第49話 キスに対するハードルが下がった日。

 三人でりんのすけの家に帰った。

 お泊まりセットは持って来ていないが、りんのすけの家に備えてある着替えを使わせてもらう事にした。

 のっぺぽうは相変わらず、俺の背中に貼り付いて居る。

 レディファーストと言う要らない配慮を貰い、俺は先に風呂に入る。

 自分の体ながらに、女体だと落ち着かない。巨乳で無い事が唯一の救いだ。俺は自分の体を見ない様に、目を瞑って体を洗う。

 りんのすけの家にある、俺専用の部屋着セットは綺麗に洗濯されていた。良い匂いがする。

 しかし、前に着た時より、サイズはブカブカだった。無理も無い。体が縮んでいるんだ。

 俺の後にりんのすけが風呂に入った。

 ひゅうがと二人でソファに座り、お笑い番組を見る。

 CMが流れ始めると、ひゅうがは俺の方をチラチラと見てきた。

「なんだよ?」俺は不審な目を向ける。

「ホントに女の子の体になってるんだなあ。いつになったら戻るんだろ。」

「さあな。明日の朝までには治って欲しいよ。切実に。」

 俺は項垂れる。垂れた頭をひゅうがは優しく撫でた。

「ひゅうがは優しいなあ。」俺は下を向いたまま言う。

「そんな事無いって。飲み物飲むか?おれ何か淹れて来る。」

 ひゅうがは早足でキッチンへ向かう。

「ありがとう。ホットコーヒー飲みたい。」

「りょーかい!」

ひゅうがは小袋に入ったインスタントの袋をコーヒーカップに入れ、ポットのお湯を注いだ。

 りんのすけは、カフェインを摂れない体質らしいが、来客用にコーヒーを用意してくれている。

 俺はひゅうがにお礼を言って、コーヒーを啜った。落ち着く味だ。

 しばらくして、りんのすけが風呂から出て来た。入れ替えでひゅうがは風呂へ向かう。

 俺はカップをテーブルの上に置いた。

「りんのすけ、何か飲むか?」

「ルイボスティーのホットを頼む。ありがとう。」

「どういたしまして!こちらこそ、泊めてくれてありがとう。」

 俺はキッチンでルイボスティーのティーパックを用意し、お湯を入れソファに戻った。

 熱いうちは、りんのすけは口を付けない。取り敢えずテーブルにカップを置いた。

 ソファに座り、お笑い番組の続きを見る。

「あ。この芸人好きなんだよ!」

俺はテレビを指差して言う。

「へえ。お笑い番組はよく見るのか?僕は余り詳しく無い。」

 りんのすけはソファの背もたれに深く寄りかかって言った。

「この番組はよく見るかも。弟もお笑い好きだから、よく一緒に見てる。」

「源左衛門様も見ているのか!僕もこれからはチェックしよう。」

 りんのすけはテレビに目を向けたまま、カップを取り、飲み物を飲んだ。

「ハハハ!このツッコミ、この人達にしか出来ないよなあ。」

 俺もテレビに目を向けたままカップを取り、飲み物を飲む。あれ、苦く無い。

 俺はりんのすけの持っているカップの中身を見る。

「りんのすけ、それ俺のコーヒーだぞ。」

 しかし、その言葉を無視してりんのすけはカップの中身を一気に飲み干した。様子がおかしい。

「おい!りんのすけ、大丈夫か?カフェイン摂っちゃ駄目なんだろ?」

 俺はりんのすけの肩を持ち体を揺らした。りんのすけはボーッと天井を見上げる。持っているカップが床に落ちた。割れずにカップは床を転がる。

 りんのすけは、ぬらりと体を起こしそのまま俯いた。

 俺は心配で顔を覗き込む。顔が赤い。

