第6話 急な思い付き。
鼻血はだいぶ治っていたが、念のために俺は鼻にティッシュを詰めた。
そして駅に戻って、電車に乗る。土曜日の昼頃は、平日の通学時間に比べるとかなり空いている。二人で空いている席に座る。
りんのすけの家までは、一駅で着くそうだ。電車のなかで他愛もない会話をすると、あっという間に降りる時間になった。
駅を降りると、徒歩五分程で目的地に着いた。
「で、デカい……。」
俺はつい声に出てしまった。駅周辺で、一番高い建物だったからだ。タワーマンション。俺は上を見上げる。この近距離だとてっぺんは目視出来ない。
「そんなに高さはない。二十九階建てだ。」
りんのすけは、足を止める俺を他所に玄関へ向かう。俺は上を向いたまま歩き始める。
「これで低い方だとしたら、俺の家なんてぺちゃんこのお煎餅扱いそうだ。」
りんのすけは、オートロックを解除する。自動ドアが開いた。
中に入るとすぐ看守室があり、その奥にロビーがある。俺は空いた口が塞がらない、アホ面のまま、りんのすけについて行く。
二人でエレベーターに乗り込む。りんのすけは何かのロックを解除し、二十九階のボタンを押す。
「うわ、最上階……!」
「いちいちリアクションしなくて良い。」
りんのすけにツッコまれてしまう。
部屋の前に着き、ロックを解除し、中に入る。
玄関が広い。大理石の床だった。リビングも広い。ガラス窓が大きく開放感抜群だ。こんなの大物YouTubeの部屋紹介動画でしか見た事がない。
リビングルームは一人暮らしにしては広すぎるせいか、物がほとんど置いていなかった。馬鹿みたいにデカい壁掛けテレビと、黒い革のL字ソファ、ガラスと木で出来たローテーブルだけだ。
「僕は先にシャワーを浴びるから、適当にくつろいでいろ。」
「じゃあ探検しても良いか?」
俺は抑えきれない好奇心でワクワクしていた。
りんのすけに、何言ってんだこいつと言う目を向けられた。
「仕方ないだろ庶民にとってこの環境は異次元なんだよ。」
「まあ、いい。好きに見て良いぞ。」
りんのすけはそう言うと、リビングを出て風呂場に向かった。
俺はガッツポーズをした。荷物をリビングに置くと、リビングを出て廊下に向かった。ドアがいくつかある。片っ端から開けたり閉めたりして、探検をした。
最初に開けた部屋は、寝室だった。だが、なぜか生活感がなく、ホテルの一室の様な雰囲気だった。セミダブルサイズの全体的に白いベッドがひとつと、何も置かれてない机があるだけだった。
次に開けた部屋は、最初の部屋より広いまたしても寝室だった。本棚やデスク、キングサイズのベッドがある。本棚には、参考書、オカルト資料、漫画が並んでいる。
(へえ、りんのすけって漫画読むんだな。)
ほとんど、少年漫画の単行本だった。有名なものから、マイナーなものまで揃っている。
ここまで、勝手に部屋を覗いていて言える立場ではないが、勝手に私物を触るのは気が引けた。寝室を一通り見たら、ドアを閉めて次に行く。
他のドアは、無駄に広いトイレと、無駄に広い洗面室だった。洗面室を開けたら、シャワーを浴びる音が聞こえた。
これで一通り探検が終わった。どの部屋もホコリ一つない清潔で整頓されている。俺は庶民の好奇心を満たすと、リビングに戻りソファに座る。
リビングに戻って来て間もなく、りんのすけがシャワーを終わらせ、リビングに入って来た。タオルを首にかけ、黒いボクサーパンツ一丁だ。白く透き通った肌と顔に似合わない引き締まった体が、俺の視界をジャックする。
「おい!服着ろよ!」
俺は見てはいけないものを見たと思い、両手で目を覆った。
「気を使ってパンツを履いてやったんだ。逆に感謝してほしいね。」
りんのすけはやれやれと言う雰囲気だ。
「いや、パンツ一丁なんてほぼ全裸だろ。」
「ふん。そんな事どうでもいいね。僕はお腹が空いた。」
りんのすけが、俺の隣に座った事をソファの沈みで気がつく。
男同士なのに、一人だけ気にしているのも馬鹿らしくなり、俺はため息をついてりんのすけに話しかけた。
「そういえば、まだお昼食べてなかったな。俺もお腹空いたよ。材料があれば俺が適当に作るけど。」
「それは楽しみだ!食材は使用人が使っていたから、余っている。何でもいい、つかさの1番得意な料理をお願いしよう!」
りんのすけはソファに深く腰掛け、偉そうに座り、上から目線でニヤリと笑う。
