第2巻 インカンテーションズ

第23話 誰か、嘘だと言ってくれ。

第二十三話 中間試験


 気温も高くなって来て、ブレザーのいらない季節になった5月末。富士山の雪も溶け始め、天辺に少しだけ残った雪が、禿頭に見える。

 俺は本当に学校へ行きたくなかった。家で文句を言っていたら、母親に「自業自得だ。」と冷たく扱われてしまった。

「りんのすけ君を待たせてるんだから、早く出なさい。」

 母親に追い出され、俺は渋々駅まで向かった。

 りんのすけと一緒に教室へ着く。俺は自分の席に座ると、ため息をつきながら机に突っ伏した。

「朝から辛気臭い顔をするな。見っともない。」

後ろの席のりんのすけに、首根っこを掴まれ、首が絞まる。俺は起き上がり、りんのすけの方に体を向けた。

「お前は良いよな。勉強しなくても良い点数取れるんだから。」

俺はりんのすけの机に頬杖をついた。

「中学時代の振り返りと、その応用程度だっただろう。勉強するまでもない。」

りんのすけは腕を組み、への字口で俺に言う。

「それは勉強できる奴の考えだ。ほぼ一夜漬けで受験をクリアした俺とは、頭の出来が違うんですよー。」

「一夜漬けでこの高校に受かるんなら、つかさが本気を出せば、僕より頭が良いんじゃないか?」

りんのすけは驚いた顔で言った。

「無理無理。俺、人の話を聞く能力が著しく欠如しているから、授業で何言ってるのかよくよく分かってないんだ。」

俺は手を振って否定した。

「この学校って順位を廊下に張り出すのかな?」

俺はテスト返却が憂鬱で、嫌なことばかり浮かんでしまった。

「さあな。もう結果を待つだけだ。潔く堂々としていろ。」

 朝のホームルームが終わり、テスト返却の時間になった。今日一日で、全てのテストが返ってくるわけではないが、ハラハラする気持ちは変わらない。

 俺の得意科目は、英語のみだ。国語も数学も歴史も全部苦手だ。二学年に上がった時、理系か文系を選ぶのも億劫になるほど、得意科目が偏っている。

 一限目、二限目、三限目と返ってくるテストの点数欄を確認しては、直ぐに机の中へしまった。

 返却されるたびに、りんのすけに点数を聞いたが、二週間も不登校だったくせに、ほぼ満点だった。

 六月の頭には、全てのテストが返却された。

 ある日の金曜日。一年生の教室がある二階のの廊下に、順位が掲示された。

 朝から生徒たちが群がる。俺とりんのすけも確認しに行った。

 群がる生徒の中に進一が居た。

「おはよう。自分の名前は見つけたか?」

俺は進一に声をかける。

「おはよう。つかさ、りんのすけ。うん、見つけられたよ。」

 生徒たちの頭の間から、俺は順位表を見る。  

 一位にりんのすけの名前があった。三位に進一。え、うそだろ。俺は驚くと言うより、引いてしまった。

「りんのすけを置いて考えたとしても、進一ってそんなに頭良かったのか。羨ましい。」

「何で僕を避けて考えるんだ。」

りんのすけが横槍を入れる。

「テスト勉強する時間をしっかり作ってたから。テスト範囲も狭かったし、簡単だった。」

進一は悪気なく淡々と言う。俺は、背中をグサリと刺された気持ちになった。

「俺の名前が見つからない。」

俺は背伸びをして、表を見る。

「ふむ、全員分の名前は無い様だね。追試じゃない事を祈りなよ。」

りんのすけは、俺をナチュラルに煽って来た。

「追試なんて、不吉な事を言うな。でも俺、今回のテストは平均点より低かったんだよなあ。追試っていつわかるんだ。」

 時は流れて、その日の放課後。担任のおじいちゃん先生に、職員室まで呼び出された。

「あのー。言いにくいんだけどね。ギリギリ追試になっちゃった。来週の土曜日に、一日かかるけど追試の人は集まる事になってるんだ。英語と歴史だけ追試ないけど、それ以外は全部受けてもらうから、勉強しといてね。何か質問ある?」

