第26話 体力勝負で負ける自信が、俺はある。
六月の中頃。体育の授業で、新体力テストが行われる。今日はその日だ。
太陽が燦々と輝くグラウンド。体操服を着た生徒が、バラバラと集まっている。
新体力テストは、二クラス同時に行われる。俺のクラスと、ひゅうがのクラスだ。
俺は運動部経験がない。自信がないため、憂鬱だった。
しかも、友達のりんのすけとひゅうがは、体力に自信がある。比較される事はないだろうが、何とも言えない気まずさがあった。
まだ希望はある。進一と和田だ。きっと奴らは、運動得意じゃない枠だろう。
俺は淡い期待を抱きながら、授業前の短い休み時間を、ひゅうがと過ごしていた。グラウンドの脇にある木陰の中で、並んで座る。
「ひゅうがって、サッカーのトレーニングどれくらいやってるんだ?」
「普通くらいだと思うけど。朝4時に起きて朝7時くらいまで、ボール蹴りながら走ったり、あと普通に走ったり、筋トレしたり。部活終わった後は、学校から家まで走ったり、ボール蹴ったり、ストレッチしてるかな?」
ひゅうがは、指を折数えながら言ったが、多分折る意味はない。
「そんなにやってるのか?オカ研に連れ出した時、トレーニング出来なかったよな。ごめん。」
「ううん!筋肉作るためには、やり過ぎると駄目みたいだから、たまに休んでるよ!そういえば、今月末から期末試験だろ?また一緒に勉強やりたい。」
「うっ、もうすぐ期末試験か。うん。俺も一緒に勉強したいと思ってた。」
ひゅうがは、少し赤くなって太陽みたいな笑顔になる。
「やった!うれしい!」
「またりんのすけに先生頼むか。あいつのお陰で、追試クリアできたしなぁ。」
俺は遠くの景色を見ながら言う。
「むっ。それはそうだけど。おれは二人でやりた……。」
「仕方ないな。貴様らの試験勉強、手伝ってやる。」
ひゅうがの言葉を遮って、りんのすけが後ろから話しかけて来た。
振り返ると、りんのすけが仁王立ちしていた。
ひゅうがはりんのすけを睨みつけ、りんのすけもひゅうがを睨み返した。
「お!それは助かる!りんのすけの教え方わかりやすいんだよな。」
俺は喜んでりんのすけに伝える。りんのすけは、ぷいっと横を向いた。
「ふん!別に僕自身も勉強する時間が増えるからやっているだけだ。」
言い終えて、少しずつ耳が赤くなる。
「それでも助かるよ!ありがとな。」
授業開始の鐘がなり、クラスごとに集合がかかった。
「日程、昼休みに決めるか!またな!」
俺はひゅうがに手を振った。
「うん!またなー!……。」
ひゅうがは、俺に手を振った後、俺の横にいるりんのすけにあっかんべーする。
りんのすけは、それを完全に無視した。
授業が始まり、準備体操が始まる。
アキレス腱伸ばしをしていた頃。男性でガタイの良い体育教師の後ろに、不審な人物が走っているのが見えた。
クラス委員の川島が、手を挙げて教師に言う。
「先生、グラウンドに誰か入って来ました。」
教師はそれを聞き振り返る。生徒達もその人物に注目した。
グラウンドに白線を引くためのライン引きを握り、走り回っている野崎先輩の姿があった。
「おい、野崎!!授業中だぞ!!何やってんだ!!」体育教師は、その場で大声を出した。
「見りゃわかんだろ!!魔法陣書いてんだよ!!」
野崎先輩は、立ち止まって叫ぶ。
あの人、本当に頭がおかしいんだ、と俺は合点がいった。
生徒達が騒つく。
体育教師は、野崎先輩のところまで走って行き、一悶着した後ライン引きを没収する。
野崎先輩は、グラウンドの砂を蹴った後、グラウンドの脇にある木陰に寝そべり、眠り始めた。
「皆んな、あんな駄目な先輩みたいには、ならない様にな。」
体育教師の顔は、少しゲッソリしていた。
その後、新体力テストが始まった。
ハンドボール投げ、立ち幅跳び、50メートル走の三種目を、自分の好きな順番で行う。
ガタイの良い体育教師の他に、女性の体育教師と、たまたま授業が被らなかったスガッチ先生がそれぞれ記録を測ってくれる。
俺は、進一と和田のところへ行った。
「なあ、和田って運動部経験あるの?」
俺は和田にだる絡みする。
「ふん!この私にかかれば、生まれ持った潜在能力で、ものすごい記録を叩き出すのだよ!まあ、見た前。」
和田は、ハンドボールを持つ。先生の合図を見て、ボールを構えた。
ものすごく綺麗なフォーム。足を高く上げ、身体を捻り思い切り投げる。
そしてボールは勢いよく、地面に叩きつけられた。
「5メートル!」男の体育教師が記録を言う。
「どうだ、見たかね。」
和田はなぜかドヤ顔で言った。
「進一、あいつってもしかして運動音痴か?方向音痴だけじゃなくて。」
俺は進一に、小声で言った。
「そんな気がする。『ものすごい記録を叩き出す』って言ってたから、一応有言実行になってるけどね。」
そう言って、次に進一の番になる。
小さな手でハンドボールを持ち、思い切り振りかぶって投げる。
ボールは、綺麗な放物線を描き地面に着地した。
