学部の子達は、ゴウシュウがまるで青空教室の如く和気藹々と纏めて面倒を見ていた。
残された中学部の子達を私とアイの2人に任された。
特につきっきりというわけでもなく、それぞれが今日行う勉強を事前に把握しているようで、質問があれば職員が答えるといった方式である。
沈黙が暗雲を呼び戻す。
教員免許なんて持っていない自分らがこんなことをしてもいいのだろうか。
その方針に一切口出しをしないであろう国のお偉い方に苛立ちが気持ちの隙間に顔を見せる。
しかし、そんな偽善は捨てるためにここに来たのだ。また悪い癖が出てしまっている。
今は目の前の子達に向き合うべきだろう。
ただでさえ、アイより一歩ならず百歩近く遅れを見せてしまったのだ。
心中で今一度気合いを入れ直す。
中学部には賢い子が多かった。
私たちは時々質問に答える程度で、何やら空回りした気分の中、失態を晒すことも避けられたことに幾許の安堵が漂う。
『どうしたの?』
私の目の前に座るテルヒコという少年が、ふと私に尋ねる。
私が落ち着きがなく周りを見渡していたのが気になったらしい。
──ゴウシュウさんから12人いるって聞いていたけど……。
ゴウシュウの元に小さい子たちが6人、私とアイの前に3人とここには9人しかいなかった。
『高校生になると自分の部屋で勉強するんだ。』
──自分の部屋で?
『うん。なんか、ニンテイ? とかいうの取るためにしっかり勉強するんだって。』
──ニンテイ……認定?
『ゴウシュウが言ってた。』
認定、高校生が取ると言うことは高卒認定のことだろうか。
何のために?
高校生ともなると15から18くらいだろう。
嫌な言い方だが、その歳にもなれば残りの時間も少ない。
検定をとる意味がないどころか、残りの時間を無駄にしていないかと思ってしまう。
少ない猶予、縛り付けることなく彼らの好きにさせるのが、優しさなのではないだろうか。
お昼前の休憩時間、ゴウシュウに尋ねる。
『そうだね、意味があったことは、残念ながら一度もない。』
──じゃあどうして?
『“希望”を失くさないためだ。』
──希望……?
『歳を重ねれば嫌でも気付いてしまう、“残りの時間”。君は、彼らの立場になって考えてみたことはあるかい?』
──それは……ありません。
傲慢な良心をぐっと黙らせ、含意を待つ。
『息苦しいモノだよ。中には、全部無駄だって自暴自棄になってしまう子もいる。まぁ、当然だよね。』
言われるまでもない。
だからこそ、好きにさせてあげるのが、人の善ではないのだろうか。
そんな当然のこと、そう返さんと口を開こうとしたその時だった。
『自ら命を絶ってしまう子もいる。それも、遠い昔の話じゃないよ。』
──え……。
開いた口が導を失い戸惑いの音が漏れ出る。
『結局、どう足掻いても不安が拭えるわけじゃないんだ。今が楽しくても、先が見えない恐怖っていうのはいつだって忍び寄る。』
知ったつもりで考えていた。
あと数年で死にますと言われたら。
未熟な心でそれを迫られたら。
無知に奥歯を噛み締める。
『ここを息苦しい墓穴に変えたくないんだ。誰もが巣立っていく、そして、いつでも帰ってこれる家にしたい。』
例え叶わぬ願いだとしても。
未来の希望を捨てないために、出来ることをする。
希望があれば、明日が愛おしくなる。
いつでも社会に出れるように高卒認定を取得させ、ここが終わりの場ではないと思うこと。
将来を空想し、夢を持つこと。
それが今日を生きる力になる。
ゴウシュウは両の手を絡み合わせ、祈りを捧げるかの如くゆっくりと語る。
『あなたとわたし。
還りて憩う、
──それは……?
ゴウシュウはニッコリと笑い、
『おまじないだよ。』
と、多くは語らなかった。
──────
あれほど賑やかだった子供達だったが、昼食時は驚くほどにお行儀が良く、ゴウシュウの躾の良さを垣間見る。
私も何やら落ち着かず、普段より背筋が伸びる。
視線だけで周りの様子を伺う。
騒がしくはあるものの、食べ物を粗末にする子はおらず、食べ方や箸の持ち方一つとっても素晴らしい。
カッコ悪い事はできないと今一度戒めを唱える。
ここに来てからというもの、己の不甲斐無さがこの心身に余すことなく殴打する。
次第に無力を嘆くネガティブも枯れてしまい、今は不注意な言動を起こさないことに手一杯である。
昼食後、子供達を庭で走り回らせている間に、最年長組が食事の片付けを手伝ってくれるそうだ。
どうやら、16歳を越すと職員の仕事を一部手伝うよう義務付けられているらしい。
これもまた自立を目的としており、ホームを出た後に一人暮らしができるようにと、未来というものを利用者に強くイメージさせるものである。
ゴウシュウから端的に説明をされ、私たちはすっかり静かになったリビング空間を一望する。
──さぁ、始めようか?
