第54話 気にしない様にすると、気になる。

 次の日の朝。今日は生憎の雨だ。

 俺は念の為、お泊まりセットを用意して出掛ける。

 ビニール傘をさして駅に向かった。傘に当たる雨粒の音が、リズムを刻んでいる。

 りんのすけから、迎えに行くと言うメッセージが来ていたが、遠慮した。あっという間に着いてしまうと、何となく嫌だったからだ。楽しみではしゃぐ気持ちと不安な気持ちに、整理を付ける時間が必要な気がした。

 とはいえ、二駅で着いてしまうのだから、そんな時間は殆ど無かった。

 りんのすけの家に着くと、テンションの高い主様が出迎えてくれた。面白そうな映画を見つけたから一緒に観たいそうだ。

 無邪気な少年の様な笑顔が、俺は。

「好きだ。」

「は?」りんのすけに睨まれた。

「あ、その映画。親が面白いって言ってたなあって。」我ながら嘘が下手過ぎて呆れてしまう。

「と、取り敢えず、先に映画観よう。まだ昼飯まで時間あるし。」

 俺はリビングに入って荷物を置きソファに座った。

「先ずはコレを観るぞ!」

 ブルーレイ・ディスクのケースをドヤ顔で持ち俺に見せた。

「有名なハリウッドスターが沢山出るんだな。」

 りんのすけはプレイヤーに早速ディスクを入れる。

「ああ。僕はマット・デイモンが好きで、偶にこの映画を見返す。つかさは観た事あるか?」

「観た事ないな。洋画はヒーロー物しか観ないから。パッケージの俳優さんも、名前が分かるのはブラピとジョージ・クルーニーくらいだ。」

「日本語字幕は必要か?」りんのすけがリモコン片手に聞いた。

「必要だな。難しい単語とか独特な言い回しだと分からない時がある。」

 映画のセッティングを終え、二人で飲み物を用意し、カーテンを閉めて部屋を薄暗くする。

 ソファに腰掛けて、俺は本編開始を選択する。

 泥棒の男が仲間を集めて、カジノで現金を強奪する話だ。キャラクターが個性的で、ストーリーも分かりやすい。

 映画に没頭して飲み物に手をつけずに、あっという間に観終わってしまった。

 頭が覚醒した様な感覚。面白い映画を観た時の独特な感覚に陥った。

「面白かった!」俺は興奮して目を輝かせる。

「そうだろ?今日はこのシリーズを一気に観るぞ!」りんのすけも嬉しそうに笑顔になる。

 部屋の電気をつけ、昼ご飯を作る。

 相変わらず、りんのすけは美味しそうに食べてくれた。

 二人で皿を洗いながら、俺は昨日の事をりんのすけに話した。

「ぬっぺぽうが文字を書いたんだが、全然読めなかった。後でちょっと見て欲しい。」

「妖怪って文字が書けるのか?興味深いな。」

 皿洗いを終え、リュックからノートを取り出す。ソファに座り、りんのすけに見せた。

「くずし文字か。流石に僕でも読めないな。調べてみよう。」

「くずし文字って何だ?」俺は首を傾げる。

「江戸時代まで使われていた文字だ。」

 りんのすけはスマホを取り出し、ノートの文字をカメラで撮影した。その後、写真を誰かに送信する。

「誰か分かる人が居るのか?凄いな。」

 俺が感心すると、りんのすけは笑いながら言った。

「つかさも知ってる人だぞ。あのボンクラ教師だ。」

「まじで?スガッチ先生ってこの文字読める人なの?」

 俺は信じられず目を見開いた。

「ああ見えて、元々は優秀な人間だったんだ。今は酒や賭博に勤しむダメ人間に堕落しているがな。」りんのすけは肩をすくめる。

 早々にメッセージの返信が来て、俺はりんのすけと一緒にスマホの画面を覗き込んだ。

 いつの間にかぬっぺぽうが、俺の顎の下に姿を出して居た。しっかり解読出来ているのか気になるらしい。

『身共が分からぬ。離れ方が分からぬ。世話になる。って書いてあるな。何なんだこの文字。誰が書いた?』

 俺は解読された所だけ音読すると、ぬっぺぽうは頷く様な素振りをした。

