regalia

小崎 菜々星

第1話「real」


すっかり荒廃しきった街に、その姿の目撃情報はあった。時代に取り残された刀を二本腰に携え、長い暗い漆黒の髪を風に揺らす、悪魔のような瞳を持った


暗殺者




「おはよ、智くん」


そんな不穏な情報を気にも留めない、マイペースを常に保っている男は今日も苦手な朝を迎え、大きな欠伸を大口で零していた。

タンクトップにジーンズというファッションに疎い格好のまま、お洒落どころか清潔感もあまり気にしてないのだろう。その普段着兼寝巻きと化した服だ。筋肉の付いた良い体格で、しかし眠そうに目を細められた怠惰に堕ちるまで堕ちた表情はどこか童顔で幼く見えた。


「おはよう、さくちゃん。朝ごはん今日ね、リアが作ったんだよ」


智と呼ばれた男は眺めていたパソコンを机の端に除け、掛けていた眼鏡を今一度掛け直した。落ち着いた茶髪で、少し背丈が低めで朗らかな印象があるが、前者の男よりはよっぽど秩序に忠実で真面目そうに見えた。

彼は加賀美 智。この家の家主であり、この事務所の取締役であった。


智は真っ赤なカーディガンを羽織り直す、そんな姿を見兼ね、男は暖房を静かにいれた。


「智くん、我慢しないでよ。僕は寒いの暑いの平気だから、暖房つけて。

で、噂のリアは?」


「サクラ!」


眠そうに目をかいたとき、一人の少女が男の胸へ飛び込んだ。深いブロンドの髪に丸い可愛らしい瞳を男へ向ける、まだあどけなさを残す少女である。身寄りのなかった少女を智が引き取り、この事務所の雑務をこなしながら生活をしている。名前はリア・ハロー。多民族の血を感じさせながら、リアは綺麗な顔立ちをしていた。

リアは男の手を引き、無理やりリビングダイニングの机へと座らせた。問答無用でリアが常々称すモーニングカフェオレを出される。


「おはよ!リアが朝ご飯を作りました。智くんはね残さず食べてくれて、美味しいって言ってくれました!食べてくれますか?」


「うん、いいよお」


寝ボケ半分、ふにゃっとした情けのないしまらない顔ながら笑みを浮かべて見せる。リアはそんな笑みに満面の笑みを浮かべる。


「あっためます!待っててもらえますか?」


「待ってる」


「はいっ!」


リアは対面式のキッチンへ駆け込み、フライパンを手に冷蔵庫を漁り始めた。


「さくちゃん」


夢中になるリアに聞こえない声量で、智は男を呼んだ。


「今日は、二件ね。一件目はリアの友達だからリアに案内してもらって。それからは、連絡するから、"お天気に気を付けてね"」


「…分かった」


それは、リアの知らない暗号だった。


「終わった!」


「ほんとー?じゃ、お手製の、朝ご飯を頂きます」


「頂いてください」


リアは男のカラになったマグカップを手にし、おかわりのカフェオレを注いだ。


「今日、お仕事が"一個"あるみたいだから、ね、リア分かるよね」


「うん!楸ちゃんの家だから、智と話してました。リアわたしが案内します」


「ありがとうね」


男が微笑む。リアはそんな笑顔を生き甲斐にしているように満面の笑みを浮かべた。


朝食をかきこむように口にし、男は静かにごちそうさま、と額に優しく握った拳を掲げた。智は幼い頃から男と共にいたし、男から数少なく信頼されている存在だと自覚がある。が、しかし、その行為の意味を聞かされたことはなかった。訊ねも、答えてもらった試しはなかった。

なんてことない、僕の、おまじないです。智くんは真似しないでね。と。


「もうすぐ冬が来るね。リア、あったかくしないと風邪引きますよー」


智は眼鏡の奥の丸い目を柔らかく細め、リアに薄手のコートを着せた。智のカーディガンと同じ、真っ赤なコートだった。アーガイル柄のストールを首に巻き、リアは笑みを浮かべながら、嬉しそうにストールを両手で握った。


「サクちゃん、寒くないの?風邪は引きませんか?」


リアが見上げ、心配するのも当然だろう。男はタンクトップにジャケットを羽織っただけの格好で、素足のまま革靴を履いていた。


「サクちゃんは、寒くないのです。さ、リア、サクちゃんを案内してくれますか?」


リアの髪をわしゃわしゃと大きな手で撫でると、リアはまた嬉しそうに目を細める。


「案内します!」



男の職業は何でも屋、と称した便利屋だった。智が管理し、請け負い、男がこなす。そういったものだ。もちろん一人でできないようなものは智が手伝い二人でこなす。しかし、当人にやってのけないことというのは殆ど無かった。

引越し等の重労働もスタミナ体力切れを知らず、一人で三人家族の荷物を運び出した。タンスを一人で持ち上げたときにはその家の旦那すらも驚いていた。家庭教師といった勉学も苦とせず、わかりやすく教えていた。どこで習ったのか、幼馴染の智をも知らない教養を、子供どころか大人にすら教えている。

なんでもやります、雑務なら任せてください。そうではなかった。男には、"なんでもできます"という言い方が相応しかった。


「ああ、劔先さん。リアちゃんも、ありがとうね」


「楸ちゃんはいますか?」


「ああ、よかったら遊んでやってくれないか?」


「はい!」


リアが男を連れたのは大きな一軒家だった。その家から出て来た家主であろう男は、白髪を交えた髪だったが、まだまだ健康そうな老人だった。どうやら楸というリアの友達は老人の孫のようだ。

