第7話 廃病院

 物陰から出て更に廃病院の奥へ。


 ここまでくると瘴気の濃度がより濃くなり、怪異にとって心地よい場所となる。


 いわば怪異の住処。


 慎重に足を進めて通路を歩き、開けっ放しの病室に差し掛かった、その瞬間。


 毛深い何かの怪異が飛び出してきた。


「おっと」


 軽く躱して壁に張り付いたその何かの怪異を確認する。


「へぇ、狒々ひひか」


 猿をより凶悪に、無骨にしたような姿をした怪異。


 生物の猿とは比較にならないほど力が強く、その証明に狒々は壁に爪を突き刺して握り締めるように張り付いている。


 腕なんか掴まれたら一溜まりもなくへし折られてしまう。


 まぁ、そんなドジしないけど。


「ニンゲン……マジュツシ」


「へぇ、俺のこと知ってんの?」


「クウ!」


 壁を蹴って急加速。


 瞬く間に距離が詰まる。


 その伸ばされた爪がこの肌を引っ掻く前に、狒々に手銃を突きつける。


「これは知らなかったみたいだな」


 紫電の弾丸に撃ち抜かれて感電し、狒々は壁に叩き付けられる。


「ほかにもいるんだろ? 出て来いよ」


 通路に連なる病室からわらわらと現れる。


 けれど、どの個体も八百人の式神を返り討ちに出来るような怪異じゃない。


「ボスはどこだ? まぁ、手下を片っ端から片付ければそのうち出てくるか」


 牙を剥き出しにして威嚇する狒々。


 こちらは稲妻を纏い、廊下を駆けた。


 すれ違い様、一撃で狒々たちを仕留めて駆け抜ける。


 壁を蹴って角を曲がり、まだまだ湧いて出てくる狒々を祓う。


 次々と存在が霧散していく中、廊下の暗がりから鈍色に光る何かを見る。


 それが飛来するメスだと気付いた瞬間、稲妻による磁場で絡め取って空中で停止した。


「賢いな。道具を使えるなんて」


 更に飛来するメスを磁場が受け止めて、こちらには届かない。


「そうでもないか」


 錆び付いたメスを落とし、投げつけた個体の姿を確認する。


 通常の狒々よりも二回りほど大きく、また全身の毛が白い。


「シルバーバック。お前がボスだな」


 怪異は時を重ねるほど強力だ。


 年老いた全身白髪の個体は特にそう。


「八百人の式神を返り討ちにしたのもお前だろ?」


 返事をするかのように雄叫びを上げ、白狒々は壁を殴りつける。


 生じたクレーターから瓦礫を引っぺがし、力任せに投げつけた。


「へぇ、学習してる。流石は爺だ、老獪ろうかいなことするねぇ」


 軽く躱して前進。


 すると白狒々は更に引っぺがした瓦礫を粉々に砕く。


 振るわれるのは壁を乱反射する礫の散弾。


「ヒュー!」


 こちらも病室の引き戸を引っぺがして盾にする。


 散弾の直撃をこれで防ぎ、ボコボコに歪んだ扉を今度は廊下と水平になるよう配置。


「今度はこっちの番!」


 磁力を用いて一気に吹き飛ばし、扉の弾丸が馳せる。


 白狒々は血相を欠いて大きく仰け反り、なんとかそれを躱して見せた。


 その隙に乗じて上を取り、稲妻を伴った踵落としを見舞う。


「おっと、避けられた」


 長年生きているだけはあって戦闘に慣れている。


 踵が触れる瞬間、無理矢理廊下を蹴って白狒々は後退。


 こちらの攻撃は廊下を穿って終わる。


 その後、視線を持ち上げると白狒々はこちらに背を向けて逃げていた。


「追いかけっこ? いいぜ、得意分野だ」


 強靱な脚力で廊下を駆ける白狒々の後を紫電を引いて追い掛ける。


 汚れた花瓶、紙束、靴、服、ベッド、台車、ソファー、等々。


 前方から無茶苦茶に投げられるそれをすべて躱して徐々に距離を詰めていく。


「イヅナ。いま平気か?」


 肩に小鳥の式神が止まる。


「あぁ。追いかけっこしてるとこ。どうした?」


「自称霊能力者の奥民さん。さっきまで架空の悪霊について設定を延々と語ってたんだけどさ」


「うん」


「いま取り憑かれたーって大騒ぎしながら必死に戦ってる」


「ぷはっ! なんだ、それ! おい、笑わせるなよ。戦闘中だぞ!」


