前日譚 2話

「春眠病……後天性特別睡眠障害は従来の区分とは隔絶された特別な障害です。治療法はありませんが性質は明らか、また発症者も非発症者との運動能力や認識能力に一切の差がありません。そのため、介護施設にて一般支援員として従事する分には資格は入りません。」


アイの説明に大袈裟なほどの反応をしてしまう。


──資格……いらないの? なら、君は何のために?


「グループホームでアルバイトするなら、ということです。そこは他の介護職と違いありません。」


──知らなかった。ということは、老介護や障害者支援も同じってこと?


「そうですよ。他の専門職同様、資格を有していると、色々便利なんですよ。」


アイは資格書の表紙をなぞりながら、私は生涯この職から離れるつもりがないので、と締めくくった。


彼女と出会ったあの日から1ヶ月ほど経った。


学業を成す傍ら、空いた時間はアイと過ごした。彼女に春眠病の予備知識を漏れなく教わるためだ。

病症知識は頼りない医学書から賢徳は得ているが、その実態というのは全て初耳である。

その甲斐あってか、私にもどうにかやっていけそうな自信がつき始めた。


まだアイのように長い目で見ているわけではないが、先程のように諭され、資格の勉強も始めた。

性格か、知識を蓄えると安心する。重くのしかかる不甲斐無さが、少しだけ紛れるのを感じる。


もっとも、退けたはずの自己嫌悪も見学初日である今朝には胃痛とともに大暴れしているのだが。



大学から少し離れた小さな町。

ホームタウンというのが適した町で、不相応な大きな駅がシンボルだ。

私も時々使っている駅だ。

歴史のある建物のようで、車庫を内含してるための規模感である。

未だに木製の建築も残っているようだが、手入れの関係上、取り壊されるのではと噂もある。歴史的建造物だと反対運動もあるようで、“施設破壊反対”の幟が、町の活気を示していた。


「私の母も参加しているみたいで。この反対運動。」


私が件の幟を呆けた顔で眺めていたら、アイが照れ臭そうに口を開いた。


──お母さんが? 何か思い入れでもあるのかな。


「わかりません。詳しく話してくれたことはありませんが、とっても大事な場所みたいで。」


促されるように駅を見上げる。

建物に思い入れというものがいまいち理解できない。青春の思い出とか、そのようなものでも運動に励むまでは執着が沸ききらないのではないだろうか。

きっとアイの母親は歴史家なのだろうと勝手に落とし込み道路の先に目を細める。


ここからバスで15分程度行った辺りが目的地なようで、バスを待つ暇つぶしになるのは、巨大な駅くらいだった。


「緊張してますか?」


──昨日の夜はぐっすり眠れたのにね。驚くほど早くに目が覚めた。あまり気分は良くないね。


「私もです。ドキドキしすぎて目が覚めてから、はしっこの方で正座してました。それで落ち着くわけではないんですけれども。」


彼女は心細く笑った。


目的の“終の家”には弟に会うために幾度となく赴いたと言っていたが、いざ立場が変わっていくと足も重くなるようだ。

私も気合い充分と昨夜に荷物を纏めたが、はて、何を詰めたか、鉛の塊でも背負ってるかのようにのしかかり、歩みを鈍らせる。


ひと月前の大層なご高弁が今では恥ずかしくなる。

アイとはだいぶ気を許した仲になれ、時折その話で揶揄われることもあったが、話題に出してこないあたり同じ気持ちなのだろう。


「行き慣れた場所なんですけどね。とっても遠く感じます。」


──わかる。ここに来るまで丸一晩過ごしたみたい。


「言い過ぎですよ。それに目的地はまだ先です。」


──そうか、じゃああと三日はかかるかな。


「かかり過ぎですね。途中でシャワーくらいは浴びたいかも。」


まったくだ、と鼻で笑ったその時、エンジンの音が近付く。二人揃ってギョッとして音の主を追う。

時間ピッタリにバスが駅前ターミナルに到着する。

車体は私たちの目の前に止まり、発着音と共にドアを開く。


アイは気持ちがいいくらいに指先まで綺麗に直立していたが、大きな深呼吸の後に、まるで戦地に赴く侍大将が如き闊歩で乗り込む。

私も促されるように気張るが、ハリボテの覇気はすぐにボロを出し、乗車口の僅かな段差で躓き危うく転げ落ちる所であった。

車掌から身を案ずる声をかけられるが、私は笑顔を取り繕い、返事を返す。


──“終の家前”まで、お願いします。



──────



バスに揺られている間は一切の会話をしなかった。身を丸めて席に踞り、前の座席の背をじっと見つめていた。



今更になって自問する。

私は往来コミュニケーションが苦手だ。理由はわからないが、根幹の部分で人を拒絶するように不信である。トラウマに当たる記憶は無いが、本能で人を嫌う節がある。


その癖人の役にはたちたいと願う。

誰かを救えるような立派な人になりたいと、宿命のように脳から振り払えない。


そんな私だからこそ、医学の道へ進み、新薬開発に携わることでこの呪いに応えようと思っていたのだ。


そこで“終の家”の職務だが。



『職員には特別な技能は要求しません。利用者が不便なく日常生活を送っていく支援をしていくのが、仕事です。』


朗らかな笑顔をした初老の男性から説明を受ける。


──支援……例えば、どのような?