 俺はショックのあまり、立ったまま気を失った。

「おーい!大丈夫かあ?おーい!」

 おじいちゃん先生の声が、どんどん遠くなっていく。

 気がつくと、保健室の真っ白い天井が目の前にあった。

 ベッドから降りると、保健室の若い女の先生が声をかけてくれた。小柄で、少し吊り目。黒い髪の毛を後ろにお団子で纏めている。

「大丈夫?急に職員室で気を失っちゃったんだってね?」

「追試を受けるように言われて、ショックで気を失いました。多分、悪い夢でも見たんですね。俺が追試なんて……。」

俺は乾いた笑い声を上げた。

「追試は本当みたいよ。さっき貴方の担任から追試を無かった事にされない様に釘を刺しておいてって頼まれたもの。」

保健室の先生は、困り眉で笑顔を作った。

「うわぁぁぁ!」

俺はショックのあまり、床に突っ伏した。

「あらあら。相当ショックだったのね。落ち着くまでベッドで寝てて良いわよ。」

 先生は、俺の背中を摩ってくれた。優しさがさらに、追い打ちをかける。

 俺が先生を困らせていると、保健室のドアが開いた。

「まゆみちゃん。ばんそーこー貼ってー!あれ、つかさじゃん!大丈夫?」

 ドアを元気よく開けて入って来たのは、ひゅうがだった。膝から血が滲んでいる。

「あら、ひゅうが君。この子とお友達なの?絆創膏ね。ちょっと待ってて。」

 まゆみ先生は立ち上がり、棚を漁る。ひゅうがは俺の横にしゃがみ、顔を覗き込んだ。

「つかさ、具合悪いのか?顔色悪いぞ。」

とても心配そうに、ひゅうがは俺の頭を撫でた。

「ああ。大したことない。ただのストレスだ。追試に……なった事のな。」

俺が歯を食いしばりながら言うと、ひゅうがの顔がなぜか明るくなる。

「ねえねえねえ!おれも!追試なんだよー!良かったあー。仲間がいてくれて。」

ひゅうがは俺の頭をグシャグシャに撫で回す。

「本当か!……テスト、何点だったか聞いて良いか?」俺は顔を上げ、恐る恐る言う。

「おれ?全部20点あるか無いかくらいだったかなあ。ここの学校の人達、皆んな頭良すぎなー。」ひゅうがは、へへへと笑った。

 自分より下の点数を聞いて、元気が出るなんて、俺は最低野郎だ。しかし、今は仕方ない。この学校で一番頭が悪い、と自己嫌悪に陥りそうになっていたから、本当に救われた気持ちだ。

「追試の勉強、一緒にやらないか?」

俺は床に座り直し、正座して言う。

「いいのか!?追試クリアするまで、部活来るなって言われちゃったから助かるよ!」

ひゅうがは目を輝かせて、跪きながら俺の手を握った。

「あー!ひゅうが君!怪我してる方の膝、床につけないでね。」

まゆみ先生は頬を膨らませてちょっとだけ不機嫌な顔をした。

 次の日の土曜日。俺の家で勉強会をする事になった。

 勉強を教えてくれる先生が必要だったため、進一に声をかけたが、断られてしまった。その次に、りんのすけに声をかけたら、意外にもノリノリな雰囲気で引き受けてくれた。

 俺は早めに起きて、自分の部屋を掃除する。

 六畳程の平凡な部屋には、小さい本棚と、勉強机・その上にテレビ、窓際にベッドが置かれている。

 勉強机は横長で、テレビを退かせば三人並んで座れる様になる。

 俺は隣の部屋にある、父親の趣味部屋から、折り畳みの椅子を二つ運び込み、テレビをその部屋に避難させた。

 そろそろ良い時間になる。家の最寄駅に集合してもらう予定だが、あの二人は目を離すとすぐ喧嘩するため、早めに向かう。

 通り過ぎる電車を何本か目で追う。駅の前でぼーっと立っていたら、女の人が黄色い声を上げているのに気がついた。

 何だろう、と駅の中を覗くと、りんのすけとひゅうがが並んで出て来た。イケメンが二人並ぶと、見ず知らずの人からも黄色い声が上がるのか、と俺は感心してしまった。

 ひゅうがはスポーティな私服で、りんのすけは大人っぽい私服だった。

「一緒に来るなんて、仲良くなったんだな。」

俺が二人に声をかけると、

「「なってない!」」

二人が声を揃えて言う。やっぱり仲良いよな。

 合流して、俺の家まで案内する。

「父親は土日も仕事でいない。母親と弟は、近くの公園まで遊びに行ってるよ。昼前には帰ってくると思う。」

俺は歩きながら、念のため説明した。

「へえー!お父さんって仕事何やってんの?」

ひゅうがが言い、りんのすけが、

「他所様の職業を聞くのは失礼だよ。」

と、厳しい視線を向けた。

「いや、別に良いよ。父親はホテルの支配人をしてる。」

「そうなんだー。」

ひゅうがは目線を上にそらし、りんのすけに耳打ちした。

「支配人って何?」

「ホテルの責任者だ。わからないなら、自分で調べる事を覚えた方がいい。」

りんのすけは、ひゅうがの顔を掌で押し退けた。

「着いたぞ。ここが家だ。」

話している間に、家の前まで来た。

「お邪魔します。」と二人は礼儀正しく入ってくる。

 二階の部屋まで案内をすると、

「俺、飲み物とってくるから、適当に座っておいて。」

二人を残して、キッチンに麦茶を用意しに行く。

「ただいまー。もう、お友達来たの?」

「ただいま。」

 母親と弟が帰って来た。

「おかえり。俺の部屋にいるよ。」

 俺はキッチンから返事をする。弟が俺の目の前まで走って来た。

「友達を紹介してくれんか?」

弟は俺のズボンの裾を引っ張って言った。そう言えば、今度紹介してくれって言われてたな。

「おう。もちろん。一緒に上に行こうか。」

俺はオボンに、麦茶の入ったコップを並べた。

 自分の部屋に戻ると、二人は何やら言い合いをしていたが、俺の顔を見た途端静かになった。

「俺の弟が、二人に会いたがってて連れて来た。」

「はじめまして。兄がお世話になってます。」

弟は幼稚園生らしからぬ綺麗なお辞儀をした。

「わあ!ちっこいのにちゃんとしてて偉いな!」ひゅうがは、弟を見て感激する。

「お邪魔しております。お兄さんの同級生の◯◯◯りんのすけと申します。」

りんのすけは、やけに丁寧に挨拶をした。他所行きのお利口さんぶりと言う感じだ。

 弟はりんのすけの名前を聞いて、頭をガバッと上げた。

「その苗字。もしや、源左衛門の家のものか?」

「え?なんて?」俺は耳を疑った。

「はい。その通りです。貴方はいったい……。」りんのすけは困惑する。

「前世の話じゃが、わしは源左衛門その人じゃよ。」

 驚きのあまり声が出ない。空気がピリつき、時間が止まった様に感じた。

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