 身に迫る鋏を躱し、反転して攻めに移った白狒々の殴打を片手で受け止める。


「それで? 俺になにして欲しいんだ?」


「大きな音、出してくれる? それでびっくりすれば寸劇も終わるでしょ」


「デカい音か。わかった」


 太い指を掴んで白狒々が拳を引くのを許さず、この手の内に稲妻を束ねる。


「いま鳴らす」


 放出。


 稲妻が一条の光となって放たれ、轟音と共に白狒々を貫いた。


 焼けて灰になり、風穴が空いた白狒々は自らの存在を保てなくなり霧散する。


「届いたー?」


「あぁ、ばっちり。ちょうどよく叫び声みたいに鳴り響いたよ」


「そりゃよかった。自称霊能力者はどうなった?」


「一旦、撮影中止だ。いま腰抜かしてる」


「そりゃいい。じゃ、俺もそっちに合流するわ。ボスを叩いたから下っ端は逃げただろ」


「あぁ、待ってる。園咲さんにお礼を言うんだよ。かなりフォローしてくれた」


「マジ? わかった」


 事前に見取り図を見ていたので迷うことなく八百人たちに合流できた。


 あとは折りを見て入れ替わり、何食わぬ顔をして収録に参加する。


「も、もう嫌よ! 私、帰るわ!」


「お、奥民さん。そう言われましてもまだ収録が」


「関係ないわよそんなの! 今の聞いたでしょう!? ここにはとんでもない悪霊がいるのよ! 私耐えられない! 帰らせて!」


 そう喚き散らした奥民さんは一緒に来ていた弟子の人に抱えられながらロケバスに戻っていった。


「えぇー、どうしたら。まだ尺が足りないのに……」


「じゃあ、ここにいる人たちだけでやります?」


「……お願いできますか?」


「もちろん。みなさんはどうです?」


「まぁ、尺が足りないんじゃあねぇ」


「すみません。それじゃあお願いします!」


 頭を下げたスタッフさんがカメラの調整や段取りの確認に向かう。


「ありがとな、フォローしてもらっちゃって。助かった」


「ううん。このくらい平気だよ、大変でもなかったし。それより戻って来たってことは」


「うん、ばっちり」


「よかったぁ」


 園先が安堵の息を吐いたところで収録は再開する。


 規定のイベントをこなし、少々オーバー気味なリアクションを取り、途中でいなくなった奥民さんのことについて少しだけ触れ、収録は無事に終了。


 なんとか尺を稼ぐことができた。


「紫雲さん。今回はありがとうございました。紫雲さんの一言で助かりました」


「そうですか? いやー、言ってみるもんですねー」


「またどこかの現場であったらよろしくお願いします!」


 深々と頭を下げたスタッフさんは慌ただしく自分の作業に戻っていった。


「この廃病院、また瘴気が吹き溜まるのも時間の問題だろうね」


「取り壊せないのー?」


「取り壊そうとしたら怪異が邪魔するでしょ。それに土地の権利者もわかってないだろうし。地震とか老朽化とか、そういう自然的な要因で崩れるまで待つしかないよ」


「そっか。じゃ、それまでは心霊番組にこき使われるって訳だ。でも定期的に魔術師を派遣して掃除させとかないと死人がでるぞ」


「魔術界のほうにそう提言しておくよ」


「よし。それじゃ帰ろうぜ。どう編集されるか楽しみー」


 ふと思い出してポケットからチケットを取り出す。


「ほら。園咲の卒業ライブチケット。渡すの忘れてた」


「あぁ」


「妹ちゃんが羨ましがるんじゃねーの?」


「それはないかな」


「好きなんだろ?」


「あぁ、でもこれ関係者席だろ? 妹がよく言ってるんだ。関係者席は行けたとしても邪道だって」


「へぇ、自分で勝ち取った席にこそ価値があるってことか。深いねぇ」


「譲れない何かがそこにあるんだろうね。ってことで僕がありがたく使わせてもらうよ」


「アイドル人生の集大成だ。じっくり見させてもらおうぜ。それといい加減、園咲に纏わり付いてる瘴気のほうもどうにかしないと」


 そんな訳で無事に収録は終わり、ライブ当日がやってきた。

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