第8話 抱えていた思い

 俺が突然名前を呟いたので、小井住綾那は俺の方を見た。


「あれ、もしかして、君も朝日ヶ丘......」


 綾那は俺の顔を見ながら、そこまで言いかけて固まった。


「え......うそ......ユウ君?......」


 綾那は恐る恐る俺の名を呟いた。


 マジか......


 俺が“佐久良 憂”だとわかったのか......


 お互い全然雰囲気変わっちまって、言われるまで全然わからなかったのに......


 まして俺の今の姿は......


「まさか......ホントの男の子になっちゃったの?......」


 綾那のその言葉に、俺と三嶋は一気に血の気が引いた。


 まずい!!


「え、なにそれ?」


「どういう意味?」


 他の女子二人が怪訝な顔をしている。


 まずい、まずい!!

 俺が女だってバレる!!


 慌てて三嶋の方を見ると、三嶋は俺に目で「なんとかしろ!!」と言っていた。


 このヤロっ!!

 元はお前が仕組んだことだろうが!?


 俺はパニックになりながら、綾那の方を見た。

 綾那はきょとんとした顔で俺の方を見ていた。


 こんな状況にも関わらず、その無邪気な表情が俺にはたまらなく可愛く見えた。


 あー、なんで一目で気付かなかったんだろう......

 どこからどう見ても綾那じゃないか......


 俺と綾那が出会ったのは、あのランドセル売り場だった。

 そう、俺に水色のランドセルを勧めてくれたあの少女こそ、綾那だったのだ。


 俺と綾那は同じ学区で、小学校の入学式で再会した。

 綾那は、水色のランドセルを背負った俺を見て開口一番こう言った。


 うん、やっぱり似合ってるよ。


 初恋だった。

 だが、小学1年の俺はそれが恋だとはわかっていなかった。


 小学校に上がってからも俺は相変わらず男子たちとばかり遊び、綾那のことは唯一仲良くしたい女子としか認識していなかった。


 女子でありながら男子とばかり遊んでいる異質な俺を、綾那は分け隔てなく扱ってくれた。


 綾那は俺にとって、他の誰とも違うかけがえのない存在になった。


 だから、小学校2年の夏、綾那が転校すると知り俺は絶望した。

 別れの日、俺の中には綾那に伝えたい思いがあった。

 だが、それが何なのかわからず、沈黙したまま綾那を見送ってしまった。


 当時の俺は、自分という存在が何なのかわからなくなっていた。


 俺は男のように育った......

 自分で自分を男だったと思っていた......

 でも、実は女だった......

 でも、女としては振る舞えなかった......

 でも、男にもなりきれなかった......


 そんな男でも女でもない俺は、女の綾那に恋をしているなど夢にも思わなかったのだ。


 綾那に伝えられず、正体もわからなかったその思いが、俺の心を縛ったまま、俺の体は成長していった。


 中学の頃、徐々に女らしくなっていく周囲の女子たちを見ながら、女性という性別の人間たちが俺の恋愛対象となる存在なのだと初めて認識した。

 そこでようやく俺は、綾那に恋をしていたのだと気がついた。


 だが、気付いたときにはもう遅かった。

 綾那はもう、この世界のどこにいるのかわからないのだから......


 そのとき初めて、俺は綾那を失ったことに泣いた。

 狂ったように泣いた。


 その綾那が、時を越えて今、目の前にいる......


「憂君、どうしたの?......大丈夫?......」


 綾那を見つめたまま固まっている俺に、綾那は心配そうに声をかけてくれた。


 一方で、他の女子二人は不審の目を俺に向けており、三嶋は焦りのにじみ出た顔で俺を見ている。


 ああ......

 もう、どうでもいい......

 だって、何より大事なことが目の前にあるのだから......


 俺は、乾いた唇を開いて、その言葉を口にした。


「好きだ......綾那......」



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