『話し相手になったり、一緒にレクリエーションしたり。ほんとに難しく考えなくって大丈夫。専門のことをするのは、資格持ってる支援員がやるから。……あ、料理とかできる?』


「でき……できます!」


『よかった、料理人はいるけど、人手が足りないからね。支援員も手伝えると助かるんだよ。』


“終の家”の職務。そう、主に利用者たる春眠病患者達とのコミュニケーションである。このひと月の間、そこに一切の不安を抱かなかったのか甚だ疑問だ。



パンフレットでみたレトロな長屋に着くと、管理者を名乗る男性が手厚く迎え入れてくれた。

ゴウシュウと呼ばれた彼はアイと面識があり、私たちの来訪をそれはそれは喜んでいた。

施設を案内されながら、概要を説明される。

アイから10人程度が利用されていると以前聞いたことがあるが、広いリビングには伽藍堂としており、生活感だけが残されていた。


『みんな好奇心旺盛なんだけど、ちょっと警戒心が強くてね。物陰からこっちの様子を伺ってるよ。』


ゴウシュウは声を顰めて言った。すると、何やら意地が悪そうな笑顔で『ちょっと見てて』と忍び足でクローゼットに近付く。

私たちは状況を飲めないままポカンとその様子を見ていた。

ゴウシュウはクローゼットに手をかけると大きく息を吸う。


『見〜つけた〜!』


『きゃーー! 逃げろーー!!』


勢いよく開かれたクローゼットにはなんと小さな子供達が隠れていた。

どうやってか、さほど大きくもないとこに全部で3人も居たようで、蜘蛛の子を散らすようにあちこちへ去っていく。

ワッハッハと豪快に笑うゴウシュウ。


『元気な子達でしょう? あの子達も利用者です。皆、10歳にもなっていません。』


呆然と見ていた私たちだが、ゴウシュウは構わず続ける。


『年齢はバラバラです。あの子達が末っ子で、一番上は19歳。今は全部で12人居ます。』


──幅広いんですね。考えれば、それはそうなんですけど。


『えぇ、ウチは珍しく一切の制限を設けて無いので。本来は歳に応じてホームを跨いでいくんですけど。』


よく考えれば、当たり前のことばかりが、知らないだけで無いものとなりゆく。

無知故に傲慢。

いつか夢に見た英雄とは、なんとも形式的な正義だと、一秒一秒が常識を上塗りしていく。


『仕事は難しくありません。利用者も落ち着いた子ばかり、ヤンチャなのもアレくらいの小さな子達ぐらいで。特支(特別支援)なのでお給料も良いですよ。』


「あ、あはは……。お給料はともかく、お仕事に関しては弟の時に見ていましたので。自信があるわけではないですけど、頑張りたいです。」


アイのガチガチな声明にゴウシュウはニッコリ笑顔で返した。

私はというと、少しばかり疑問が浮かんでしまった。


──すいません、一つ……ちょっと話が逸れるかもしれませんが、お聞きしたくて。


『はいはい、なんですか。』


──仕事は簡単でお給料も良くて……ごめんなさい、現金な言い方で。それで、ゴウシュウさん、人手が足りないってさっき仰ってましたよね? どうしてなんですか?


ゴウシュウは私の問いに静かに表情を律する。優しそうな人柄からその荘厳さに気圧けおされる。


『そうだね。ここからは、ウチで働いてもらう前に必ず聞くことなんだ。』


真面目な空気感に唾を飲む。

ゴウシュウは私たちをリビングのテーブルに案内し、座るように促す。私たちはなされるがまま、早足で席に着く。


『ご存知の通り、我らが“終の家”は春眠病患者のグループホームだ。彼らは一見健常者との違いは見えないが、大きな、それはそれは大きな患いがある。……わかるね?』


「……20歳までに、必ず亡くなる。」


『そうだ。私たちの仕事は、彼らの日常の支援、そして。その最期を看とることだ。その重さ、きっと計り知れないと思う。』


君には過言だね、ごめん、とアイに語る。

アイは無言で首を振る。その目は、言葉では言い表せぬ覚悟を宿していた。

ゴウシュウは私に向き直り、ゆっくりと口を開く。


『10年ほどで、今いる子達は皆死ぬ。飽くまでの話だ。君は。人の死に向き合う覚悟はあるか?』


異常なほどの重圧に潰れてしまいそうになる。


死に向き合う。


死に直面する。


ここの仕事はそういうことだ。

学校の卒業で別れ、そんなものじゃ無い。

人が、死んでいなくなるのだ。


突き放すゴウシュウの言葉は、あるいは優しさに見えた。

私は深く息を吸い込み、返す言葉の中で私の答えを導き出す。


──覚悟は……ありません。経験がないことを覚悟と胸を張ることはできません。日常支援も、もしかしたら不便をかけさせるかも。僕は上手くはできないと思います。


「え、えっと……。」


アイは困惑した顔で私を見る。

私は、ジッとゴウシュウの瞳を見つめていた。彼の問いに対する私の答えは、嘘や建前など持ちえなかった。


『……じゃあ、帰るかい? 責めることはない。当たり前の気持ちだろうね。』


──僕には、向いてないでしょうか?


『いぃや、私も最初はまっさらだった。そんな大層な覚悟もなくここに来て、利用者が亡くなったときは、とっっても落ち込んだ。』


──そういうものでしょうか。


『うん。慣れはしないけど、強くはなっていく。』



沈黙が流れる。


どこかで、子供達のコソコソとした話し声が聞こえる。



──力足らずは承知です。僕なんかでよろしければ、お願いしたいです……!



私が顔をあげると、ゴウシュウは先ほどの笑顔で私を見つめていた。


『こちらこそ、わからないことは全力でサポートしますので。よろしくお願いします。』


隣でアイがため息をこぼす。安心したのか、栓を解いた風船のように背が丸まる。



そうして、私はまずアルバイトという形で、“終の家”の職員として働くことになった。


決して楽な仕事ではない。体より先に、心がもたなくなる。



それでも、後悔はなかった。



英雄になれなかった男の戦いが、始まった。








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