リアは明るくハッキリとした返事をし、広い庭の奥へと駆けていった。


「こんなことにすまないね。隣のお宅の庭先があまりに綺麗なモンで、手入れは誰にやってもらったか聞いたら加賀美くんとこのきみだっていうもんだから」


「私なんか滅相もありませんよ。多趣味が生かせるようで、この私も嬉しく思いますだけで」


この日の仕事は園芸だった。大きく茂るクスノキの長く伸びた枝を切る作業に、生垣を整える作業に、庭の球根の植え替えだった。案の定、男はジャケットを脱ぎタンクトップ一枚になりながら、ジーンズの裾を折り返し、七部丈にし、季節外れの格好で作業を始めた。


「庭師かなにか、やってたのかな?」


「いえ?」


「どこか、そんな学校を出たの?」


「いーえ?」


男は綺麗な瞳の色をしていたが、これといって特徴的であったり、目立つようなものはなかった。体付きは良いが、秀でて目立つ背丈もなければ暗い髪色。黙っていれば平凡そうな男だ。そのため、博学多才な面を覗かせる度に、周囲は男に訊ねその興味を強く持つ。


「クスノキちゃん、また頃合い見て切りに来ます。生垣は、暫く平気でしょう。お花、有る程度揃えて置いたので、種を蒔くにはなんもありませんけども、球根植物を植えます際にはまた間隔に留意さえしてくだされば長らくは平気、ですと、思います。今の季節は水はそんな要らなくって、またたいへんな春先初夏に伺います」


三時間ほど経過したであろうか、そんな時間で男は一通りの作業を終えた。請求書をてきとうに書き殴り、老人に読める程度の大きな字で、その紙を手渡す。


「ネット通貨で構いませんので。じゃ、私は行きます。リアちゃんに、楸さんと遊んで、気を付けて帰っておいでくださいって伝達頼んでも宜しいでしょうか」


「ほんとに助かりました」


老人は笑みを浮かべ、頷き請求書を受け取った。

大手のチェーン店や業者に頼んだ方が大人数で安心し、安いのであろうが、五年ほど続けて軌道に乗ってきた智の便利屋は今いるこの地域には絶対のよう、安心して利用できるものとして親しんできたようだ。そのため、設立当初よりも客数は多い。客単価も落ち着いてきたようで、当時よりすこーし、安いくらいだ。


「では、わ」


男はジャケットを手に取り、タンクトップ一枚の寒そうな格好で足早にその場を後にした。そうして、携帯端末を小さくそっと、耳にあてがう。


「智くん、出たよ」


『さっき送っといたから、見といて。さくちゃんなら平気だよ。気負いしないでね』


「キオイ、ねえ…?」


その意味も分からず、通話を切った。智が送ったというもの、メールにはファイルだけが添付されていた。そのファイルに簡単に目を通すと、男はすぐさまそのファイルを削除した。


「…今日は、雨かなあ」



夏が過ぎ、秋である。雨が降り始めると夜は冷えてくる。いつしかそんな気候に変わってきており、小雨が降り始めていた。俺は雨男だなあ、と男はつくづく思い、暗い髪を濡らしていた。肌寒くなる中でも、男は薄着でいる。しかし、先ほどとは違う一枚、大きすぎる真っ赤なストールを巻いていた。そのストールの隙間から、刹那不穏な刃が見えるまで…、何も感じ取れるものはなかった。秀でるもののない、平凡な男。


その一心、ただその刃に、不穏と一言で片付けられやしない。大きな黒い影。


「今日は良い天気だ」


雨の中、真っ赤な瞳が笑った。瞳だけが、笑っていた。


目標を捉え、目標が路地裏への道を曲がった瞬間、男は二階から迷わず飛び降りる。着地する前、空中で日本刀を引き抜き、そのまま目標の喉へめがけ真っ直ぐに突き刺す。その仕事は数秒で終わり、着地した頃には終わっていた。

喉から刃を引き抜くと、鈍色の血が吹き出した。抵抗もなく、顔色を変えず、返り血を浴び、死体が転がった頃、天を仰いだ。

顔から、衣服靴先まで赤く染まる。赤いストールの真紅をさらに赤が染めていた。


「まだ息はあるのか?」


死体と化した、既に息はない。それに気付かず抉れた喉を裂き開くよう覗く。


「は、呆気ねえ。俺は飛んだだけだ。くっふふ、面白くねえ。呆気ねえな」


「そ、そこ!なにを…」


警察官だろうか、傘を差した男が薄暗くなった街と共に明かりで男を共に照らした。眩しさに目を細めることもなく、ただ立ち尽くす。赤く鮮血で染まった自身と、真っ赤な目を見せつけるように。

その赤を確認するなり、警察官は一瞬でその場から立ち去った。自分の死から逃れるために。


じきに応援がくるであろう。大勢の人間が俺を探しに来る。それを男は知っていた。

誰もが俺のことをこう呼ぶ。赤い悪魔、赤い暗殺者だって。


「どうせ、俺は負けない」


絶対の自信と強さがある。


「…帰ろう、そこに、誰もいなくても、君はいる。僕を待っててくれる。僕を一人にしない…」


仕事の終わり、真っ赤なストールを脱ぎ、冷えた雨を避けながら、おぼつかない足取りは漆黒の街に消えた。


それは終焉を定める暗殺者の物語。

全てを否定し、全ての変革を願う、赤い眼の、世界が生み出した、最期の剣士の物語。

その暗殺者、剣士の、名前は


劔先 サクラ。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

regalia 小崎 菜々星 @7784_n

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る