「合ってるっぽい。記憶が無いんだな。それで離れられないのか。」顎に手を当てて悩んだ。

 何か思い出す手伝いが出来れば良いが、何も手掛かりが無いとなると難しい。

「なるほどな。何がきっかけで離れるかは様子を見るしか無いだろう。」

 ぬっぺぽうはションボリして、俺の体の中へ入って消えた。

「最悪、俺が死んだら嫌でも離れられるだろうし、特に取り憑かれて困ることも無いから良いけどな。」

 俺が呑気に言うと、りんのすけは眉間に皺を寄せ目を細める。

「寿命は全うしろよ。事故や事件で死んだら許さないからな。」

「分かってるよ!何が起こるかは分からないにしても、自分から死ぬ様な事はしないって。この話題こそ、死亡フラグみたいで嫌だけどなあ。」俺は苦笑いして、頭の後ろを掻く。

「じゃあ、そろそろ次の映画観ようぜ。」

 ローテーブルの下の収納棚に置かれたブルーレイを手に取り、プレイヤーに入れた。

 映画を楽しみ、夕飯も食べ終わった頃。

「そろそろ風呂に入るか?」と、りんのすけが提案した。

「そうだな。風呂入ったら、また次の映画観なくちゃ。」

 と、当たり前の様に返したが、俺はふと浮かんだ違和感を口にした。

「あれ。なんか、泊まるのが当たり前になってきてないか?」

「ふむ。あまり気にならなかったが、確かにな。良い傾向じゃないか。」何故か勝ち誇った顔をする。

「りんのすけが良いなら良いけどさ。先入って来いよ。」

 お互いに風呂を入り終え、また部屋を暗くして映画を観始めた時、りんのすけが口を開いた。

「シャンプー変えたんだ。気が付いたか?」

「ああ。ボトル変わってたなあ。凄い高級な良い匂いがした。」

「ふふふ。僕が選んだんだぞ。ほら。」

 りんのすけは頭を俺に近づける。俺はりんのすけの頭の後ろに手を回して、軽く引き寄せ匂いを嗅いだ。

「良い匂い。でも、りんのすけの匂いと混ざって別の良い匂いになってる気がする。ハーブ感が強いと言うか。」

 俺はりんのすけに頭を近づけ、匂いを嗅がせた。

「本当だな。この匂いも好きだ。」

 りんのすけが俺の頭を両手で持っているせいで、俺は少し前屈みになる。

「この体制、腰が痛い。」

「あ!すまない。」りんのすけは咄嗟に手を離した。

「そんな事より、映画観ないと!後でいくらでも嗅げるだろ。」

 言った側から、俺は恥ずかしくなった。思った事をそのまま口にしてしまうのは何故なのか。少し自己嫌悪に陥る。

「それもそうだな。」

 りんのすけは普通に返す。普通過ぎて驚き、俺はりんのすけの横顔を見た。少しだけ耳が赤くなっている気がした。

 あまり映画に集中出来ず、終わってしまった。

 寝支度を整えてベッドに入る時、俺は寝る時間を先延ばしにするべく、漫画の話題を振る。

 本棚の漫画を手にしながら、好きな台詞やシーンをお互いにプレゼンし合った。

 長い事話していると、りんのすけはウトウトし始める。俺に寄りかかって寝落ちしてしまった。

 左肩に乗った頭を丁寧に動かして、お姫様抱っこをした。思ったより軽い。

 ベッドに寝かせて、布団を掛ける。

 俺は散らかった漫画を本棚に戻し、部屋の電気を消した。

 ベッドに入ると、りんのすけが俺の服を掴んだ。

「つかさ、まだ嗅いで無いぞ。」ムニャムニャと小声で言う。

「寝ぼけてるだろ?」俺は寝返りを打ってりんのすけの顔を見る。

 完全に目を瞑っている。

「早くこっち来い。」また小声で何か言っている。

「え?」俺は聞き返す。

 りんのすけはモゾモゾと上に移動して、俺の頭を抱き抱えた。

「何してんだよ!」俺は離れたかったが、りんのすけの規則正しい寝息を聞いて動く気が失せた。

 パジャマから漂うハーブの香りに包まれながら、俺は気が付いたら眠っていた。

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