第2話 回想・一年前(前半)



 ――思い返すは、一年前。


 横暴なる我が幼馴染、上杉うえすぎ姫虎ひめこが、突然、三重の俺の家まで押しかけてきたのだ。

 伊賀の奥里、忍者が潜み生きる現代の隠れ里に。


「モブ蔵くん! ダンジョンに潜りましょう!」


 そして、修行中の俺を見るなり、そう言った。

 ここで「なんで」とか「どうして俺が」とか、そういう問いをしても意味はない。

 上杉の家は、かつて、加藤家の忍者を召し抱えていた歴史がある。……二〇〇〇年代になにを言っているんだ、と思わなくもないが、主従の関係で言えば、主が姫虎で従が俺だ。


 父や祖父、上杉のおじさんたちは「大昔の話だよ」と笑うが、姫虎だけは幼少期から俺をモブ蔵と呼び、「モブ蔵は私のしもべなのです! お手! お座り! お手! 指絡ませるお手! あすなろ抱き!」と下僕同然に扱ってきた。

 俺が寡黙で大人しく、クラスの端にいるようなタイプだから"モブ"だそうだ。


 それもあって、俺の体には、横暴な幼馴染の言うことを聞く癖が染みついている。断る選択肢はない。断らなかったから、俺に無茶苦茶を言う横暴さに拍車がかかってきたのかもしれないが。

 俺以外にはきれいで清楚な顔を見せているらしく、俺にだけわがまま放題なのは、なるほど、俺を本当に下に見ているのだな……、と少々悔しくも思う。


 ともあれ、ダンジョンに潜るだと?

 正気か、姫虎は。


「待ってくれ、姫虎。隠れ里の私有ダンジョンならともかく、ダンジョン公社が管轄するダンジョンに入るには、免許がいるんじゃなかったか」


 世界で最初にダンジョンが開いた・・・のは、もう八十年も前のことだ。

 終戦直後の日本、九州は福岡だったらしい。それを皮切りに、世界中で毎日のように新たなダンジョンが生まれている。

 地形を無視した広大な内部構造を持つ、異界への入り口。異形の生物たち。未知の素材と新技術の開発――。その時の動乱について、俺は社会の授業でしか知らない。世界がどうやって対応したのかも。


 ただ、八十年経った今、ダンジョンは人類にとってごく一般的な存在、当たり前の恵み・・となった。日々、新しく開く異界への扉はダンジョン公社によって管理され、ダンジョンの資源回収攻略は民営化されて……。いまや、俺や姫虎のような一般人ですら、ダンジョンに潜れるのだ。


 いや、姫虎については、単なる一般人とは呼び難いか。

 旧華族の令嬢で、ルーツをたどれば江戸時代の大名家に繋がる貴人の血統だ。代々"虎"の字を継ぐ家に生まれた、最新のお姫様なのである。


 一方、俺は貴人の血なんて引いちゃいない、ただの一般人だ。

 歴史はそれなりに古いが。

 三重県は伊賀の里、その最奥。山に隠され木々に埋もれた隠れ里で生まれ育った、十八代目の加藤段蔵で……、端的に言えば忍者である。忍びの者、あるいは隠密とも呼ばれている。

 ともあれ。


「俺は免許を持っていない。俺は先週誕生日だったが、姫虎はまだ十五歳だろう。たしか、免許は十六歳からしか取れないはずだ」

「モブ蔵、明日は何の日ですか?」


 ……あ。


「姫虎の誕生日だな。おめでとう」

「そうなんです! 十六歳になるんです! だから、明日すぐに免許を取ります。勉強もしてきましたから、余裕です。あなたも取りなさい、明日」

「待て。俺は勉強していないぞ」

「じゃあしなさい、いまから。いますぐ。教えてあげますから」


 そういうわけで、あれよあれよという間に、俺と姫虎は三重県庁まで行ってダンジョン開拓免許取得試験に参加することになった。

 一夜漬けだったが、幸運にもなんとかなった。姫虎は「私の下僕なら取れて当然です」と褒めてくれもしなかったが。

 県庁が用意した試験場から出てすぐに、姫虎は電気屋に行きたがった。


「ダンジョン配信のための機材を買いに行きますよ。……で、モブ蔵。ダンジョン配信については、どれくらい知っていますか?」

「ある程度は。奥里にだってインターネットはあるからな。リビングに置いてある」

「置いてあるのはパソコンだと思いますけれど……。なら、まずはダンジョン配信について説明してあげましょう。特別に。この私が」


 いちいち偉そうに、姫虎は薄い胸をえへんと張った。



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