「40メートル!」体育教師が記録を言った。
俺は記録に驚き、進一のところに駆けつけた。
「凄過ぎるだろ!進一、まさかドーピングしたのか?」俺は小声で進一に言うと、
「シー。」進一は人差し指を口に当てて、イタズラっぽく笑った。
次に俺の番が来る。放物線をイメージして、思い切り投げる。投げた後肩が痛くなった。
「20メートル!」
俺は平均以下の記録を聞いて、自分にガッカリした。まあ、期待もしていなかったけど。
三人一緒に、次の競技の列に並ぶ。50メートル走だ。二人ずつ走るため、進一と和田は隣に、俺は進一の後ろに並んだ。
待機列では、何だか盛り上がる声がする。列に並びながら、先頭の様子を見る。
「むむ!あれは我が好敵手りんのすけとサッカー部のひゅうが君ではないか?」
和田はメガネをクイっと上げながら言う。
「アイツら勝負する気なのか?」
俺は心配で、少しソワソワした。どっちが勝っても喧嘩になりそうだ。
スガッチ先生が、ゴールの位置からメガホンで号令をかけ、ピストルの空砲を撃った。
音が鳴ると同時に、二人は勢いよく飛び出す。砂煙が巻き上がり、ゴールした瞬間が後ろからだとよく見えなかった。
砂煙が収まった頃、二人が取っ組み合いをし始める。お互いの頬を引っ張り合う。
スガッチ先生は、気怠そうに二人を引き剥がす。
二人はお互いに、反対方向へ歩き出した。
「あれ、どっちが勝ったんだ?」
俺は進一と和田に聞いた。
「ひゅうが。」進一は真顔で答える。
「よく見えたな!まあ、現役サッカー部には、流石のりんのすけも勝てないよな。」
ハハハと苦笑いした。
列が進み、進一と和田が走る順番が来た。
「頑張れよー!」俺は二人に応援する。
スガッチ先生の号令で、二人は勢いよく飛び出す。
進一は軽快に走り、またしても平均よりかなり速い記録を出していた。
一方の和田は、競歩かと思う様なおかしな走り方をしていて、周りから笑い声が上がった。
ゴールした和田は、ダサい謎ポーズを決め、ドヤ顔をする。何でこんなに自信満々なんだ。自己肯定感だけは見習いたい部分だ。
俺の番になる。先生の号令が鳴る前、後ろに気配を感じ、振り返ると野崎先輩が木陰から俺を睨みつけ中指を立てていた。何で?怖い。
号令が鳴り、俺は恐怖を抱きながら、野崎先輩から全力で逃げる様な気持ちで走った。
「つかさ、結構頑張ったじゃん。7.09だったぞー。」
ゴールした後、スガッチ先生が記録を教えてくれた。今まで生きて来た中での、最高記録を大きく塗り替えてしまった。
俺は素直に喜んで良いものか、微妙な気持ちで、スガッチ先生に愛想笑いをする。
その後の立ち幅跳びは、平均程の記録で終わり、本日分の新体力テストは、幕を下ろした。
授業が終わり、男子更衣室で着替えをしている時。近くにいたひゅうがに、50メートル走の事について聞いた。
「おれが5秒台を出して勝ったよ!まあ、ちょっと追い風だったからラッキーって感じだけど。りんのすけは、運動部じゃない割に頑張ってたと思う。」
「5秒台……?次元が違いすぎて、よくわからない速さだな。そもそも、何で勝負する事になったんだ?」
俺はワイシャツのボタンを閉めながら聞いた。ひゅうがは、体操服の上を脱ぐ。可愛い顔に似合わない、ムキムキの体が現れる。綺麗に割れた腹筋に、つい目がいってしまう。
「ボール投げの記録を、りんのすけが自慢して来たんだよ。おれより記録が良かったから、それでムカついてさ。50メートル走で勝負しようって言ったら乗ってくれたんだ。」
ひゅうがは話しながら、俺の視線に気がつく。
「触る?」ひゅうがはニヤリと笑いながら、筋肉を魅せつけた。
「ちょっと触りたい。」俺は素直に返し、ムキムキの筋肉を触らせてもらう。
ガチガチに固く、凸凹している。
「凄いな。それだけ努力してるって事だもんな。」
俺は筋肉をツンツンしながら言う。
「まあな!筋肉は裏切らないって誰かが言ってた!……ちょ、触りすぎ。くすぐったい。」
ひゅうがは顔を赤くし、お腹を手で隠した。
「ごめんごめん。筋肉って男のロマンと言うか、羨ましくてつい。」
俺は頭を掻いて、反省した。
「つかさは、全然鍛えてない割に筋肉あるよなあ。ちょっと鍛えたら、すぐに割れるんじゃね?」
ひゅうがは、Tシャツを着て、その上にワイシャツを羽織る。
「嘘!初めてそんな事言われた!嬉しい!」
俺は口に手を当てて感激する。
「アハハ!そんなに喜ばれると思わなかった!夏休みに向けて、一緒に筋トレするか?勉強会の時に、ついでにやるのもアリじゃん。」
「頼む!俺に筋肉を分けてくれ!」
俺は頭を下げた。
「任せとけ、相棒!」ひゅうがは親指を立ててウインクする。
勉強会が、楽しみになって来た。俺は上機嫌のまま教室に戻る。
そして、その日の昼休み。俺はいつもの様に屋上へ向かった。
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