旅人Ⅰ

 落ち着きのある風で、草はゆらり、と波を描く。

 青い目をした狼は軍用のサイドバッグを腰に巻いて、トコトコ歩いていた。

 廃村でリンゴの木以外何も残っていない国境沿い。

 真ん中にウグイス色のテントと補給物資。

 折り畳み式のイスに座ってリンゴをカットしているコニー・アーベルを映す。

 黒縁メガネの奥には目の隈、平均成人男性よりも痩せている。

 腰のホルスターにシングルアクションの軍用自動拳銃。

 ふさふさの尻尾を垂らして近づいていく。


『リンゴちょーだい』

「君はまったく、リンゴとなるとすぐやってくるね」


 呆れつつカットしたリンゴ一切れを狼の大きな口へ放り込んだ。

 シャク、シャク、と太い牙を剥き出しに果汁も逃さないよう飲み込んでいく。


『んまいっ! 瑞々しいし、少しの酸味と甘さがちょうどいいね』

「お気に召してもらって何より」


 狼はふと、尖った耳をピクリ、と動かす。

 街道に鼻先を向ける。

 谷近くの国境ゲートを越えて、急ぎ足で街道を歩く人影が見えた。


『誰か来たよ狩人さん』


 コニーは立ち上がり、街道に顔を向ける。

 革製のリュックを背負い、古びたコートに毛皮の帽子を深くかぶっている。

 何者かが、街道から逸れて廃村に入ってきた。

 拳銃に手を添え、いつでも抜けるように警戒。


「あの、すみません」


 コニーが予想していたよりも細い声。


「待て。名前とどこの国出身か答えろ」

『うーん、ニオイ的に女の人だね。帽子を外して顔を見せてほしいな』


 コニーは小さく、シィーッと狼にジェスチャー。


「怪しいのは無理もないでしょう、分かりました……」


 帽子を外すと暗めの短い茶髪に、鋭い眼差しに尖った輪郭が現れた。

 薄い緑の瞳は憂いに満ちている。


「私は隣国のフランデレンからやってきた旅人です。お願いです深い詮索をしないでもらえますか? 武器も、何も持っていません。食料すら残り2、3日ほどしかありません。どうか、何も聞かず、恵んで頂けませんか?」


 古びたコートの内側から微かに覗ける高価な襟シャツ。


「うーん……」

『恵んであげたら? 火薬のニオイも、血の臭いもしない。世は情けだよ、もしくは等価交換』

「それは、結局どっちなんだ……」


 女性は喋る狼に驚いている。


『安心して、ボクは人を食べたりしないよ。リンゴがあれば全て良し!』

「そう、ですか。噂には聞いてましたが、やはり狼がたくさんいるのですね……」


 コニーは言葉を信じ、補給物資からいくつか食料を取りだす。


「リンゴと、いくつか栄養ブロック菓子がある……あとは水、渡せるのはこれだけだ」

「ありがとうございます! 充分過ぎますから、訳も話せない私に、本当にありがとうございます」


 微笑んだ女性は、リュックに食料を詰める。

 ポケットから代わりに、とキラキラ輝く銀のペンダントを取りだした。


「これをどうぞ、売ればかなりの値打ちがありますから、有事の際はお使いください」


 汚れひとつもない美しく磨かれたペンダントには猛獣と猛禽類が描かれている。

 国旗を羽ばたかせ『フランデレン』と刻印もされている。

 受け取ったコニーは、刻印に驚く。


「等価交換とはいえない代物だよ、こんな物、受け取れない」

「いえ、もう、私には必要ないものですから……どうぞ、あぁ急がないと」


 女性は深く帽子をかぶったあと、焦る表情で街道に沿って歩き出す。


『ずいぶんと急いでるみたいだね』


 小さくなっていく背中を見送ったあと、狼は不思議そうにペンダントを見上げる。


「メリナ様が仰るように、何か起きてるのかもね。国境はちゃんと越えてきただろうけど……不安だ。このペンダント……」


 雑に積まれた本や物ばかりのテントに、ペンダントをそっと置いた……――。

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