さっきの少年の様な無邪気な笑顔が嘘のようだ。もしかしたら、偉そうにする事で、自分の威厳を保たないといけないのかと考えると、太々しいおぼっちゃまも、何も知らない時よりは少しだけ嫌ではない気がした。
「僕はイタリアンが食べたい。」
りんのすけはドヤ顔で宣言した。前言撤回、やっぱり、ムカつく。
「さっき何でも良いって言っただろ。大人しく待ってろ。キッチンと材料、使わせてもらうぞ。」
俺はキッチンへ向かう。大きい冷蔵庫を開け、棚を開け、材料と調理器具を確認する。
プロの料理人が使いそうな、一流っぽい道具が揃っていた。どの道具も、綺麗に整備され、キッチンはとても綺麗だった。
家の手伝いで料理をするうちに、意外と料理にハマっていたから、使用人さんがどんな人なのか気になった。プロの腕前を持つ料理人もきっといるだろう。
「あ、これなら作れそうだな。パスタ作るか。飯できるまで時間あるから、服着てこいよ。」
食材を確認した後、キッチンからりんのすけに話しかけた。
「仕方ない。着替えてやるか。」
りんのすけは渋々、自分の部屋に向かった。
お腹が空いてる時、早く食べたいという気持ちが走って、いつも以上に手際が良くなる。鍋に火をかけ、沸騰する間に材料の下処理を終わらせる。調味料をスタンバイし、皿も先に並べた。
リビングのドアが開いて、りんのすけが戻って来た。白Tシャツに、濃い色のジーンズを着ている。手に持っていた、薄手で紺色のジャケットをソファの背もたれにかけた後、座り、テレビを付ける。ワイドショーの音が聞こえた。
「つかさは、普段から料理をするのか?」
りんのすけはテレビに目を向けたまま言った。
「ああ。気まぐれにだけど、家の手伝いで料理をする事がある。料理がそもそも好きだしな。りんのすけは……料理しなさそうだな。」
俺はパスタソースを作りながら言う。
「使用人が家に来るからな。平日だけだが、家事をする必要がない。土日は自分でやると家の奴らに豪語してしまったから、やるつもりではいる。」
「まだやった事ないのか。」
「引っ越して最初の土曜日が今日だ!ついでに夕飯も作ってくれて良いんだぞ。」
りんのすけがキッチンにいる俺の方を見てニヤリと笑った。
「いや、作らないからな!宅配ピザでも頼んでおけよ。」
俺は、パスタを皿に盛り付ける。出来上がったのは、キャベツとベーコンのペペロンチーノだ。皿をテーブルに持って行った。
「ほら。出来たぞ。」
「おお!初めて見る料理だ。美味しそうじゃないか。でかしたぞ、つかさ!飲み物とフォークも持って来てくれ。」
りんのすけはパスタを見て目を輝かせた。俺は、りんのすけの腕を引っ張って言う。
「りんのすけもちょっとは手伝えよ。飲み物とフォークは自分で持っていけ。俺は使用人じゃないんだからな。」
「わかったから、腕を引っ張るな!」
りんのすけは腕を振り払うと、俺の後ろについて来た。
冷蔵庫に作り置きされているお茶をコップに注ぎ、フォークを持ってソファに座る。
二人で手を合わせて、いただきますをした後、りんのすけは料理に手をつけた。俺は飲み物を飲む。
「「なんだこれ、うま。」」
二人の声が重なった。お互いに目を合わせて笑う。
「家族以外に料理作るの初めてだから、そう言ってもらえると嬉しいよ。」
俺は少し照れて、自分もパスタを頬張る。
「僕は初めての感覚だ。温かい味がするって言うのだろうか?……そうだ。つかさ、一緒にここに住め。」
俺は料理にむせる。
「住まねえよ!何言ってんだ!?……ごほん。まあ土日暇だったら、また作ってやるよ。」
「本当か?約束だぞ?」
りんのすけは、期待の眼差しで俺の顔を覗き込む。綺麗な顔で圧をかけられ、俺の表情筋が強張った。
「わかったから、冷めないうちに食べような。」
俺は苦笑いを浮かべ、お茶を一口飲む。やっぱりこのお茶美味いな。
「このお茶、飲んだ事がない味がする。何のお茶なんだ?」
「使用人がブレンドしたルイボスティーだ。僕はノンカフェインのものしか飲めないからな。」
その後パスタを食べ終え、りんのすけと一緒に皿を洗った。初めて皿洗いをしたらしい。ちゃんと皿の裏まで洗うように教えた。
「腹も膨れたし、そろそろ学校に向かうか。」
「ああ。ヘリの手配をするから、少し待て。」
