第19話 約束

「矢車さん!? 生きてたんですか!?」


「馬鹿野郎。勝手に殺すんじゃねぇ。まぁ、死にかけたのは事実だがな。ほら、突っ立ってないで入りな。心配しなくても本物だよ」


「合い言葉は?」


「そんなのあったか?」


 もちろん、俺たちと矢車さんの間で合い言葉なんて決めていない。


 瑞紀の引っかけに乗らずに即答したってことは本物か。


 互いに顔を見合わせ、安全だとはんだんして徐に敷居を跨ぐ。


「よく無事でしたね。僕が式神を通して見た時は車が横転していましたが」


「この様を無事ってんなら、そうだな。俺も魔術師の端くれだ、体が頑丈だったのさ。お陰で逆様になった車から這い出して来られた。横転させられた時は流石に死んだと思ったけどな」


「私たちもそう思ってましたよ」


「だろうな。幽霊か俺に化けた魔術師かって顔してたぜ」


 気分良く饒舌に矢車さんは語って缶ビールを煽る。


 飲んで良いのか? 大怪我してるのに。


 というか、いま仕事中なんだけど。


 まぁ俺たちと違って矢車さんの役目は送迎だからいいのか。


 いや、ダメだろ。飲酒運転になる。


 何考えてるんだ? この人。


 矢車さんも全部わかった上で飲んでるんだろうけど。


 考えなしじゃないよな?


「お、品揃えいいじゃん」


 備え付けの冷蔵庫を空けると数日分の食糧と飲料が揃えられていた。


 有事の際に備えてのことだ、ありがたくいただこう。


「八百人、飲み物なにがいい? なんでもあるぜ」


「じゃあ僕はお茶を」


「私、林檎ジュース!」


「お茶と林檎ね。綴木は?」


 頼まれたものを二人に投げ渡す。


「では私は水を」


「水? バナナジュースとかあるけど」


「いえ、水で大丈夫です」


「そう? じゃあ、俺はバナナジュースにしよーっと」


 ばたんと冷蔵庫を閉めて綴木に水のペットボトルを渡す。


「ありがとうございま――」


 綴木が受け取った瞬間、中身が一瞬にして凍て付いてしまった。


「あらま」


「あわわわわわ」


「あちゃー。まぁ、当然よね。さっき能力が発現したばかりなんだし」


「なんだ? 雪女の血が目覚めたのか」


「えぇ、さっきも一面が銀世界に」


「そりゃいい。鍛えて制御できるようになれば夏は怖くねぇな」


「それには時間が掛かってしまいそうですが……」


 冷気を発する両手を眺めてため息を吐く。


 それも白く色付いて掻き消えて行った。


「ところで、お酒なんて飲んでいいの? 矢車さん。まだ仕事中でしょ?」


 それ。


 俺も気になってた。


「ん? あぁ、そう言えば言ってなかったな。悪い悪い。ついさっき、お前たちがここにくる前に大和黒冠魔術師から連絡があったんだ。常磐をぶっ潰したってな」


「え」


「えぇ!?」


「ホントですか!? 」


「あぁ、ホント」


「あぁ、ホント。じゃないですよ! なんでそんな大事なこと最初に言わないんですか!」


「だから悪いって謝っただろ? 忘れてたんだよ、仕事上がりの酒が美味くてよぉ!」


 すでに相当酔っ払っているようだった。


 でも、そうか。


 だからあんなに酒を。


 それにしたって飲み過ぎだと思うけど。


「まぁ、なにはともあれ脅威は去ったってわけだ。やったね」


「壊滅したとはいえ、残党が気になる。まだ油断はできないが危機は脱したと見ていいだろう」


「よかったわね」


「はい、ほっとしました……」


 安堵の深い息を吐いて、張り詰めていた綴木の表情が緩む。


 八百人の言う通り常磐の残党が気になるが、いま大きな動きを見せる可能性は低い。


 事を起こすにしても一度体勢を立て直してからが妥当な線。


 一応、朝まで警戒は解かないが、それ以降は安全と見ていいはずだ。


「これで護衛任務も終了だね。一日で終わらせるなんて、流石は大和黒冠魔術師だ」


「仕事が速いわよねぇ。私、もうちょっとマネージャー続けてもよかったけど。芸能関係者って感じがして楽しかったし」


「イヅナと同じこと言ってる」


「うそ! やだ! イヅナと思考回路同じなんて最悪!」


「どういう意味だコラ」


「どうもこうもそのままの意味よ。わかんない?」


「よーし、そこに直れ! ビリビリ喰らわせてやる!」


「やってやろうじゃん。返り討ちにしてやる!」


「二人とも止さないか。これじゃ学生時代に逆戻りだ」


「はっはー、いいぞ。どっちが勝つか賭けようぜ!」


「矢車さんも。もうお酒は控えてください。はぁ……」


 脅威が過ぎて緊張の糸も緩んでしまった。


 ちょっと気を引き締めるか。


「あ、そうだ。綴木」


「はい。なんでしょう?」


「次の休みっていつ?」


「お休みですか? えっと」


 綴木の視線が瑞紀に向かう。


 それを受けてスケジュール帳が開かれた。


「予定に変更がなければ三日後よ。なに? デートにでも誘おうっての?」


「んー、まぁそうかもな」


「はぁ!?」


「えぇ!?」


 凍ったペットボトルが床に跳ねて転がる。


「そ、そんなっ、ま、まだ出会って間もないですし、それにっ」


「そうよ、何考えてるわけ!? この女たらし!」


「いや、二人が思ってるようなデートじゃなくてだな」


「じゃあ何だって言うのよ」


「ほら、約束しただろ? 綴木」


「約束? ……あぁ! 約束!」


「そう、その約束!」


「なーんだ、そのことか」


 誤解が解けたようでほっと息をつく。


「綴木の母さんに会いに行こう」

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