取引

 コニーは微睡みから抜け出した。

 手首に巻いた楕円形の認識票を無意識に握り締めた。

 眉間に皺を寄せ、瞼を強く閉ざす。


「あー……居眠り、し過ぎたかも……あぁー」


 寝起きの喉で唸り、黒縁フレームのメガネをかけ直す。

 上体を起こし、コニーに向かって傾く本を押し返した。

 反対に雪崩を起こし、テントの布が少し外側へ出っ張ってしまう。

 手元に置いたシングルアクションの軍用自動拳銃をホルスターに収めた。

 認識票を首に提げ、テントの隙間に指先を引っかける。

 いつも通りの日常を拝むように覗いた。


『こんにちは!』


 コニーは固まる。

 悲鳴も驚きの声も上げられない、ただ一瞬だけ体が跳ねてしまう。

 目を擦ってみても、前の景色は変わらない。

 尖ったふさふさの耳と海のように透き通った青い瞳、突き出た大きな口と鼻、足元は白く胴体にいくにつれ灰色が混じる体毛。

 軍用のサイドバッグを巻いている狼がいた。


「……はい?」


 遅れてようやく声を絞り出すことに成功。

 コニーは小さく首を振って、現実に戸惑う。


『挨拶は基本だよ狩人さん』

「しゃべっ、えっ? まさか、えぇっ?!」


 口が忙しく喜びと戸惑いを繰り返す。


『なに? そんなにボクが珍しい?』


 コニーはテントから飛び出して、狼の前に正座。

 何度も頷いた。

 

「噂には聞いていたけど実物を見たのは初めてだ! 本当に喋ってる、どうやって、どうして?」


 関心を示すコニーの態度に、喉を低く鳴らす。


『どうもこうもボクは喋るよ』

「いやいや有り得ない、人食い狼の調査は何度かしているけど喋る狼なんて今日、生まれて、初めて会った!」

『たまたまじゃないかなぁ、一生に会える相手なんて限られてるもん』

「う、なんて哲学的なことを言うんだ。ま、まぁまぁここにリンゴがあるから、よかったらたべ」


 テントの傍にあるミニテーブルを見たが、何もない。


「あれっ!? リンゴがっ」

『リンゴならもう食べちゃったよ。甘くて食べやすくて、とっても美味しかったよ、ありがとう!』


 無垢な声で嬉しそうに話す。


「そ、そう? じゃなくて! いや、これはチャンスか?」


 呟きに狼は傾げる。

 こほん、と咳払いしたコニーは立ち上がり腰に手を当て見下す。


「僕はコニー・アー」

『知ってるよ、コニー・アーベル、狩人さんでしょ。金属の板に書いてあったもん』

「そ、そう、なら話が早い。僕はリンゴの木を管理している狩人なんだ。今君は、ミニテーブルに置いてあったリンゴを食べた、と言ったね?」


 圧がかかる言い方。

 狼は前脚を軽く上げたあと、後ろにぺたんと伏せてしまう。

 青い瞳を不安に揺らす。


『う、うん。食べちゃった……ごめんなさい』


 素直に謝る。


「うぐ、いやいや、君はその、リンゴを前にすると見境なく食べるぐらい大好物なんだね」

『うん、大好き! 甘いのも、ちょっと酸味があるのも、食感も!』

「うんうん、ここは辺鄙で国境沿いに近い廃村。だけど、リンゴの小さな果樹園が残ってる。つまり、しばらくリンゴ食べ放題」


 狼は目を輝かせた。


「特に行く宛がないなら、少しの間君の生態を調査させてほしい。代わりにリンゴを毎日食べさせてあげる。どうかな?」

『いいよ!』


 大きな口から涎を垂らして、あっさり提案を受け入れた――。


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