待っている間に、お互いに学生証を持ったかを確認してから屋上に向かう。学生証があれば、学校には入れるらしい。
ヘリコプターが、タワーマンションの屋上に到着すると、二人で荷物を分けて持ち、乗り込む。
「俺ヘリコプターに乗るの初めてだ。」
上空から見える地元の景色に、テンションが上がる。りんのすけは俺をよそに、スマホをいじっていた。
学校に着くと、梯子で学校の屋上に降りる。かなり高さがあり、荷物もあったため、俺は降りるのが遅くなった。りんのすけは慣れた様子で、ある程度梯子で下ると、飛び降りて華麗に着地した。
同乗して初めて実感する、りんのすけの身体能力の高さには感服してしまう。
りんのすけと荷物を、部室の前に待たせて、俺は職員室で部室の鍵を借りる。鍵を持って、部室に着く頃、後ろから誰かが追いかけてくるのがわかった。
振り返ると、若い教員がいた。同学年の担任しか、顔を覚えていないため、その人が誰なのかわからなかった。やつれた顔で、死んだ魚の様な目をしている。寝癖のあるの短髪。着崩したスーツ。履き潰したサンダル。いかにも、やる気のなさそうな雰囲気だ。
「よお。土曜日に部活とは感心するねえ。オカ研の部員増えたか?」
「今のところ部員は合計で三人だが、まだ増える予定だよ。」
りんのすけは教員に言う。俺は申し訳なさそうに話を切り出す。
「あの。先生の名前聞いても良いですか?俺の名前は◯◯つかさです。」
教員は、「すまん、すまん。」と片手で謝った。
「俺はオカ研の雇われ顧問のスガだ。スガッチって呼んでいーぞお。お前のことは知ってる。副部長だよな。俺は肩書きだけの顧問だから、部活動は好きにやってくれ。歴史担当だから、来週当たり一学年の授業もやる予定……だったような?ま、よろしくって事で。」
低めの声だが、気の抜ける様な話し方だ。
「このろくでなしな顧問は、僕が買収した。他の教員達に目立たない程度にサボって良いと言ってあるから、部活に干渉してくる事はほとんどないだろう。」
りんのすけは仁王立ちして言った。
「ろくでなしなんて言うなよなぁ。結構アウトな部活申請書類を俺が何とかしたんだぜ?まあ、お金もらってる以上強く言えないんだけどさ。ははは。」
「へえー。じゃあスガッチ先生は、何か用事があって部室まで来たんですか?」
賄賂話は敢えてスルーし、俺はスガッチ先生に問いかけた。
「んー?あ、そうだった、そうだった。これ、家電利用申請書類。部室で家電使うなら、没収される前に書いとけよ。生徒会から部活動予算降りるまでは、支払い止めてもらうようにして置いたから、俺に感謝しろよぉ。」
スーツのズボンのポケットから書類を取り出して、俺に渡す。書類はしわしわになっていた。
俺は「ありがとうございます。」と書類を受け取ると、スガッチ先生は帰って行った。
「ふむ。生徒会か……。」
りんのすけは、何か悪い事考えている顔で、呟いた。
「何企んでるんだ?」
俺は部室を開けながら聞く。二人で荷物を部屋に入れながら、りんのすけが答える。
「今後の研究が自由に出来ないと困るからね。そのためにも生徒会を手中に収める。今決定した。」
「まだ何も活動してないのに、いきなりハードル高いところ行くのか?」
俺はドン引きである。
「リスクは先に潰すのが、僕のやり方だ。」
闘志に燃えた拳を固めて、りんのすけは言う。
「言うこと聞かせるとしても、活動して実績がないと難しいんじゃないのか?」
「わかっている。思い立ったが吉日だ。今日の夜、オカルト研究部最初の心霊検証活動をするぞ。」
りんのすけはこうなると、言う事を聞かなくなる。
「ええ!急過ぎるな。家に連絡してないぞ。」
「僕から連絡しよう!」
「いやいやいやいや。要らないって!わかったよ、今すぐ連絡すれば良いんだな。」
「僕のこと、わかってきたじゃないか。」
りんのすけは腕組みをし、ドヤ顔で言う。
俺は母親に電話して、もろもろの事情を説明する。意外にも「もう仲良い子が出来たの?」と言う感じて、喜んで許諾されてしまった。
「それで、具体的に何をするつもりなんだ?」
俺は腰に手を当てて、頭をかきながら言った。
「心霊スポットに行って、心霊現象をビデオに収めるんだ。」
昼下がりの、温かい陽気が差し込む教室で、俺の背筋は寒くなった。
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