「おい……!!」声を掛けようとしたその時、りんのすけは俺をソファの上に押し倒した。

「え?え?」

 ボーッとした表情のまま、りんのすけは少しだけ微笑んだ。そのまま、俺に顔を近づける。

 俺は咄嗟に目を瞑った。殺されるのか。

 唇に柔らかい感触がした。何度も当たる。そのまま舌を入れられそうになる。

 俺は目を瞑ったまま頭突きをする。

「りんのすけ!お前、酔っ払ったのか?!」

 俺は大声で言った。それに気付いたひゅうがは、パンツ一丁のまま風呂から出て来た。

「つかさどうした?あ!りんのすけ!何やってんだよ!」

 ひゅうがはりんのすけの肩を掴み、俺から引き離す。

 しかし、りんのすけはひゅうがの肩を掴み返し、ソファの向こう側へ押し倒した。

「りんのすけ!目え覚ませ!おい!」

 抑えられたひゅうがは、りんのすけに顔を近づけられる。

 俺は恐る恐るソファの背もたれに近づき、二人を確かめた。りんのすけは思い切りひゅうがにキスをしていた。

 ひゅうがは涙目になりながら、りんのすけを払い除け、俺に駆け寄ると、何故か俺にキスをする。

 その瞬間、俺の体が元に戻った。

「何でだよ!!」俺はひゅうがをグーで殴った。

「だって!消毒しなきゃと思って!」

 ひゅうがは混乱したまま、殴られた頬を押さえながら、捨て犬の様な顔で俺を見上げる。

「取り敢えず、サソリさんを呼ぼう。」

 俺は、テーブルに置かれたりんのすけのスマホを手に取る。ひゅうがはりんのすけを背後から抑え、その隙に顔認証を解除した。急いでサソリさんにメッセージを送る。

 ひゅうがとりんのすけは、取っ組み合いながら攻防を繰り返していた。俺は巻き込まれない様に部屋の隅に逃げる。

 数分後、インターホンが鳴りサソリさんが駆けつけてくれた。

「あららー。坊ちゃま、コーヒー飲んじゃったんですね。えい!」

 サソリさんはりんのすけの首に手刀を当てる。りんのすけは気を失って倒れた。

「取り敢えず、一件落着ですね。」

「サソリさん、ありがとう。つかさ、元の体に戻って良かったな。」

 パンツ一丁のまま戦い、汗だくになったひゅうがは、もう一度シャワーを浴びに行った。

 サソリさんは、りんのすけを担ぎ部屋に寝かせた後、リビングのソファに腰掛けた。

「つかさ様。また変な薬飲んだんですか?」

「あはは。女の子になる薬を飲みました。」

俺は頭の後ろを掻いて、苦笑いを浮かべる。

「それで、坊ちゃまが発情しちゃった可能性もあったりするのかも?」

「いやいやいや!ひゅうがにもキスしてましたよ!アイツ。」

「ハハハ!それは見たかったなあ。まあ、坊ちゃまがカフェイン摂ると、何に変貌するのか未知数なんですよねぇ。酔っ払いにも種類があるじゃ無いですか?」

 サソリさんはニコニコと笑顔のまま話し始めた。

「あんまり酔っ払いを見た事無いので、分からないです。」俺は首を傾げる。

「そうですよねー。笑上戸とか泣き上戸とか、キス魔になったり、酔拳が使えたり、説教始める人も居ますねえ。坊ちゃまはランダムな気がします。」

 サソリさんは何かを思い出した様に吹き出した。

「どんなりんのすけを見た事あるんですか?」

「まだ坊ちゃまが小学生くらいの時、初めてミルクティーを飲んだんですけど、その後、笑上戸になって、涙が出る程に爆笑し始めたんですよね。可愛かったなあ。また別の時は泣き上戸で、これは大変でしたね。そこから、カフェインは摂らせないようになりました。」