『うっす!』
『……はい。』
17歳のキョウスケと16歳のカナエ。
ゴウシュウは年の頃も近い私たちだからこそ出来る話があるだろうと、2人の見守りを私たちに頼んだのであった。
キョウスケはこのホームの利用者みんなの兄貴分といった少年で、私もすぐに打ち解けることができた。
対してカナエは内気な少女だったが、彼女もアイの包容力を本能で察したのか、まるで姉妹かのような距離感である。
『カナエって、結構人見知りで。こんなの初めてっすよ。』
──すごいよね、かなわないや。
この順応力、やはりアイの優秀さには嫉妬する
散々な失態に、自己評価はすでに光を仰ぐ術もないほどに落ちぶれていたので、卑屈になる隙もなかった。
キョウスケに応じたように、あの光景を微笑ましく見届けることができた。
『カナエは、実は俺より長くここにいるんすよ。』
──え?
『俺は10歳くらいの頃に陽性だって言われて、ここに来たっす。でも、ゴウシュウに聞いた話だとカナエは3歳の頃に来たようで。』
キョウスケの言葉に耳を傾けると、手が止まってるっすよ、と笑顔で注意される。
慌てて卓上を磨きながら、続きを催促する。
『知らないんすよ、外の世界を。……そりゃあ、ここから一切出れねーってわけじゃないっすけど。なんつーんだろ? 社会? 俺と違ってガッコーとか行けてねーから。』
──そっ……か。
『飢えている、って言うんですかね? 俺がこんなん言うのも変な話なんですけど、やるせないっすよね……。』
例えこの終の家がどれだけ居心地の良い所だとしても、窓の外に映る、自分と同い年の“ただの女の子”に憧れを隠すことはできない。
──やっぱり、気になる?
『どうなんすかね? 俺は不満なんてないんで!』
キョウスケの人の良さについ苦笑いが出てしまう。彼も私の本意を悟ったのか、バツの悪そうな笑みを返す。
『週末とか、俺らの年齢になると外出許可が出てて。好きにフラつくことはできるんすけど、やっぱり感じるものはありますよ。なんか、ちげーなーって。』
──違う、か。
『それが不満であるうちは、ただの我儘で済むんすけどね。』
キョウスケはそこで口を閉ざした。
ゴウシュウの言葉を思い出す。
私も黙って手を動かす。
キョウスケも静まり返ってしまい、バツの悪さにアイとカナエを見る。
私の視線に気づいたアイは笑顔を返してくれたが、カナエは辿々しく視線を逸らす。
『そんなもんっす。慣れっすよ、慣れ。』
キョウスケが笑って私の背を小突く。
‘‘慣れ’’。
苦笑いの裏に、歪な憂いが纏わりついた。
──────
キョウスケとカナエは片付けの後に、ゴウシュウの元へ混じり、子供達の相手を始めた。
私たちもすかさず向かったが、『2人の仕事だから』と、ゴウシュウは私たちを引き連れ、休憩の時間を設けた。
思いの外気力を使い果たしていたようだ。
窓の外の
──す、すいません。お手間を……。
『いいのいいの。紅茶を入れるのが趣味なんだ。私にやらせて。』
ゴウシュウは向かいのソファーにドシンと腰をかける。
紅茶を一口啜ると、彼はそのままゆっくりと口を開く。
『どうだい、半日動いてみて。』
「想像以上に大変でした。」
アイは頬をかきながら照れ笑いする。
張れる見栄もないので、私は静かに俯く。
ゴウシュウはニッコリと笑い、
『続けていけそう?』
と問う。
──僕が聞きたいくらいです。邪魔になっていませんか?
『ぜんっぜん。次第に慣れてくるから大丈夫だよ。』
「ははは、早く慣れたいです。」
2人の朗らかな空気に憂いが嘔吐を醸す。
──慣れる……慣れるんですか?
『あぁ、慣れるよ。』
──そんな時間はあるんですか?
アイが首を傾げる。彼女は私の意を理解していないようだったが、ゴウシュウは違った。
しかし、ゴウシュウは眉一つ動かさず。
『あってほしい、よね。半分は神頼み。』
この1ヶ月、私は英雄的思想を捨てることを第一に振る舞っていた。
だが、信仰とは根深いもので、あるいは生き方そのものを意味とする呪いである。
──それでいいんですか。
“慣れる”という言葉が異様に気味が悪かった。
私が彼らに何をできるかなんて、私にはわからない。
それどころか、献身力においてはゴウシュウに遠く及ばないだろう。
しかし、そんな受動的な態度でいてしまっては、何も成せないのではないだろうか。
彼らの時間を奪うだけ奪って、明日だどうのとテイのいい言葉だけ残っていないだろうか。
私の何を悟ってか、ゴウシュウは窓の外へ視線を外す。
『私はね。私は彼らの家族だから。これは、家族ごっこじゃあない。だから、それしかできない。』
──……時間を憂うのは偽善ですか?
