第68話 上杉姫虎の帰還
『かわ。はいらないの?』
伊賀の奥里にある、山間の川辺に、二つの小さな人影があります。
私はその光景を、ぼうっと眺めていました。
――ああ。これは、幼い日の思い出です。
男の子が、女の子に問いかけたところのようです。
『……こわいもん。また、おぼれちゃう』
女の子が応じます。
走馬灯でしょうか。懐かしいですね。
女の子は、川遊びの最中に溺れて、水が怖くなってしまって。水に入れなくなった時期が、あったのです。
呼吸のできない水の中。暗くて冷たい、川の底。男の子が助けてくれなかったら、ずっとあの暗くて冷たいところで沈んでいたんじゃないか。そう思うと、水が恐ろしくて……。
でも。
『だいじょうぶだよ。また、ぼくがたすけてあげるから』
男の子が、そう言って微笑みました。
この頃はまだ、心を冷静に保つ修行が始まる前で、表情が豊かでしたね。
『……ほんと? たすけて、くれる?』
『うん。にんじゃは、こまっているひとを、みすてないんだ』
そう。
ただただ純粋な忍者への憧れだけを胸に抱いて、男の子は言うのです。
『だからね、ひめこちゃんがおぼれていたら、なんどだって、ぼくがたすけにいくよ。それが、にんじゃだもん』
男の子がそう言った直後、風景が遠のきます。
ものすごい勢いで、私はどこかに引っ張り上げられて――。
「――返してもらう!」
男の子は、そう言いました。
●
ダンジョンクリアに伴って、私達は外部に排出されました。
ダイブドレスの魔術的防護が働いたのか、溺死寸前だったはずなのに、ぼんやりと意識はあって、場所が東京地下の廃線路の上だとわかります。
すぐに、ダンジョン入り口を固めていた警官隊や公社職員によって、私達は保護されました。私は救急搬送されるらしいです。当然ですね。呼吸のできない暗闇に呑まれて、溺れていたわけですから。
「姫虎! 姫虎、しっかりしろ! 姫虎!」
段蔵が、ストレッチャーに乗せられた私の顔を覗き込んでいます。忍者修行の賜物か、表情はいつも通りですけれど……、心配してくれているのだと、いまならわかります。
だったら、応えないと。鉛みたいに重たい手を持ち上げて、なんとか、段蔵の頬に触れます。全身全霊の力を用いて、唇を抉じ開けると、かさついた声がこぼれ落ちました。
「やっぱり、段蔵は……」
彼の横には、ものすごく心配そうな顔の女の子が、ひとり。忍者とは正反対で、なにも隠す気がなさそうです。年下なんですっけ。顔も体も傷だらけで、おなかには血が滲んでいます。
ろくに会話もしていない私のために、命懸けで戦ってくれた、心優しい女の子。嫉妬しちゃうくらい、いい女ってやつです。
「……ううん、あなたたち、ふたりは――」
ああ……、やっぱり好きだなぁ。このふたり。
シンプルに、そんな気持ちが湧いてきます。そりゃあ、恋敵だと思っていますし、泥棒猫なのは間違いないですし、クラスが一緒でも絶対にお話ししないタイプのギャルですけれど。
でも、それはそれとして、『迷宮見廻組』が私の
「――私の、ヒーローです、ね」
※※※あとがき※※※
次回、一巻完結なのだ!
(忍者なんだからそれこそ"巻"で数えたらいいじゃん、と今さら気づいた作者)
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