旅人Ⅱ

 谷近くの国境ゲート、そこから5キロ離れた平原。

 リンゴの果樹園、小さな範囲で複数の品種が育っている。

 廃村となった場所でウグイス色のテントがひとつだけ。

 土を踏む靴音が暗闇から聞こえてきた。

 

『おい!』


 外から聞こえてきた、男の声は焦りと怒りを含めた呼びかけ。

 コニー・アーベルは歪めた。

 薄っすらできた隈と目を擦り起きる。

 楕円形の金属板を握り締め、シングルアクションの軍用自動拳銃の安全装置を外す。


「なんでしょうか」


 電池式のランタンを点けて外へ出た。

 一瞬視界に映る全てを確認したコニーだが、狼の姿がない。

 鍔付きの帽子をかぶった男性が2人、腰には鋭く尖ったナイフを吊るしている。


「夜に悪いな、ちょいと帝都に行くまでの食料が足りなくて、少し分けてくれ」


 人に頼む態度とは思えない、とコニーは目を逸らしたが、すぐに頷いた。

 箱からリンゴとブロック食料をいくつか取りだす。

 男は露骨に不服な顔で睨んだ。


「こんだけか? もっとあるだろ!」

「すみません、僕ひとりなので食料もそこまでなくて、あと1時間かけて街道を外れず歩いていけば町が見えてきます。そこで」


 話の途中で、男はナイフを抜いた。

 切っ先をコニーに寄せ、べったりと濡れた赤がランタンに照らされる。


「ごちゃごちゃうるせぇ! 軍人ならもっと物資があるだろ! 武器も寄越せ、お前の持ってる拳銃も!!」

「いや、それは、できない」


 興奮気味の男の肩に、もうひとり、仲間が手を置く。


「待て、軍人、最近ここを女が通らなかったか?」


 過る高価なペンダントの存在に、コニーは否定を込めて振る。


「いいや、残念ながら誰も見ていない。ここは滅多に人が通らないんだ」

「嘘をつくなぁ!」

「落ち着け、軍人相手じゃ分が悪い」


 意見が分かれる態度の2人に、コニーは額に汗を浮かべる。

 切っ先はコニーに向けられたまま。


「落ち着けだと? 時間がないってのに、あの女が帝都に行ったらどうなるか、う、ぉ!?」


 振り向いた先に、怯んだ。

 青い瞳に、大きな口、鋭く尖った牙。

 体長140センチほどの狼が空中を舞う。

 全体重を前脚に預け、冷静な男を踏み倒す。

 不意なことに骨が鳴る。

 ランタンを落とし、男の手首を捻らせて、背中へ回す。


「あいでででで!!」


 銃口を後頭部に押し付け、撃鉄を起こした。


「ぐ……ぁ、骨が……やられた」


 苦しい呼吸の上、狼はふさふさの尻尾を高くさせた。


『甘いね、おじさんたち』


 無邪気な声に、男は目を見開く。


「いないから逃げたのかと思ったよ」

『まさか、楽園なのに』

「それで、お前達は何者だ? どこの国から来た? 国境はちゃんと越えたのか?」

「フランデレン……圧制者から国を解放する為にやってきた」

『マッケナ総帥を支持する国で暴動してる人?』

「解放だ! マッケナのせいでフランデレンの平和が脅かされている!! アイツを支持する奴は全員殺してやる!!」


 コニーは訝し気に男を睨む。


「マッケナ軍がフランデレンを制圧したなんて聞いたことがない。支持しただけでどうして暴動を?」

「まるで分かっていないな……軍人……マッケナは、フランデレンに拠点を作っていた。政府は暗黙していた」

『ふーん、どうするの狩人さん』


 コニーは渋々と頷く。


「国境の部隊に引き渡す。ここから帝都に歩いて行くのはあまりにも無謀だ。狼に食われたくなきゃ、大人しくしろ」

「クソが!」

「……分かった……ここは大人しく引こう。抵抗もしない」

『そう? じゃあどいてあげる』


 狼はコニーの足元へ移動した。

 痛みに堪えながら体を起こした男は、興奮気味の男を引っ張り、国境ゲートへと戻って行く。


「一体なんだったんだ?」

『なんだろうね。それよりもさコニー、始末しなくてよかったのかい?』

「銃の扱いには不慣れでね、人を殺める度胸もないよ」

『ふぅん、こりゃ激化しそうだ。早めに逃げる準備はした方がいいね』


 不穏に淀んだ風が、コニーの輪郭をすり抜けていく――。

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