「じゃあ、今回のキス魔はレアなんですかね?」俺は苦い顔をしながら聞いた。

「俺は見た事無いです。見たかったなあ!」

サソリさんは呑気に言う。

 当事者にしか分からない、この気持ちをぶつけてやりたい気持ちに、少しだけなった。

 俺はため息を吐いて、ソファに深く腰掛けると、背中がモゾモゾと動いた。

 のっぺぽうが移動して、俺の膝の上に乗る。

「うわ!何ですかそれ!」

サソリさんはのっぺぽうを見て仰け反った。

「俺に取り憑いてる妖怪です。のっぺぽうって言うらしいです。サソリさんって霊感あるんですね?」

 俺はのっぺぽうをプニプニと触りながら聞いた。小さな手を一生懸命に動かして、俺の手を退けようとして来る。

「霊感とかはよく分からないですけど、妖怪を見たのは初めてです。凄い。リアルに肉の塊って感じだ。」

 サソリさんはのっぺぽうに顔を近づけて観察する。のっぺぽは小さな手を伸ばして、サソリさんの鼻を触って押し除けようとした。

「わあ。妖怪に触られている感覚もちゃんとある!」

 サソリさんがのっぺぽうと戯れていると、ひゅうがが風呂から出て来た。

「何やってんの?」

ちゃんとパジャマに着替えたひゅうがは、俺の隣に腰掛けた。

「妖怪とサソリさんが遊んでるところ。」

俺が説明すると、ひゅうがは興味津々で俺の膝の上を見る。

「何にも見えないけど、サソリさんにも見えてるんだ!鬼門に入ったからかなあ。」

「サソリさんは秘密が多いから何も教えてくれないよ。」

 サソリさんは笑って誤魔化した。

 しばらくして、りんのすけは自分の部屋から出て来た。

 ひゅうがと俺は警戒して身構えてしまう。

「あれ、サソリじゃないか。何で居るんだ?」

りんのすけは首の後ろを摩りながら、サソリさんの隣に座る。

「坊ちゃま。カフェイン摂っちゃ駄目ですよ!」サソリさんは人差し指を立ててりんのすけに注意した。

「あ……。そういう事か。」

 りんのすけは気不味い顔をしながら立ち上がり、深々と頭を下げた。

「つかさ、ひゅうが。本当に申し訳ない。」

「何したか覚えてないだろお?」

 ひゅうがは目を細めてりんのすけを見る。

 りんのすけは頭を下げたまま、「覚えてない。」と言った。

 俺は何があったのかをザックリと説明する。りんのすけは顔を赤くして、顔を強張らせた。

 説明を聞き終わるや否や、土下座をして謝って来た。

 俺とひゅうがは慌てて、りんのすけの頭を上げさせた。

「そんなに謝らなくて良い。事故だったんだから。」俺は精一杯のフォローをする。

「そ、そうだぞ!次からは気をつけてくれれば良いんだからなあ。」

 ひゅうがはりんのすけの側にしゃがんで背中を摩った。

 りんのすけは頭を上げる。

「僕は今日、来客用のベッドで寝るから、二人は僕の広いベッドで寝てくれ。」

 そう言い残して、りんのすけは来客用の寝室へ引っ込んでしまった。

「坊ちゃまのフォローは俺に任せてください!明日も学園祭がありますし、二人はゆっくり休んでくださいね。」

 サソリさんはりんのすけの後を追って、来客用の寝室に入って行った。

 寝る支度を整えて、俺とひゅうがはベッドに入る。

「つかさ、おれとキスしたら男に戻ったよなあ。またキスしたら女になるのかな?」

 ひゅうがは寝転がって天井を見上げながら言う。

「どうだろうな。偶然じゃ無いか?」

 俺も天井を見上げながら言った。

「試してみて良い?」ひゅうがは寝返りを打って、俺の方を見る。

「ええ!……。一回だけだぞ。」

 俺は渋々寝返りを打ち、ひゅうがの方を向いた。

 真っ暗い部屋の中で、掛け布団越しにひゅうがの心音が俺まで届いていた。

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