『そうは思わない。君が信じる形がそうであるなら、それが正しいと思う。』
「あ、あの!」
あまりにも2人だけで話しすぎたか、アイが割って入る。
「どういう意味ですか? 何を、感じたんですか?」
自身の気持ちを整理するためにも、一度深呼吸をし、アイに説明をする。
──慣れるって、どれだけの時間が要する?
「どう……でしょうか。私はまっすぐ向き合いたいので、生半可な時間ではできません。」
──どうして彼らに“僕らの時間”を押し付けられるんだ。
「それは……。」
──春眠病は刹那的で。なのに僕らは悠長で。矛盾もいいとこだよ。
「……。」
──人のこと言えないのはわかってる。……でも、自分の不甲斐無さを言い訳になんかできないはずだろ……!
私はゴウシュウには遠く及ばない。口先だけの偽善者だ。
これはただの卑屈なのだ。
だが、信仰心とは、黙ることを知らない。
──言葉に力がないのは百も承知です。どうにもならないのだって……噛み締めた。でも。
慣れろというのは。
──キョウスケが使う同じ言葉が、僕には悲鳴のようにも聞こえた。
なんとも独善的である。
──あまりにも酷な言葉じゃないですか?
人間とは奇しくも矛盾した生き物である。
善行を謳うと、善意と偽善の違いがわからなくなってしまう。
ゴウシュウは正しい。
彼とここに住まう利用者たちの信頼関係を見ていれば疑う余地もない。
しかし、道理では間違っていると言わざるを得ない部分もある。
全てを肯定しきれなくって、それでいて肯定できない部分が、私の信仰を騒ぎ立てる。
私は、正しさを見失っていたのだった。
ゴウシュウは怪訝な顔をすることなく、私に向き合う。
『春眠病は。』
紅茶を転がすゴウシュウ。
『答えがない。それは、わかるね?』
──……はい。
『君は、必死になってそれに答えを見出そうとしている。珍しいことではないよ。意志が強い人ほど、陥るジレンマだ。』
そのとおりだと思いたい。
固唾を飲む。
『みんなそうやって戦って、そうして自分なりの答えに行き着く。アイちゃんは、そうだっただろう?』
「わ、私……ですか?」
アイを見る。
縋るような目をしていたのかもしれない。
戸惑う彼女だったが、私の顔を見るなり優しく微笑む。
「答えと呼ぶには、酷く幼稚です。きっと大事なものはまだ見えてなくって、後悔ばかり。弟のことしか私にはなかった。」
『まだ、悔やむかい?』
「今でも夢にみます。……昔はずっと泣いていた。」
──……今は?
アイは笑って、
「頑張ってって。そう言ってくれてます。」
そう言った。
静かな居間に、子どもたちの笑い声が残響する。
矛盾への追求は思考が飽和する。
彼女の答えは彼女のためのものだ。
私の答えは、やはりゴウシュウの言う通り自分で導き出さなければならない。
『全員の顔は覚えたかい?』
唐突な問いに言葉が淀む。
──……? おそらく……、あ。
『へぇ、人の顔覚えるの得意?』
──えと、結構。
『すごいね、才能だよ。』
戸惑いと恥じらいで言葉が濁る。
「あの! ここって今利用されているのは12人ですよね……?」
待ってましたと言わんばかりに食い気味なアイ。
そうだよ、とゴウシュウ。すぐにハッとしたようで、
「まだ1人、見てません!」
『そうだねぇ、ユリかぁ。確かに見てないよね。』
「ユリ……さん? ですか?」
『うん、一番上の子で、これがまた自分勝手な子でね〜。』
一番上の子。
確かに、手伝いをしてくれた年長組はキョウスケとカナエの2人だけで、あと1人いるはずだった。
ゴウシュウは何か思いついたようで、前のめりで私に向き直る。
『ここの子達には個担と言って、一人一人に担当職員が付くんだ。』
と言っても、ほとんどは私が担当なんだけどねと苦笑いする。
『個別担当、生活の目標や何か思う所アクシデントがあると、その担当に話がいくってこと。今の職員数では機能してなかったけど、やっぱり一人ひとりに向き合うには大事な制度なんだよね。』
終の家発足当初は利用者一人ひとりに職員がつき、日中の活動も活発だったようだ。
皆、志が強く、そして情に深すぎたためにやめていってしまった。
『君たちも、担当を持たないか?』
「え!?」
アイの驚嘆に攫われ、声にならずに驚く。
「私たちが……? まだ初日なのに?」
『うん、まぁ、確かに簡単な話じゃないんだけど……。必要なことなんだと思う。』
「必要……?」
『うん。君たちにとっても、そして、“あの子”にとっても。』
──どういうことですか?
ゴウシュウは答えない。
彼は立ち上がり、中庭の外れが見える窓辺に歩む。
いたいた、と私たちを手招きし、勝手口近くの木陰を示す。
『あの子が“ユリ”。君たち2人に面倒を見てもらいたい子だ。』
蹲っている女の子。
アイと出会った時と同じ胸騒ぎがする。
『君たちの。君なりの、答えというものを標してほしい。』
ゴウシュウはそう締め括った。
──……答え。
目を細め少女を注視する。
白い、白い、綺麗な髪が目を惹いた。
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